音楽映画は魂の音楽祭である。そう定義してどしどし音楽映画取りあげていきます。夏だけでない、年中無休の音楽祭、シネマ・ソニックが始まります。
2024.2.09
「曲が売れるか、警察に撃たれるか」、ロックの教科書のメインマン、「ボブ・マーリー ラスト・ライブ・イン・ジャマイカ レゲエ・サンスプラッシュ デジタルリマスター」
故郷の福岡にはロックの教科書がある。これは明文化されたものではなく、口頭で脈々と語り継がれている。昨年はその精神的支柱のシーナ&ロケッツ鮎川誠が亡くなったが、街からロックの教科書が消えることはない。今もそれを受け継いだyonawo、kiki vivi lily、odol、muqueなど数多くのアーティストが福岡からヒットチャートをにぎわしている。
1979年、僕らの街からルースターズがデビューした。後に同じく昨年亡くなったチバユウスケのいたミッシェルガン・エレファントやオカモトズなどに大きく影響を与えたバンドとして有名である。再結成はあったものの実質は88年の活動停止まで約10年で残された118曲がこれも昨年サブスクで解禁されているので聴いてほしい。
そんな彼らの一曲に「ロージー」という曲がある。スカのリズムを取り入れた名曲である。街の貸しレコード屋で借りたファーストアルバムを返却に行くと、店の長髪のお兄さんが「ルースターズ聴くんやったら、クラッシュ聞かんね」と言われ、言われたまま「白い暴動」を借りた。そこにはパンクのビートだけでなくスカやレゲエのリズムが取り入れられていた。
そのレコードを返しに行った時「次はボブ・マーリーやろ」とその頃発売したての「アップライジング」を借りた。「クッ・ジュー・ビー・ラブド」や「リデンプション・ソング」に心をわしづかみにされ、それからお小遣いをためてせっせとアルバムを集めることになった。残念ながら81年にボブ・マーリーは死去したが、それでも彼への傾倒は止まることがなく僕のメインマンになった。それも、ちょっとおせっかいな街のロックの教科書のおかげだ。
それ以来、僕の人生のサウンドトラックには必ずボブ・マーリーが流れていた。90年前後、大学から社会人になる頃には日本各地で行われるレゲエフェスに足を運んだ。給料が出たら、せっせとCDを買い集めた。
前置きがとても長くなった。50代後半に入って幸いにも現在公開中「ボブ・マーリー ラスト・ライブ・イン・ジャマイカ レゲエ・サンスプラッシュ デジタルリマスター」を一足早く見る機会に恵まれた。79年7月に行われた「レゲエ・サンスプラッシュ2」のデジタル・リマスター・バージョンである。また、今年は彼の伝記映画「ボブ・マーリー:ONE LOVE」や「ボンゴマン ジミー・クリフ デジタル・リマスター」の公開も予定されている。ちょっとしたレゲエ・リバイバルだ。
出演はボブ・マーリーのほか、元彼のバンド、ウェイラーズのピーター・トッシュ(なぜか一番のはっぴを着ている)、バーニング・スピア、サード・ワールド。そして、「曲が売れるか、警察に撃たれるか」の2択しかないゲットー(ジャマイカのスラム街)の人々。ある人はマリフアナを語り、ある人はラスタファリアニズムを語り、ある人はレベルミュージック(反逆の歌)を語る。
ボブ・マーリーはドレッドヘアを揺らしながら7曲を歌う。どれもが、情熱的で目が離せないパフォーマンスは、まるで百獣の王ライオンの美しい雄たけびのようである。そう、まさに圧巻。インタビューでは「レゲエは民衆の音楽であり、反逆の歌である」と語る。その数々の政治的発言や行動から、76年銃撃され、ジャマイカに住むのが危険になり、77年にイギリスに移住するのである。ジャマイカにいる頃も、イギリスに行ってからも世界の注目の的であったことはエリック・クラプトンの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」などの有名なカバー曲でも伝わってくる。
昨年は前出の2人以外も多くのミュージシャンがこの世を去った。高橋幸宏、坂本龍一、谷村新司、もんたよしのり、桜井淳司、HEATH、KAN・・・・・・。彼らにとってもボブ・マーリーはもちろんロックの教科書のメインマンだったに違いない。それほど世界の音楽シーンに衝撃を与えたのが彼なのだ!
ぜひこの映画を見に行ったことをきっかけにボブ・マーリーの沼にはまって欲しい。ちょっとおせっかいなロックの教科書を受け継ぐ者として、皆さんに推さずにはいられないのがこの作品なのである。