「男性映画」とは言わないのに「女性映画」、なんかヘン。しかし長年男性支配が続いていた映画製作現場にも、最近は女性スタッフが増え、女性監督の活躍も目立ち始めてきました。長く男性に支配されてきた映画界で、女性がどう息づいてきたのか、女性の視点や感性で映画や社会を見たらどうなるか。毎日新聞映画記者の鈴木隆が、さまざまな女性映画人やその仕事を検証します。映画の新たな側面が、見えてきそうです。
2022.10.19
「ぬるま湯から出よ。自分で考え、行動しなさい」 プロデューサー、吉崎道代:女たちとスクリーン
アカデミー賞を受賞した「ハワーズ・エンド」「クライング・ゲーム」の日本人映画プロデューサー、吉崎道代さんのインタビュー最終回。著書「嵐を呼ぶ女 アカデミー賞を獲った日本人女性映画プロデューサー、愛と闘いの記録」(キネマ旬報社)を出版し、ロンドンから来日した吉崎さんは、映画の世界を目指す若い人に「ぬるま湯から早く抜け出して、自分の頭で考えなさい」と力説する。
苦労はなかった 「おしん」の世界は好きじゃない
--ローマの映画学校に入って以降、長く映画界で仕事を続けてきた。
好きな仕事をやってきたのだから幸せだと思っている。「嵐を呼ぶ女」を出すのに「大変だったことや苦しかったことは」と聞かれたが、「あまり苦しくない」と言ったら、「それじゃ本は売れません」と宣伝の人に言われ、私は笑ってしまった。「おしん」の世界は好きではないのだ。
--大変だったことはあったでしょう。
全然ない。あったとすれば、息子をおいて仕事でロンドンを離れ、海外に行かなければならなかった時に、後ろ髪を引かれる思いがしたことくらい。9時から17時までの仕事ではないし。日本にいれば母親とかが子どもの面倒を見てくれただろうが、ベビーシッターに頼るしかなかった。今になって、息子は私がいなくても「好きなものを買ってもらえたから良かった。結構楽しかったよ」と言っている。
カンヌ国際映画祭で「ボイス・オブ・ムーン」主演ロベルト・ベニーニさん(前列中央)を囲んで日本人映画関係者と=吉崎道代さん提供
35歳で一時帰国し出産 2カ月でロンドンへ
--息子さんを出産したのは。
35歳の時じゃないかな。出産のために日本に帰ってきて、母や姉が面倒を見てくれた。息子は日本で生まれて、2カ月でロンドンに戻った。日本語も話しますよ。今は孫もいて、私の家の近くに住んでいる。息子も映画のプロデューサーをしている。
--プロデューサーのノウハウを教えているのか。
教えているわけではない。2歳のころから映画界のいろいろな所に一緒に行っていて、私のネットワークの人たちも知っている。コロナ禍でオフィスも別にしたが、最近は大きな現場から声がかかって活動している。
--製作や配給の仕事で壁にぶつかったときは。
どうしようかと夜も眠れない。ジョギングしたり泳いだりして、どうするか集中して考える。ずっと考えていると何か出てくるもので、オプションが二つ三つそろったら自分で決められる。
--他の人には相談しない。
人に相談しても批判や小言しか言われないし、事情を知らないわけだから、自分で考えてやるしかない。善しあしもあるが、その過程は楽しいですよ。わがままに育ててくれた母に感謝しています。映画バカだからやっぱり映画しかできない。
吉崎さん(左)と息子のアドさん=カンヌ国際映画祭で、吉崎さん提供
日本人は覇気がないプリズナー
--ロンドンから見て日本の今の映画界や映画はどうですか。
日本映画はあまりイギリスで公開されないし、されても1週間とか。ビデオで見たりはしますけど。この本を書こうと思ったのは、孫に私の人生の軌跡を伝えたい気持ちが一つあった。コロナ禍で企画がストップしたので、2年かけて書いた。(字幕翻訳、通訳の)戸田奈津子さんに見せたら、日本には(吉崎さんのような)映画バカがいないと言われた。今の日本はプリズンで、人々はプリズナーの状態、というのが私の分析。日本全体がぬるま湯につかっているから覇気がない、そこから出ないといけない。
今回の来日の際に(映画を学ぶ学生に)話をして、喜んでくれた。ただ、質問の時に「どうすれば(吉崎さんのように)なれるんですか」と聞かれた。私は「自分で考えなさい」と答えた。「映画をたくさん見ないといけない」と話すと、「どの映画を見たらいいですか」と聞いてくる。「子どもじゃないんだから、自分で決めなさい」と言ってやった。何でもかんでも人に聞くだけで、自分で見つけようとしない。
孫と遊ぶ吉崎さん=吉崎さん提供
社会問題抱える韓国 ぬるま湯日本
--映画界で仕事をしたい若い人はたくさんいるようだが。
シナリオを書きたいとかプロデューサーになりたいとか、いろいろ希望はあるだろうが、まず自分でシナリオを書いてみる。書くためには世界や日本の情勢を勉強しないといけない。それを身につけて、こういう問題があるとか、こういう映画を見たいとか、とにかく書く。
ぬるま湯につかっていて、オスカーを取ろうなんて馬鹿げた考えです。「パラサイト 半地下の家族」なんかを見ても、韓国は北朝鮮の問題をいつも抱えているし、階級制度の問題も大きい。日本には階級制度なんて言葉を知らない若者もいっぱいいるようだ。今の若者はハウツーばかり知りたがるが、自分で考えなければ映画なんか作れない。寒いでしょうが、ぬるま湯から出ないといけない。
--プロデューサーとして大切なこと、女性プロデューサーの難しさは。
まずはネットワーキング。投資家も含め、ネットワーク作りは極めて大切だ。女性という点では、イギリスで男性と一緒に夕食をしましょう、というのはある意味、その後のセックスも含まれている。そういうことはできないから、ネットワークの幅が狭くなる。ハンディと言ってもいい。
--イギリスでプロデューサーを始めたころは、女性は少なかった。
アバウトだから女性プロデューサーが少ないことも知らなかった。知っていたら怖くてできなかったでしょうね。知らない強みです。
カズオ・イシグロさん(右端)と=吉崎さん提供
カズオ・イシグロ作品も開発中
--日本でも女性プロデューサーはまだ少ない。
プロデューサーといっても、日本は会社に属している人が多い。会社が作るものをうまくまとめる。苦労して資金を集めたり、シナリオを書かせたりといったことは、そんなにないのではないか。プロデューサーというより、プロダクションマネジャーみたいなもの。自分の会社を持ってプロデュースしているのは、今でもほとんど男性ではないか。
昨年亡くなった映画プロデューサーの原正人さんが、「道代は自分の好きなものが作れていいよね。僕なんか、原作ものを作れと言われて作るしかない。うらやましいよ」と言っていた。
--現在、企画として温めている作品はどのくらいあるのか。
「リエンチャントメント」という「エリン・ブロコビッチ」(2000年)よりさらに面白くなりそうな作品を開発中だ。英国女性のマリが熱帯雨林の部族と協力し、汚染水を垂れ流して健康被害をもたらしたブラジルの国営石油会社と闘って勝つという実話。温暖化という人類共通の問題を、実在する女性の視点から描いている。マリと映画化権利契約を交わし、シナリオ段階だが、既にハリウッドのメジャースタジオも興味を示している。ほかにも「夜想曲」というカズオ・イシグロの本の映画化など、進行中のものが何本もある。
■吉崎道代(よしざき・みちよ) 映画プロデューサー。大分県出身。高校卒業後、イタリア・ローマの映画学校に留学。1975年に日本ヘラルド映画に入社。欧州映画の買い付け業務に携わり「ニュー・シネマ・パラダイス」などを配給。大ヒットした「ラストコンサート」(76年)のプロデューサーも務める。92年に映画製作会社NDFジャパンを設立。「裸のランチ」(91年)、米アカデミー賞を受賞した「ハワーズ・エンド」「クライング・ゲーム」のプロデューサーを務めた。95年には英国にNDFインターナショナルを設立、「バスキア」(96年)、「タイタス」(99年)、「チャイニーズ・ボックス」(97年)などのヒット作を製作した。現役のプロデューサーとして活躍中。