「キラー・オブ・ザ・フラワームーン」より 画像提供 Apple TV+

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2023.10.20

ディカプリオが先住民の視点で掘り起こした、米国の消された歴史 「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」

1990年代前半にブレークしてから約30年。類いまれな演技力でファンを魅了し続け、常にハリウッドの第一線を走るレオナルド・ディカプリオのキャリアと魅力をさまざまな角度から検証します。

芦田央

芦田央

実在の人物や事件を題材にした映画を鑑賞する際、その事実を知ったうえで臨むかどうかは重要なポイントである。製作側も当然、観客の知識の有無を考慮しながら映画を作っているからだ。ただし事前に知っておいた方が楽しめる映画は、多くの人がその事実について知っているというケースが多い。マーティン・スコセッシ監督の最新作「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」の場合はどうだろうか。
 


 

アメリカ人も知らない先住民虐殺事件

この映画は、1920年より始まった禁酒法時代のオクラホマ州で、先住民であるオセージ族の住民が次々と謎の死を遂げた〝インディアン連続怪死事件〟が主題となっている。アメリカ国民ですら、その多くがこの事件を忘れてしまっているという現状だ。時間の経過が自然に、そして先住民への人種差別意識がおそらく意図的に、この歴史を消していった。
 
今作は、原作の出版前から目を付けていたというレオナルド・ディカプリオのチームが、6度目のコラボレーションとなるスコセッシ監督のもとに企画を持ち込み、見えなくなっていた「史実」を歴史に再登場させることで、国の過去と未来の両方に目を向けた力作となっている。
 

オイルマネーを横取りした白人支配者

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」の話に入る前に、本作の歴史的背景を説明したい。当時のオセージ族は、ほかの地域で苦しい生活を強いられていたネーティブアメリカンとは対照的に、白人が妬むほどの「大富豪」だった。アメリカ政府に追いやられた居留地から米国最大の油層が発見され、石油利権を含む均等受益権は土地の所有者であるオセージ族のものとなり、多額のオイルマネーを得ていたのだ。
 
ところがアメリカ政府は彼らに資産管理能力がないと一方的に決めつけ、同地域に住む白人に財務管理をさせる後見人制度を導入した。後見人はあらゆる手段を使ってオセージ族の資金を着服し、一方でオセージ族は、生活費のような細かい支出までもいちいち許可を取らなければ引き出すことができなかった。
 
さらにオセージ族と婚姻関係を結ぶことによって、オセージ族でない者、つまり白人であってもその受益権を相続できるようになってしまった。彼らと結婚し、相手がいなくなればオイルマネーは自分のものになる。
 
この後見人制度と、受益権の相続という条件が整ってしまったことで、結果的に何十人ものオセージ族が不審死を遂げる事件が多発した。「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」で描かれているのは、そういった数ある事件の一部である。
 

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捜査官をヒーローにしない

企画を持ち込んだレオナルド・ディカプリオが当初演じる予定だったのは、連続怪死事件の捜査のために連邦捜査局(FBI)の前身となる捜査局から派遣された、特別捜査官のトム・ホワイト。しかし製作が進む中で、スコセッシ監督やディカプリオ自身が「オセージ族についての話なのに、捜査官を主役にすると、単に白人捜査官のヒーロー物語になってしまう」という危険性を感じたため、より積極的にオセージ族の側に立った視点を取り入れることにした。
 
そうして、オセージ族の女性モリー(リリー・グラッドストーン)、その夫であるアーネスト・バークハートをディカプリオが演じることで、この夫婦が物語の核心となるように変わっていったという背景がある。このオセージ族の立ち位置を考慮した方針転換の成果は非常に大きいだろう。
 

モリー、アーネスト、ヘイル 緊張した関係性

搾取される側のオセージ族の視点がメインになったことが、この映画の面白さを一層深くしているとともに、白人から何をされるか分からない、真意が読めないという恐怖が、感じたことのない緊張感を生み出した。この奇妙な緊張感は、主要登場人物の3人の関係性に由来する。
 
モリーはオセージ族の4姉妹の次女で、家族を愛し、後見人を務める白人たちに不信感を持っている人物だ。その夫であるアーネストは、周囲から「先住民女の夫(スクウォーマン)」と揶揄(やゆ)されていて、悪く言うと芯がない。妻を愛しながらも、オセージ族の資金を狙う白人と行動を共にする二面性を持ったキャラクターになっている。
 
そしてアーネストの叔父で地元の有力者でもあるW・K・ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)は、度々オセージ族への好意的な態度を示すが、彼らはもちろん白人に対しても発言力のある人物だ。アーネストにオセージ族と結婚するよう促したのもヘイルであり、彼ら夫婦に対して援助も行っている。そもそもアーネストは、戦争帰りで叔父を頼ってこの土地に来ているため、彼に対して意見を言う発想すら持ち合わせていない。
 

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静かでも迫力ある演技

そんな3人を演じた俳優の静かだが迫力ある演技が、映画全体の空気を作っている。映画の後半になるにつれ、その感情をあらわにするシーンもあるが、基本的には淡々と抑えながら話している印象だ。しかしそれは無感情というわけではない。ポーカーフェースで感情を周囲に悟られないようにしているからであり、しかも本音を隠す理由が3人とも異なるというのが面白いポイントになっている。
 
例えば、映画を通してアーネストが葛藤を深めていく様子だ。妻や家族への愛を語る一方、叔父であるヘイルに逆らうことができず、誰にも本音を言うことができない。ゆっくりと限界へ近付いていくアーネストの心情が、平静を装うその表情から見てとれる。演じる役を変更してアーネストの演技に挑んだディカプリオが、そのキャラクターを緻密に作りあげたことが分かる、きわめて繊細な演技に注目してほしい。
 

繊細に作り込まれた映像と音

暗い室内のシーンなどでは、顔の陰影が目立つような照明にすることで、微細な表情の変化に気付ける画面作りになっている。そしてシンプルだが洗練されている音楽の存在も重要だ。ネーティブアメリカンの打楽器であろう太鼓の低音が一定のリズムを刻み、シリアスなシーンの背景で静かに鳴っているのは、まるで心臓の鼓動音のようで、さらなる緊迫感を生み出すのに一役買っている。いずれも、さすが巨匠マーティン・スコセッシとうなりたくなるポイントだ。
 
このように一見静かに見える今作は、そう見えるというだけで、映像に忍ばせた情報量が非常に多い映画になっているのだ。
 

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〝敵〟から〝搾取される被支配者〟へ

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」が先住民族を描いた作品として、歴史の転換点になり得るという点にも触れておきたい。これまでもネーティブアメリカンを題材とした映画はたくさんあったが、作品の中で先住民族をどう表現するかは、時代と共に変化してきた。
 
西部劇の大きな転換点になったと言われているのが、「ソルジャー・ブルー」(70年)と「小さな巨人」(71年)の2作品。それまで白人の〝敵〟として描かれることの多かったネーティブアメリカンを一方的に断じるのではなく、彼らやその文化への敬意、白人の罪についても劇中で表現した。その後になると、白人がネーティブアメリカンの言語を話して種族を超えた〝友〟になる、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(90年)のような作品も話題を集める。ただこれらの作品に共通して言えるのは、あくまで白人から見たネーティブアメリカンという視点で語られるということだ。
 
見る側が感情移入するのはオセージ族であり、悪意を持って彼らから搾取しようとする白人が敵に見える、つまり〝先住民から見た白人〟という視点の移動がなされた「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」は、その点で過去の作品とは大きく異なっている。
 

3時間半の尺も必要な長さ

先住民であるオセージ族と、入植者である白人の対立構造という映画の大きな枠組みの中で、白人でありながらオセージ族の妻を持ち、両者の板挟みになる存在という最も重要なスパイスがディカプリオなのだから今作は面白い。
 
消えた歴史を目撃できるというのは、映画でなくとも稀有(けう)な体験となり得るものだ。それを、世界を代表する俳優が、映画界の巨匠とエンターテインメントに昇華させたのだから、その価値は非常に大きい。3時間26分という尺への印象すらも、「これだけ価値あるものを体感するには必要な長さだった」というポジティブなものに変わるのではないだろうか。

ライター
芦田央

芦田央

あしだ・ひろし ライター。北海道札幌市出身。バックパッカー、音楽レーベル、証券会社、広告代理店勤務を経て、趣味だった書くことを仕事に。note企画 「#映画感想文 with TSUTAYA CREATORS' PROGRAM」にて最優秀賞を受賞。同プログラムの初代公式ライターに就任。