「すべて、至るところのある」の リム・カーワイ監督(右)と尚玄=田辺麻衣子撮影

「すべて、至るところのある」の リム・カーワイ監督(右)と尚玄=田辺麻衣子撮影

2024.2.10

脚本なし、ハプニング歓迎 バルカン半島漂流3部作 リム・カーワイ監督と尚玄「すべて、至るところにある」

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鈴木隆

鈴木隆

〝シネマドリフター(映画の流れ者)〟の異名を持つリム・カーワイ監督の新作である。未知の場所を訪ね、その土地に生きる人々と出会い、瞬間を切り取る製作スタイル。その原点であるバルカン半島の国々で撮影された作品は創作性にあふれ、映画の〝国境〟をいとも簡単に突き破る力強さと味わいに満ちている。


不安定な場所 残る紛争の傷

「すべて、至るところにある」は、「どこでもない、ここしかない」(2018年)、「いつか、どこかで」(19年)に続く「バルカン3部作」の完結編だ。旧ユーゴスラビアの国が多数存在するバルカン半島で映画を撮ったのはなぜか。

「最も大きな理由は、ずっと紛争があり不安定な状態が続いた場所だから。宗教や民族の対立があって『ヨーロッパの火薬庫』と言われ、すぐに政治に利用され戦争が起きた」。リム監督がバルカン半島にこだわる理由を語る。

「今は平和に暮らし、過去の傷を忘れようとしているが、まだ彼らの心の中にそれは残っている。彼らと出会い交流する中で、ユーゴの戦争のことを誰も語らなくなり、取り残された人々に目もくれない現実を感じた。彼らが生きていく姿に心を動かされ、知らなかった文化との出会いがあった」。最初にバルカン半島の地を踏んだのは16年。バックパッカーとして旅をするだけだったが「その歴史や人々と接して映画にしたい」と考えたという。

映画監督ジェイ役で主演の尚玄もバックパッカーとして60カ国以上を回っている。コロナ以前は1年に1カ国以上訪れることを自らに課していたほどの旅好き。「バルカン半島はずっと前から行ってみたい場所だった」という尚玄は「リム監督の作品に参加したこと、バルカンを訪れたこと。両方とも僕にとってはうれしかった」と話した。


「すべて、至るところにある」© cinemadrifters

バックパッカーの気分で

バルカンを舞台にした前2作同様、脚本は存在しない。「ハプニングが起きたらそれを取り入れたかった。ドキュメンタリーの態勢でフィクションを撮った」とリム監督。尚玄も「ブリランテ・メンドーサ監督の『義足のボクサー』(21年)も設計図程度の脚本のようなものはあったが俳優には見せないやり方。脚本なしの撮影に抵抗はなかった」と苦にしなかった。尚玄はリム監督の「カム・アンド・ゴー」(20年)や「あなたの微笑み」(22年)にも出演し、リム監督の手法を理解していた。「リム監督も僕も旅程を決めないバックパッカーの旅が好き。トラブルを楽しめるから」

「流れを作ってその場でセリフをこう話してほしい、とお願いするケースが多かった」とリム監督が振り返る。尚玄も「ニューヨークでリアリズムの演技に感銘を受け、渡米して芝居を学んでいた時も、基本的に何かが湧き起こるまで何もするなと言われていた」と違和感は全くなかった。同時に「俳優は役に一貫性を持たないといけない。指示を得てから芝居までの時間が短かったので、違う筋力というか瞬発力が鍛えられた。この方法をしていたら怖いものなしでしうょね」と表情をやわらげた。

リム監督は脚本なしの撮影についてこう語る。「少人数で撮り、お互いに信頼しあっている関係だから可能だった。面白いことはすぐに取り入れることができる。脚本に書いてしまうとそのイメージが前提になって、現場のハプニングを取り入れられない」。その上で「説明せずに直前に言えば、俳優は抵抗感なくやってれるし、効率的。事前に決めたものを変更するには時間がかかる。予算がない現場は何が起こるか予想できず、撮影場所のキャンセルなどにもすぐ対応できる」とほほ笑んだ。


総勢5人、車1台 みんな一緒にロケ地を移動

撮影部隊は5人。リム監督に尚玄とエバ役のアデラ・ソー、カメラマンと録音兼ドライバー。あとは現地の人が出演。アデラ・ソーは住んでいたマカオから撮影に合流し、1台の車でロケ地を移動した。「録音さんが通訳をしてくれたが、現地の人に合わせてセリフを作ったこともあった」とリム監督が話す。「現地の一般の方々は(戦時や戦後の)本当の体験を語ってくれた。劇映画を撮り終えてから何か足りないと思い、私は撮影後も残って取材をしていた。現地の人の話の内容が面白かったのですぐに映画に取り入れた。作品に厚みが加わった」と満足げに語った。

映画監督を演じた尚玄は、撮影の途中から「役とリム監督がダブるように思えてきた」と振り返る。最初は顔立ちから「メガネをかけるとパゾリーニのイメージ」と言われていたという。「リム監督からは『自分の物まねをする必要はない』と言われていたが、髪をかき上げる仕草だけはまねてみた」と笑顔でリム監督を見た。


戦争の慰霊碑のような巨大建造物

映画は、撮影の様子や現地の人との交流、ジェイ監督の失踪などが示されるが、ドラマチックな展開はほとんど感じられない。これまでのリム監督作品とその点も変わらない。「自然な演技、日常のささやかな事柄、心に響くことを描くスタイルは全く変化していない」というリム監督。尚玄も「リム監督と被写体との距離感は分かっていた」。感情が表に出るセリフもほとんどない。「人間は基本的に感情を抑制できる動物。感情の高まりが必要な場面があるなら出せばいいくらいの感覚」だったという。

作品中、世界遺産となっているモスタルの橋など多くの巨大な建造物(スポメニック)が何度も映され、登場人物や観客に衝撃を与える。旧ユーゴスラビアの時代に作られたモニュメントで全域に100以上あるという。「撮影で長距離移動したが、スポメニックが遠くに見えてくるたびに興奮した。巨大な建造物の前での人間の小ささを実感した。モニュメントは戦争や虐殺で亡くなった人々の墓、記念碑のような場所という。戦争を繰り返す人類の歴史の象徴でもあった。そこで撮影すると人間の孤独や無力感を痛感した」


田辺麻衣子撮影

戦争の傷を負いながら前向き

最後に、撮り終えて考えたことを聞いた。「沖縄出身で小さい時から沖縄戦のことを見聞きしてきた。祖父母も含め日本人は戦争のことをあまり語りたがらない」と尚玄が実体験を踏まえた思いを続ける。

「映画の舞台となった地域の人から、傷痕がまだ新しいこともあるだろうが、カフェみたいな場所で生の声を聞くことができた。自分の経験をずっと話していた。親しかった友人同士が、戦争の間に川の両岸で撃ち合いをし、戦争が終わった今ではそのカフェに集まっているとか。国民性かもしれないが日本ではあまり見ることのない光景だった。リム監督がここで撮りたかった理由の一つは、みんなが前向きに話をしていたからかもしれない」

バルカン3部作を撮り終えたリム監督。劇映画は10作目だ。大阪を拠点に香港、中国、バルカンなどで映画を製作してきた。「中国で落ち込むことがあり、中国では撮るのをやめた。バルカンで新しい出会いが生まれたから撮ることになった。3本撮って達成感はある。今は、久しぶりに(生まれた国である)マレーシアで映画を撮ろうと考えている。クアラルンプールの景色がすごく変わっていて」と新たな挑戦への思いを話してくれた。

ライター
鈴木隆

鈴木隆

すずき・たかし 元毎日新聞記者。1957年神奈川県生まれ。書店勤務、雑誌記者、経済紙記者を経て毎日新聞入社。千葉支局、中部本社経済部などの後、学芸部で映画を担当。著書に俳優、原田美枝子さんの聞き書き「俳優 原田美枝子ー映画に生きて生かされて」。

カメラマン
田辺麻衣子

田辺麻衣子

たなべ・まいこ 2001年九州産業大学芸術学部写真学科卒業後スタジオカメラマンとして勤務。04年に独立し、06年猫のいるフォトサロンPINK BUTTERFLYを立ち上げる。企業、個人などさまざまな撮影を行いながら縁をつなぐことをモットーに活動中。

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