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2024.2.16
描かれなかった移民の〝もう半分〟 悲劇だけでない、人間性と愛の物語「Here」「ゴースト・トロピック」 バス・ドゥボス監督
ブリュッセルの移民社会を背景にした「ゴースト・トロピック」(2019年)、「Here」(23年)の2本が日本初公開中のバス・ドゥボス監督。ベルリン国際映画祭やカンヌ国際映画祭で喝采を浴びるなど世界の映画界でも一作ごとに熱い注目を集めている。まさに、映画好きにとって注目度急上昇中の映画作家である、次代を担うであろうバス・ドゥボス監督が、自身の映画作りの考え方、物語や映像へのこだわりをたっぷりと語った。
多人種、多国籍の都市ブリュッセル
2作とも「ヨーロッパの縮図、交差点」と呼ばれるブリュッセルの話である。「格別で特異な場所。移民も含めさまざまな人種、国籍の人が暮らす最も多様な都市だ。映画を作るうえで舞台になるのは必然だった」。ドゥボス監督も住んでいる。「特に面白い場所にしているのは言語。最初のコミュニケーションが『あなたは私の言語が理解できますか』から始まることが多々ある。そんなところはあまりない」
ドゥボス監督自身はいかにも〝ヨーロッパの人〟だが「出身はブリュッセルではなく、ベルギー北部。移民でも、ブリュッセルで育てばブリュッセルの人。そういう街で、そこが何より興味深い」と話す。
困難に直面しても、それだけではない
ブリュッセルは移民で成り立ち、2作とも移民を物語の中心に据えている。「これまでの移民を描いた映画やドラマは、暴力的な部分や悲劇的な部分をリアルに描くことが多々あった。実際に彼らの現実は不遇だが、そうした側面だけを取り上げたくなかった。今まで出会ったり取材したりした移民たちは、困難に直面している人ばかりではなかった。移民や移住がテーマになってはいるが、彼らが人間としてどんな物語を持っているかに着眼したかった」
「Here」の建設労働者と「ゴースト」の清掃作業員ら2作の登場人物は、裕福な暮らしには見えないが、といって悲劇的でもない。「移民に対して持っているイメージは、人間としての半分だけ。恵まれていなくても困難に直面していても、それがすべてではない。僕の感覚としては、もう半分は描かれてこなかった。(だからこそ)気概を持って映し出した」と語る。
「Here」=サニーフィルム提供
人への愛、世界の見方がテーマ
映画の素材やテーマに共通のものはあるか聞いた。ドゥボス監督はすぐに答えを口にした。「映画を作るのは、世界をどう理解するか、どう解釈するかをつかむための行為。芸術家にはそういう感覚の人が多いのでは」と話す。
日本未公開だが、長編1作目の「Violet」(14年)は親友が目の前で殺された高校生、2作目の「Hellhole」(19年)は16年に起こったテロ事件を題材にしたという。一見、公開中の2作とテーマが異なるように見える。
「(日本で公開中の)2作との間にテーマに変化はない。前2作は暴力やテロについて描いているかもしれないが、映画で暴力を描いているのではなく、暴力下にある世界や人を描いたつもり。今回の2作で愛を込めたように、最初の2作品でも人に対する愛、人が世界をどう見ているかをテーマにした」
対立ではなくつながり、共生を
今回の2作は物語に大きな起伏はない。ドラマチックな展開を否定しているかのようだ。しばらく「うーむ」と考えて語り出した。「我々はありきたりなストーリーにドラマ性を感じることに慣れてしまっているのではないか」。その中身はこうだ。「いわゆる古典的な展開では、問題が生じヒーローが現れ、克服しようとして最終的に勝つ。ヒーローは大抵、男性だ。そういうドラマは面白いかもしれないが、それが唯一の物語ではない」
「僕の映画は、まず対立を作っていない。描きたいのは人と人とのつながり、協調とか共生、共有することなどで、それらが人間にとっての本質ではないか。対立ではないはずだ」
2作ともカメラを据えてじっくりと人や場所、ものを撮り、思考や想像する時間を与えてくれる。「物語をどう伝えるか常々考えている。最近の映画はブルドーザーみたいなものが目立つ。大きな感情で話を進め、観客を一気に連れて行ってしまう」。言葉を選びながら続ける。「僕は大きな、高ぶるような感情を切り取りたいのではなく、観客とスクリーンの間で物語が展開されるのがいい映画だと思っている。自分の記憶や夢などを連想しながら、物語と接していけるような空間、ストーリーだ」
さらに、映画作りで心掛けていることの一つに「軽やかさ」がある。「重くて暗いものではなく、少しユーモアがあって、親しみを感じるかもしれない。ユーモアは絶望に対する最大の防御にもなるから。ただ、大切な何かを欠くことがないように意識している」。今回の2作にもクスッとする場面が幾度もあり、穏やかな空気に包まれる。
表現は新しい世界へのマニフェスト
「ゴースト」では冒頭の主人公の部屋、電車の中の主人公のアップなど長回しの手法が取り入れられている。その理由を尋ねた。「撮影で大事にしていることがある。映画は、キャラクターだけでなく空間や時間、ライト(光)を作り、一つの枠に入れることでできている。例えばロングテークには、被写体だけでなく時間の移り変わりが映っている。そのショットから現代性が分かる」
「Here」では苔(こけ)類の研究者と主人公が森を散策する。自然を取り入れた意図をこう解説する。「僕自身、自然が多い所で育ったし、自然が好きだ。それに、自然と向き合うことで現代社会を考えさせられる。例えば気候変動。人類は破壊され尽くそうとしている地球に暮らさなければいけない。映画監督として、表現は新しい世界を見たり求めたりするためのマニフェストに近い。自然や環境に関心を持つことは当たり前だ。そこから大きなイメージを得ることができる」
「ゴースト・トロピック」=サニーフィルム提供
16ミリフィルムは生きている
2作品とも16ミリフィルムで撮影されているのも特徴だろう。「映画の質感をすごく大切にしている。16ミリフィルムは生きている。撮っているものの現実性を描くには最適だ。デジタルでは僕が描こうとするものが死んでしまう」
「ゴースト」を例に具体的に語る。「夜を生き物のように撮りたかった。フィルムの粒子が演出してくれた。デジタルだと露出調整されてしまうが、フィルムの粒子のある暗闇は女性を包み込むブランケットのようになる。夜を危険なものとしてではなく、一人で歩いて帰る女性の相棒のように表現したかった」と躊躇(ちゅうちょ)はなかった。
「Here」では別の理由という。「苔や自然を撮影していて、有機物、常に動いているもの、生きているものを描くうえで、16ミリを採用することは論理的にも正しい選択だった」というのだ。
ドゥボス監督はサウンドデザインの重要性についても力説する。「音は一言でいうなら映画を生きものにさせる。映画の50%以上は音でできていると言ってもいいかもしれない。人(観客)のイメージを開かせることができる」
「Here」「ゴースト・トロピカル」のバス・ドゥボス監督=田辺麻衣子
詩のような映画を作りたい
映画でやってみたいことを聞いてみた。明瞭な答えが返ってきた。「何かをやってみたいという方向での映画作りはしない。どちらかというと、作る意味を考えて(表現を)探しているのが僕の映画だから」
最後に今、最も関心のあることを挙げてもらった。「この数カ月、自分の中にあるのは『詩』。詩のような映画を作りたいし、詩を読んだ時の感覚、感情が得られるような映画を撮りたい。ただ、必ずしも抽象的な映画という意味ではない。それが何か、どんなものになるかはまだ分からないけどね」と柔らかくほほ笑んだ。
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