白い牛のバラッド

白い牛のバラッド

2022.2.21

藤原帰一のいつでもシネマ「白い牛のバラッド」 不条理に立ち向かえるのか

藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

藤原帰一

藤原帰一

死刑制度通じイランの政治体制問う

 
イランはいい映画の多い国です。ちょっと並べても、「別離」や「セールスマン」のアスガー・ファルハディ、あるいは「チャドルと生きる」「オフサイド・ガールズ」のジャファル・パナヒなど、世界映画をリードする監督ばかり。傑出しているのは「桜桃の味」のアッバス・キアロスタミ監督ですが、キアロスタミの死後もイラン映画、健在です。
 
宗教戒律が厳格に適用される国ですから映画に加えられる制約も厳しく、企画、撮影、公開というすべてのステップでダメ出しがされてしまう。自由な映画表現とはほど遠い状況ですが、うれしいことに、そんなことで映画をやめる人たちじゃありません。映画撮影も出国も禁止されてしまったパナヒ監督なんて、「これは映画ではない」という題名の作品、あるいは監督自身がタクシー運転手のふりをして、タクシーに乗り合わせた人たちをスマホで撮影した「人生タクシー」も撮ったくらいです。
 

執行後に夫の無実知らされる妻

その「人生タクシー」のなかに印象的な場面がありました。イランのタクシーは乗り合い方式らしく、次々にお客さんに呼び止められるんですが、乗客の一人がタイヤ泥棒なんて死刑にすればいいんだなんて極論をいう。そこに乗り合わせた女性の乗客が異議を唱えるんですね。犯罪の原因は社会にある、死刑にしても犯罪が減るわけじゃないという主張なんですが、一連の会話のなかでその乗客が、イランは中国に次いで死刑が多い国だ、そのことがわかっているのかと言うんです。
 
目から鱗(うろこ)が落ちる場面でした。まず、死刑反対を主張して一歩も譲らないこのお客さんの芯の強さ。強い者の言いなりになるような受け身の姿勢じゃないんです。そして、私たちは中国のような社会じゃないはずだという自覚。正直に申し上げればイランの死刑執行数が多いと聞いても私は驚きませんでしたが、この自覚、あるいはプライドには驚きました。それまでは気がつかなかったイラン社会の表情でした。

 

前置きが長くなりましたが、ここでご紹介する「白い牛のバラッド」は、死刑がテーマの映画です。夫のババクが殺人罪で死刑に処せられた後、主人公のミナは、工場に勤めながら、耳の不自由な娘ビタを育ててきました。そんなある日、裁判所から知らせを受けます。殺人事件の真犯人が見つかった、あなたの夫は無実だったと言うんですね。今ごろそんなことを言っても夫は死刑にされちゃいましたから、もう帰ってこない。踏んだり蹴ったりですね。
 
で、悲嘆に暮れるミナのところに見知らぬ男がやってきて、ご主人に借りたお金があるので、それを返したいと申し出ます。親切すぎてなんだか変ですけど、悪い人じゃなさそうだし、子どもも大事にしてくれる。暮らしがさらに逼迫(ひっぱく)するなか、ミナは、その男レザの助けを受け入れていきます。
 

ディテール生かした自然体の表現

この映画、監督と主演が同じ人。ミナを演じるマリヤム・モガッダムがベタシュ・サナイハとともに監督も担当しているんですね。そのためでしょうか、映画表現が自然体です。クローズアップを避け、部屋のなかに人を置く構図に終始して、音楽もほとんどありません。何度か登場する犠牲にされた白い牛は映画のモチーフを映像で解き明かす象徴的な表現ですが、それだけを例外とすれば演出は禁欲的で、振り回される印象を与えません。おかげでメロドラマと呼びたいくらいに起伏の多いドラマチックなストーリーなのにスッと入ってくるし、ミナがそっと口紅をつけるなんてディテールも生きてくる。うまいもんです。
 
それにしても無実の人を処刑したなんてひどいですね。死刑に反対する議論のなかでもとりわけ説得力があるのが冤罪(えんざい)の可能性、つまり間違った人を処刑したら取り返しがつかない危険性ですが、この映画に出てくるイランの裁判所は死刑執行が間違いだったとわかっても詫(わ)びようとせず、神様のお考えだというばかり。神の意思を根拠に持ち出すことで責任逃れをしているわけで、ここでは死刑ばかりでなく、政治的決定の責任をとろうとしない、無責任体制としてのイランが告発されているというべきでしょう。

 


不条理を受け入れないヒロイン

そして、女性が生きづらい社会。男性を部屋に招き入れたという理由からアパートを追い出されるし、死んだ夫の弟は一緒に住もうとつきまとうという具合で、映画に出てくるイランはシングルマザーとして生きるなんてとても無理という、女性に苛酷な社会です。女性に焦点を当てることによってイラン社会の不条理がくっきりと浮かび上がります。
 
ところがミナは引き下がらない。無実なのに夫を処刑した誤審の責任を認めろと、裁判所を訴えます。自分の犯した不正に目をつむる者、罪の自覚に耐えられない者、いろいろなキャラクターが登場しますが、イラン社会の不条理を受け入れないヒロインを描くことで映画に一本の芯が通りました。
 
でも不条理に立ち向かうことはできるんだろうか。いや、これは立ち向かうことができる不条理なのだろうか。その問いへの答えが、この映画の幕切れです。意外にも思えるショッキングな終わりによって映画全体の力が一気に高まる。これでは訳わからないと思う人、ぜひ映画館でご覧ください。
 

ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 千葉大学特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。