「聖なるイチジクの種」

「聖なるイチジクの種」©Films Boutique

2025.2.19

「聖なるイチジクの種」互いの違いに揺れる…家族の物語:英月の極楽シネマ

「仏教の次に映画が大好き」という、京都・大行寺(だいぎょうじ)住職の英月(えいげつ)さんが、僧侶の視点から新作映画を紹介。悩みを抱えた人間たちへの、お釈迦(しゃか)様のメッセージを読み解きます。

筆者:

英月

英月

イランで2022年、頭髪を覆うスカーフを適切に着けていなかったとして当時22歳のマフサ・アミニさんが道徳警察に逮捕され、亡くなりました。病死であると発表されましたが、市民による政府抗議運動は激化します。この映画は、そんなイランの社会情勢を背景としたドラマ。モハマド・ラスロフ監督がイラン政府を批判したとして有罪判決を受けたので、政治色が強いと想像されるかもしれませんが、これは家族の物語です。

政府の役人として約20年真面目に働いてきた父、夫を立てる専業主婦の母、そしてアミニさんと同世代の姉妹の4人家族。何不自由なく育った娘たちと、苦労してその環境を築き上げた両親の間には、大きな価値観の隔たりがあります。疑いもなく国に忠誠を誓う父に対して、国のあり方に疑問を持ち反抗的な態度を取る子どもたち。主義主張ではなく、ただ家族の平安を願う母は、現政権が転覆すれば降り掛かるであろう報復におびえます。望むと望まざるとにかかわらず、抗議運動の渦に巻き込まれていく親子。そんな中、父親が護身用にと上司から預かった銃が、家の中から忽然(こつぜん)と無くなります。

映画を見終わり、共感はできずとも父親に同情している自分に驚きました。その昔、35回以上のお見合いを強要されたことから、両親に反抗して米国に家出をした私なのに! これが年を重ねることかと思いましたが、映画として客観的に見られたからかもしれません。たとえ家族であっても、価値観の違いはあるのです。それをネガティブに受け止め、否定することで苦しむ登場人物たちの姿から、「違いはあって当たり前」という事実に立つ視点の大事さを知らされた思いです。

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