清水崇監督とリモートで対談した紀里谷和明監督

清水崇監督とリモートで対談した紀里谷和明監督

2023.4.13

「世界の終わりから」紀里谷和明監督と清水崇監督から、私たちが託された未来

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きどみ

きどみ

現在公開中の「世界の終わりから」。その公開の直前、同作品の紀里谷和明監督と「呪怨」シリーズなどの清水崇監督による対談が行われた。20代の私がインタビュアー、カメラマンはさらに20歳だったため、映画についての対談だけでなく、若者に対する強いメッセージを私たちに托してくれるものとなった。

日本社会の一番の被害者は「若者」です

「世界の終わりから」は、事故で両親を失い、学校にも居場所がない高校生のハナ(伊東蒼)が、ある日突然世界を救う使命を託され、戸惑いながらも奔走する作品。

 
紀里谷監督は、作品で描かれている世界と同様、まさに今の日本は「絶望的」だと断言する。「日本は絶望的な状況にあると思います。過去にばかり目が行き、未来に向かっていません。一人ひとりがお互いを監視して、『何もできない』、『何も生まれない』世の中になってしまいました。この状況は、誰もが無意識にやっていることです。自覚して自分が変えていかなきゃいけないと思いますよ」
 
確かに、今の日本は生きづらいと思う。差別や偏見が根強くあるし、この現状を変えようと戦っている人への誹謗(ひぼう)中傷が絶えない。そんな環境で育った自分も、知らず知らずのうちに偏った考え方や話し方をしている。インタビュー中に「ジャンル」という言葉を使った際、「ジャンル」と一緒くたにカテゴライズすることがいかに偏った行為であるかを紀里谷監督に指摘されて、返す言葉が見当たらなかった。
 
そんな日本社会の一番の被害者は「若者」だと話す。大人たちが作り上げた偏見まみれの社会で生まれ育った若者は、今、多くの人が悩むだけでなく、貧困にさえさらされている。そして自ら命を絶つ者も少なくない。「若者の死因の1位は自殺で、国全体で年間2万1881人(※)が自殺で亡くなっているのは異常です。戦争が起きていると言っても過言ではない死者数ですよ」「一番罪がない多くの若者の命が犠牲になっている。心苦しく思います。だから『世界の終わりから』では日本の若者の日常を描くことに決めました」
 
(※2022年の自殺者数。厚生労働省「令和4年中における自殺の状況」より)
 
清水監督もうなずく。「今は戦争が終わって、裕福で何でも手に入るし娯楽もあるはずなのに、自殺の死者数が多すぎる。希望を持っている野心だらけの若者も『狭い島国根性』で『出る杭(くい)は打たれ』で嫌われ、死んでいる。本来、他者と違う事は個性だし財産なのに、そこに気付く事さえ許されず、差別や偏見、迫害を受けて・・・・・・。到底平和になったとは思えないですよね。戦時中と変わらないです。周りも、『かわいそうだね』の自己責任で終わってしまう世の中になったのも深刻です」
 
私は生きづらいけれど、戦争がない分恵まれていると感じていた。それは、ただ環境に恵まれていただけだったのだ。自分と、自分の友達が何事もなく暮らせているから大丈夫。顔も名前も知らない誰かの身を案じる余裕なんてなくなっているのが、今の世の中なのだと気づかされた。
 
「テレビや新聞などのマスコミが流す報道によって、『情報』としてどれだけの人が亡くなっているのかは伝わります。ですが、その『感情』は伝わってきません。映画監督や作家、写真家などの芸術家は人々の心に『感情』を届けるために映画やアートなど創作物を生み出すんじゃないかな。自分はそれが使命だと思っていますね」と紀里谷監督は言う。

 

日本人は、自分たちの能力を信じていない

2人の対談を聞いて日本の未来に絶望した一方で、日本が独自に持つ「面白さ」についても触れていたのが印象的だった。「―人ひとりがお互いを監視して出る杭を打つ」、日本独特の空気感について、清水監督はこう話していた。「日本が閉鎖的な村社会だからこそ、自分は日本独自の陰湿さを抽出した作品を作ることができました」
 
清水監督の「呪怨」(03年)は、海外でも大ヒットを記録し、「Jホラー」と呼ばれ逆輸入される形で日本に戻ってきた。「日本映画は本来持っているもの(武器やオリジナリティー)は、いっぱいあるんですよね。ただ、どれも生かしきれずに似たような作品を作って終わってしまう。大丈夫かなと石橋を『たたき過ぎて』進んでいるので、監督もですが、スタッフも役者も製作陣営も、もっと挑戦してもいいのにと思います」
 
「日本人は、自分たちの能力をもともと信じていないんですよ。売れたもの、成功したものしか評価しない。これでは、負けますよ」と紀里谷監督も続けた。「海外でヒットすると魅力に気づく。アニメもニセコも、元々日本で作られたし、あったもの。日本人がそれを理解しきれなかっただけです」
 
日本を「沈みかかった船」だと表現していた紀里谷監督。「ここに残り続けるのか、外へ出て海外で生きるのか、若者次第だ」と話していた。
 
「だから、あなたはどう考えるか?ってことなんですよ」。インタビュー中、紀里谷監督に何度も尋ねられた。用意していた質問案を読み上げようとした時、「それ話戻すの? あなたがこの話を聞いて今どう感じたか。それが重要なんです。型にハマった質問ではなくて、今この話を聞いて、考えたことを質問としてぶつけてみてください」と指摘された。
 
「世界の終わりから」についての対談だったはずだが、大半の時間を今の日本の問題について、私と20歳のカメラマンに向けて話してくれた。親にも学校の先生にも職場の先輩にも言われたことがなかったので、正直どう反応すればいいのか分からなかったし、今もどう反応すべきだったのか答えが出ていない。ただ、今は託された話をどう伝えるかという大きな宿題を背負ってこの原稿を書いている。

これまでの紀里谷監督作品が合わなかったと感じた人も、ぜひ見てほしい

「絶望的」な日本の未来、そして若者が置かれている状況について紀里谷監督が話していると、清水監督は「まさに『世界の終わりか』で描かれていることとつながりますよね」と口を開いた。
 
清水監督は「世界の終わりから」が紀里谷監督作品の中で1番好きだと話す。
 
「冒頭で地球が映し出された時、これまでの紀里谷作品と同様にSF感があるなと感じました。ですが『世界の終わりから』は現実の日常で今まさに起きている問題も描いているので、作品に入りやすかったですね。現実と並行して夢の中の世界も展開されていく。その見せ方が見事でした。そして、ハナの逃れられない『何か』にとらわれている様子や決断をする様子など、心情の変化が丁寧に描かれています。登場人物一人ひとりや演出に紀里谷監督の思いが凝縮されていて、集大成となっている作品だなと感じました。同じ監督として悔しいなと思いつつ、うれしくもあります」

 
「これまでの紀里谷監督作品が合わなかったと感じた人も、ぜひ見てほしいです。それから、この対談で紀里谷監督と僕が発した『クソ爺の戯言』など全部聞く必要は無いんです。むしろ、『身勝手に産み落としといて、絶望的とか後ろ向きな事言ってんじゃねぇよ、見てろよ・・・・・・俺(私)が動いた結果が出る頃には、お前らなんかいないかもだけどな・・・・・・』くらいの野心で、とにかくやれる事から動いてみてほしいんです」
 
「紀里谷監督はどうか?は分かりませんが、『あなたが本気で動けば何かが変わる』『自分を見つめる事は(他)人を見つめる事」でもあります。これは拙作『ホムンクルス」(21年)という映画の言葉ですが、『人を見れば、そこに世界ができる」・・・・・・はずなんです。僕は今、自作の中のこのせりふを自分にも言い聞かせながら、ジレンマを抱えて進んでいます」
 
「『世界の終わりから』も娯楽映画として楽しめながらも、いや応無しに刺さってくる言葉や描写、心情と物語展開が息苦しい程に巡ります・・・・・・。紀里谷監督の『格好つけなどブチ越えた切実なる思い』が、本作にみなぎっているからです。面倒くさがらず、『今まで親や友人、誰かのせいにして生きてきた人(そう思う節のある人)』『そろそろ自分の人生や生き方見つめとかないとかな・・・・・・』と悩んでる人、『日本て/世界ってヤバいの?』と漠然と感じてる人・・・・・・それから、『世界は・・・・・・たった一人の少女/少年に託された』的なちまたにあふれたアニメや小説、ハリウッド映画にそろそろ飽き、そっぽ向いてきてる人・・・・・・ぜひぜひ、妙な色眼鏡は外して、見てみてください。間違いなく、そこに『あなた』がいるはずです。特に日本人なら」と、力強く作品を推した。
 
「僕は若者に行動に移してほしいと思っているんです。この国の社会は、若者を救わず、搾取を続けます。自分たちはどう生きていくのか、考えてほしいですね。作品にもその思いを込めました。主人公のハナはピュアで、この世界を救おうと奔走しますが、段々と人々の負の感情に侵食されていきます。それが許されていいのか? 映画を見て考えてもらいたいですね」と、紀里谷監督は締めくくった。
 
対談中に紀里谷監督に何度も聞かれた「あなたはどう考える?」という質問の答えを、自分はまだ出せずにいる。「今の日本は絶望的だ」「若者は国を捨てた方がいい」と、対談中は完全に日本に絶望している様子を見せていたが、「世界の終わりから」で描かれているのは、決して絶望だけではなかった。そこが、紀里谷監督が抱いているこの国へのわずかばかりの希望なのかもしれない。

 
これから私たちはどう生きていくべきか、その多くを考える際の助けになる作品である。今劇場で見られる機会がある。一人でも多くの同世代の人に見てほしいと思っている。そして一緒に、紀里谷監督から出された私たちの宿題についてぜひとも話し合ってみたい。

ライター
きどみ

きどみ

きどみ 1998年、横浜生まれ。文学部英文学科を卒業後、アニメーション制作会社で制作進行職として働く。現在は女性向けのライフスタイル系Webメディアで編集者として働きつつ、個人でライターとしても活動。映画やアニメのコラムを中心に執筆している。「わくわくする」文章を目指し、日々奮闘中。好きな映画作品は「ニュー・シネマ・パラダイス」。
 

カメラマン
米湊航大

米湊航大

(こみなとこうだい)
2002年8月26日福岡県太宰府市生まれ。
大学在学中から写真を撮り始め、人物を中心に撮影している。
生粋のアナログオタクで、フィルムカメラで撮影。
初対面の人に声をかけ、知り合いになる過程を撮影するプロジェクトを行い、今まで30人近くを撮影してきた。
その撮影した写真をプリントし被写体に手紙付きで郵送している。
写真を受け取った人が、形として記憶を残してもらうような、SNS社会に真っ向から歯向かう取り組みを行っている。