「ブルーイマジン」©Blue Imagine Film Partners

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2024.3.05

「ブルーイマジン」で監督デビューをはたす松林麗、私の名画4選「ダンサー・イン・ザ・ダーク」他3本と自作について

公開映画情報を中心に、映画評、トピックスやキャンペーン、試写会情報などを紹介します。

松林麗

松林麗

初めてメガホンをとった「ブルーイマジン」が3月16日に公開になる松林麗監督が、「私の名画4選」と自作について寄稿してくれました。


「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(2000年)ラース・フォン・トリアー監督

父親が帰宅し、今日は何の映画を紹介してくれるのかと思ったら「ダンサー・イン・ザ・ダーク」だった。この映画は喜劇だと言い張る父に、どうみても悲劇だろうと子供ながらに訴えたし、怒った記憶がある。

小学生の頃、学校では同年代の子らとは話が合わず、教室では沈黙していた。失語症とは言わないが、家族と過ごす時間の中で繰り出される名画座ならぬ〝松林座〟で昨日見た映画話は彼らには通じない。「『未知との遭遇』みた?」「『2001年宇宙の旅』みたことある?」と言っても話が合わず。けれど、そんな映画の存在は、いつも私の心のよりどころになっていた。こんなに素晴らしい映画に出逢(あ)えていないなんて・・・・・・。人生、損をしている。時折、同年代の友人たちを上から見下してしまう事にも・・・・・・。
 

「女と男のいる舗道」(1962年)ジャンリュック・ゴダール監督

 ―12景からなる映画と、哲学―

女優を夢見て夫と別れ、パリに出るも、希望なきレコード店員を続けるナナ。断髪のカリーナがジュークボックスでかれんに踊り、11章では哲学を語り合う。

私がゴダールに出逢ったのは高校時代。自らの意志でSHIBUYA TSUTAYAで直感を信じて借りたDVDが「気狂いピエロ」(65年)だった。アンナ・カリーナ演じるナナの横顔、真正面、彼女の細部をオープニングで断片的なカットから。ヒロイン・ナナの生きる哲学を彼女なりに歩んでいく。終始モノクロの作品であるのに、今でも鮮やかに記憶を彩る。

タイトル通り、女と男のいる舗道には線引きがある。ナナは娼婦であるが、人生を謳歌(おうか)しているようにも感じられる。うつろなまなざしも、無邪気でキュートでかっこいい。劇中「裁かるゝジャンヌ」と自分自身を投影し、涙するナナに思わず共鳴してしまう。「ジュディ・ガーランドはないわ」レコード店で働くナナには〝ドロシーのような魔法の靴はないの〟と代弁しているかのよう。まさに人生を描いた映画だと思う。因果関係では語れない、哲学と人生におけるすべてが詰まっているのが、私にとってのゴダール。

映画の中で「真実は誤りのなかにある」というフレーズがある。時折、フレームを見つめるナナの視線が切ない。顔も髪もひどいと男から言われ、無邪気に笑みをこぼしてしまうナナがいとおしい。外では銃声が聞こえる。身長を測る姿はなんともチャーミングなリズム。これはアンナ自身が考えついたアドリブだろうか? ゴダールによる演出なのだろうか。

―ライプニッツのモナド論 予定調和 ドイツ哲学 現実は矛盾も可能な世界として認識されうる 愛は常に真実であるべきだ 真実であれば 愛は解決になる―(11.シャトレ広場 ― 見知らぬ男 ― ナナは知識をもたずに哲学する 抜粋)
 

「ピアノ・レッスン」(1993年)ジェーン・カンピオン監督

「ピアノ・レッスン」は禁断の官能恋愛映画だ。主人公のエイダにとってピアノと娘が唯一の生きがいであり、妻を飾りのように扱う旦那スチュアートにはザ・家父長制! 生々しい。一方、のちに不倫相手と化すベインズとのピアノ・レッスンの誘い方は今ではセクハラなのではないか・・・・・・とは終始、感じるのだが。

女性の生きづらさ、残酷さ、不倫に揺れ動くエイダの心のキビと、惹(ひ)かれていくサマはひやひやするし、苦しい。いつの間にかベインズに心惹かれていくのは大人になっても私には分からないのだが。

ホリー・ハンターの繊細かつ身体の動きが、とにかく素晴らしい。ホリー・ハンターの存在はデビッド・クローネンバーグ「クラッシュ」(1996年)で奇妙な身体のしなやかさに心奪われた。声、言葉を失ったエイダの凜(りん)とするたたずまい・・・・・・そして鉄のようなまなざし・・・・・・美しい・・・・・・!

ピアノの旋律と、駆け引きとの運命の残酷さが胸に刺さった頃、やはり旦那の琴線に触れたあの場面は、あまりにもトラウマに残る。こんな人生があるならば、私はまだ大丈夫だ、と。これまで描かれてきた悲劇のヒロインたちは心の闇と社会の闇とを反映させている。重くのしかかるような胸に鬱屈を与えるような映画と自分を重ね合わせて、映画は芸術の域を潜めて生き続ける。学校では教えてくれない人生の教科書だから。

―音の存在しない世界を満たす沈黙 音が存在しえない世界の沈黙が 海底の墓場の 深い深いところにある―(劇中から抜粋・ラストのせりふ)
 

「洲崎パラダイス赤信号」(1956年)川島雄三監督

「洲崎パラダイス赤信号」はまず、原作が素晴らしい。芝木好子原作の芸術と恋愛の相克に苦しむ女性の生き様は、現代の女性活躍時代には今こそふさわしい小説の数々なのかもしれない。

大学生の頃、進路に悩んでいた私は洲崎パラダイスに出逢った。モノクロ映画であり、古い映画というだけで、ほとんどの若く俳優を志す者たちは避けがちなのだが、81分と長さもちょうど良いのに加え、本当に面白い。ただ面白いというのでは味気ないまとめにはなるが、人間の弱さ、という場面では作り手の優しいまなざしが感じとれる。

蔦枝を演じる新珠三千代さんは、色気も可愛げも、どこかおちゃめで放っておけない。凜とした強さと、柔らかい口調。いつか蔦枝さんとおしゃべりがしたいなぁなんて想像していたり。そんな三千代さんへのオマージュ、リスペクトとして、映画「ブルーイマジン」に登場する巣鴨三千代は新珠三千代さんへのオマージュでもある。まだまだ足元にも及ばないが、そんな日本映画に彩りを与えてくださった逞しく美しい女優達への賛歌も込めて。
 

「ブルーイマジン」(2024年)松林麗監督


「わたしたちが沈黙させられる いくつかの問い」(レベッカ・ソルニット/著)

 ―決意と目醒(ざ)め、心の傷とどう向き合うのか、変身する勇気を持たないと、人は本当の傷つきから回復ができない―。

人は過去のトラウマとどう向き合うのか。漠然とした質問をよくされるし私自身、何度も何度も心の葛藤、闇に訴えかけてきた。性暴力を受けた人はそれが被害だったことに気付くまでに時間がかかると言われる。事実、本当に深いトラウマというのは50年たたないと語ることができないと社会学者の上野千鶴子さんもおっしゃるように、女性たちの戦いは常に戦争なのだとレベッカ・ソルニットも論じ続けている。

私は映画「ブルーイマジン」には希望と救いを物語のゴールとして、監督としての向かうべき解決を提示したかった。完全にクリーン、完全にブラックなどがこの世の中にはないわけでグレーの色味にだってさまざまな色があるのだ。「みんな違って、みんないい」金子みすゞさんの詩はシンプルかつ的確だ。複雑な心の葛藤から逃げないで向き合うことには痛みが生じる。だが、我々は考え続けなければいけないし、勉強をし続けなければいけない。そして、変化を恐れない勇気を持つことが大切なのだ。

主人公・乃愛(のえる)は同じ痛みを持つ人たちとお互いを承認しあい、時に俯瞰(ふかん)しあい、助け合う。過去は変えられないけれど、過去の意味は変えられるはず。

ライター
松林麗

松林麗

俳優として「1+1=11」(2012年)や「飢えたライオン」(17年)への出演や、「蒲田前奏曲」(20年)の製作・出演、「愛のまなざしを」(21年)では、アシスタントプロデューサーも務め、直近では「緑のざわめき」(23年)への出演とコプロデューサーを務めた。「ブルーイマジン」にて監督デビュー。

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