ⓒ2022映画「ラーゲリより愛を込めて」製作委員会 ⓒ1989 清水香子

ⓒ2022映画「ラーゲリより愛を込めて」製作委員会 ⓒ1989 清水香子

2023.1.26

ノルマはロシア語! 袖のない防寒着? 「ラーゲリより愛を込めて」を見て、平和祈念展示資料館に行ってみた

公開映画情報を中心に、映画評、トピックスやキャンペーン、試写会情報などを紹介します。

宮脇祐介

宮脇祐介

動員150万人を超え大ヒット上映中の「ラーゲリより愛を込めて」(毎日新聞社など製作委員会)。
 
戦後、不幸にして引き起こされたシベリア抑留。
 

山本幡男や抑留仲間、モジミなどの家族と同時代の人々の生きた証し

映画を見てこの史実をより知ってみたいという人が東京都・新宿副都心の新宿住友ビルにある平和祈念展示資料館に足を運んでいると聞いて、同館を訪れてみた。
 
静寂に包まれたオフィスビル33階のフロアにある同館。
 
エントランスを入ると兵士、戦後強制抑留者、海外からの引き揚げ者の資料が展示されている。
 
そう、ここは山本幡男や抑留仲間、モジミなどの家族と同時代の人々の生きた証しが展示されているのである。
 

抑留者約57.5万人、そのうち約5.5万人が異国の地で命を落とす

ソ連(現ロシア)は第二次世界大戦終了時、満州(現中国東北部)や朝鮮半島北部などにいた日本の軍人・軍属、一部の民間人をダモイ(帰国)と言って移動させた。
 
しかし、彼らが送られたのはシベリアやモンゴルなど極寒の地。
そこで、わずかな食糧、不衛生な施設で過酷な労働を強いられる抑留生活を余儀なくされた。
大半は軍人だったが、軍属の看護婦など女性や満蒙開拓青少年義勇軍の少年なども含まれていた。
劇中でハーモニカを吹いていた少年は青少年義勇軍の帽子をかぶっていたという。
その数、約57.5万人、そのうち約5.5万人がダモイすることなく異国にて命を落としてしまったのである。
 
抑留者のダモイは1946年に始まったが、1950年4月以降、3年間にわたって引き揚げが中断されるなど順調とは言えなかった。最後の者を乗せた引き揚げ船・興安丸の到着は、終戦から11年がたった1956年12月26日のことだった。
 

ソ連は戦後日本人抑留者の労働力を計画的に利用した

一方抑留した側のソ連は、ドイツの侵略により2000万人以上の死者を出し、国土は荒廃、労働力不足に陥っていた。
そこで、戦争中からドイツ人やポーランド人などの捕虜を抑留して強制労働に従事させていた。
 
そんな中、戦時中から資本主義、共産主義をめぐる米ソ冷戦の兆しが見えており、極東方面の開発と軍備増強を進めようとしたソ連は、戦後日本人抑留者の労働力を計画的に利用したのである。
 
収容所の場所は現在戦争中のウクライナから樺太やカムチャツカ半島まで広く分布していた。
映画の主人公・山本は最初はウラル山脈に近いスベルドロフスクに収容されたが、のちに極東のハバロフスクに移送された。

 
強制労働も道路や橋など交通インフラの整備、農地の開墾から建物の建築や家事労働など多岐にわたった。
これらの収容所における労働が生み出した価値をラーゲリ経済と呼んでいたそうだ。
 

ノルマという言葉はシベリア抑留者が日本に伝えた

そこには厳しいノルマ(割り当て)が課せられ、未達の場合は連帯で罰が与えられた。
 
ちなみに今でも残るノルマというロシア語の言葉は、シベリア抑留者が日本に伝えたそうだ。
その事実だけでも、当時の強制労働の過酷さが言霊として伝わってくる。
 

袖のない防寒着

さらに重労働、極寒、飢えに加えて病気が彼らを苦しめた。
不衛生な収容所、着替えもなく、十分な医療も受けさせてもらえなかった。
劇中の山本の病もこの状況下で悪化していったのである。
 
そうした苦難が象徴された展示があった。
それは袖のない防寒着である。

この防寒着の持ち主は、飢えに耐えかねて、袖の布をソ連人労働者が持っていた黒パンと交換してしまったという。
飢えと寒さ。
どちらも生死を分けるものの、あえてどちらかを選ばなくてはならない状況に思いをはせざるをえなかった。
 

スプーン作り

そんな抑留者も日常生活にわずかながらの楽しみを見つけていった。
劇中でも俳句を作ったり野球をする姿が描かれていた。
その中でも代表的なものがスプーン作りであったそうだ。

多くはシラカバの木から作られた。
アルミをたたいたり、暖炉の熱で溶かしたりして成形したものもあった。
中には丁寧な彫刻を施したものまで。
スプーンは食事を最後の一滴まですくい取る役目があるだけでなく、たくさん食べたいという抑留者の願いを込めて作られたものだったという。
 
黒パンの切り分けに不公平があってはならないよう、全員の監視の中、天秤(てんびん)を使って切り分けた模様や、引き揚げ船の船内の様子を再現したジオラマは、その現場を立体的に再現している。

 
他にも抑留、引き揚げの多くの資料が当時の人の生きた記憶として展示されている。
 
4月23日までは山本と家族がやりとりした手紙など、長期抑留者と日本で帰りを待つ家族の絆が伝わる企画展「『言葉は海を越えて 収容所と日本を結んだ葉書』Ⅱ期:残されし者たち[1952-1956]が行われている。

 
例年なら最も来館者の少ない12月から1月に映画の影響で多くの人々が来館したそうだ。
先日まで会場に置かれていたメッセージノートには多くの思いが書き込まれていた。

 
同館の展示を見終わって、「戦争は誰もが幸せにならない」ことを改めて実感させてくれた。
 
ぜひとも皆さんも映画を見る前、見た後にも訪れてほしい施設なのである。
 
ホント、より映画の息遣いを身近に感じさせてくれるものであった。
 
資料館の詳細はホームページまで。
平和祈念展示資料館(総務省委託) (heiwakinen.go.jp)
 
追伸:同館の推進マネージャー・熊倉弘之さんと学芸員・川口麻里絵さんに案内をしてもらいより理解することができました。ありがとうございました。ちなみに熊倉さんは大の映画好きで僕が担当した追悼特別展「高倉健」を東京ステーションギャラリーで観覧いただき、とても感動してくださったそうだ。この映画「ラーゲリより愛を込めて」が偶然の縁を結んでくれました。

ラーゲリより愛を込めて

第二次世界大戦後の1945年。そこは零下40度の厳冬の世界・シベリア…。わずかな食料での過酷な労働が続く日々。死に逝く者が続出する地獄の強制収容所(ラーゲリ)に、その男・山本幡男は居た。「生きる希望を捨ててはいけません。帰国(ダモイ)の日は必ずやって来ます。」絶望する抑留者たちに、山本は訴え続けた―
山本はどんな劣悪な環境にあっても分け隔てなく皆を励ました。そんな彼の仲間想いの行動と信念は、凍っていた日本人捕虜たちの心を次第に溶かしていく。山本はいかなる時も日本にいる妻や4人の子どもと一緒に過ごす日々が訪れることを信じていた。
終戦から8年が経ち、山本に妻からの葉書が届く。厳しい検閲をくぐり抜けたその葉書には「あなたの帰りを待っています」と。たった一人で子どもたちを育てている妻を想い、山本は涙を流さずにはいられなかった。誰もがダモイの日が近づいていると感じていたが、その頃には、彼の体は病魔に侵されてい

ライター
宮脇祐介

宮脇祐介

みやわき・ゆうすけ 福岡県出身、ひとシネマ総合プロデューサー。映画「手紙」「毎日かあさん」(実写/アニメ)「横道世之介」など毎日新聞連載作品を映像化。「日本沈没」「チア★ダン」「関ケ原」「糸」など多くの映画製作委員会に参加。朗読劇「島守の塔」企画・演出。追悼特別展「高倉健」を企画・運営し全国10カ所で巡回。趣味は東京にある福岡のお店を食べ歩くこと。

カメラマン
宮脇祐介

宮脇祐介

みやわき・ゆうすけ 福岡県出身、ひとシネマ総合プロデューサー。映画「手紙」「毎日かあさん」(実写/アニメ)「横道世之介」など毎日新聞連載作品を映像化。「日本沈没」「チア★ダン」「関ケ原」「糸」など多くの映画製作委員会に参加。朗読劇「島守の塔」企画・演出。追悼特別展「高倉健」を企画・運営し全国10カ所で巡回。趣味は東京にある福岡のお店を食べ歩くこと。

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