「福田村事件」の森達也監督=宮本明登撮影

「福田村事件」の森達也監督=宮本明登撮影

2023.8.27

「福田村事件」が描く歴史の闇 「自粛警察」に通じる〝群れ化〟人間の恐ろしさ 森達也監督「100年前の話ではない」

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井上知大

井上知大

関東大震災から100年の9月1日、「福田村事件」が公開される。震災直後にあった日本人虐殺事件を、「A」などのドキュメンタリーを手がけてきた森達也監督が映画化した。演出を巡って脚本を担当した荒井晴彦らと「いっぱいケンカした」と振り返りながら、「100年前の事件とは絶対に思ってほしくない」と力を込める。


震災直後、行商人9人が殺害

福田村事件は震災5日後の1923年9月6日、千葉県福田村(現野田市)の利根川沿いで発生した。香川県から訪れていた被差別部落の薬の行商人15人のうち、子どもや妊婦を含む9人が、自警団や村民らによって殺害された。

日本は10年に韓国を併合したが、19年に韓国で独立運動(三・一独立運動)が起こるなど、国内には後ろめたさと警戒心がまん延していた。震災直後、「井戸に毒を入れた」「朝鮮人が襲ってくる」といったデマによって日本人の自警団や官憲が多数の朝鮮人らを虐殺したことはよく知られている。しかし、日本人も犠牲となった福田村事件は、その凄惨(せいさん)さと背景の差別意識から、長年タブーとされ広く知られていなかった。


「福田村事件」©「福田村事件」プロジェクト2023

テレビ各局が難色示した歴史のタブー

森監督が事件を知ったのは約20年前。テレビのドキュメンタリー枠で10~15分の番組にしようと各局に企画書を書いて持っていったがことごとく断られたという。「理由を明確に言わない。『それは森ちゃん、難しいよ』って言われるくらいで。でも、朝鮮人虐殺だけでも難しいのに、被差別部落の問題までとなると余計にハードルが高いのだろうとは、なんとなく察しがつきました」

月日は流れたが、2020年にあった映画賞の授賞式で脚本家の荒井晴彦と知り合ったことで事態は急転する。互いに事件に関心を寄せて作品化を目指していたことが判明し、タッグを組むことになったのだ。製作資金は文化庁の助成やクラウドファンディングで集めた。


朝鮮人も中国人も社会主義者も殺された

映画は史実に基づくフィクションだ。森監督は、地下鉄サリン事件から間もない90年代後半、オウム真理教内での長期取材を行い、その実態に肉薄した映画「A」などのドキュメンタリー作品で知られる。立教大生の頃に8ミリの自主製作映画を作ったり、テレビ番組としてオムニバス形式の短編を撮ったしりした経験はあったが、本格的なフィクション映画は初めて。

森監督は「ドキュメンタリーでもフィクションでも、映像そのものに大きな違いはない。ただこれまでは私1人、もしくは数人のスタッフ程度だったのが、エキストラを含めると100人を超えるスケールになった。荒井さんらとやることで僕にはない発想の展開がいくつもあった」と手応えをかみしめる。

例えば震災直後、東京・亀戸署内などで社会主義者ら10人が虐殺された「亀戸事件」をストーリーに入れるのは荒井のアイデアだった。「震災では朝鮮人が殺されただけではない。中国人も日本人も、社会主義者もいろんな人が殺された。そういうことが重層的にあったというのは私も描きたかった」


説明セリフ巡り脚本・荒井晴彦と「さんざんケンカ」

井浦新、田中麗奈、永山瑛太、東出昌大といった、多くの映画やドラマで主役を務める人気俳優が顔をそろえ、それぞれのキャラクターを好演した。一方、当時の時代背景や社会情勢を役者のセリフで語らせる場面が目立ち、説明過多な印象を受ける。脚本によるところなのか。率直な感想を添えて聞いてみると、「全く同意見です。そこはさんざんケンカしました」と返ってきた。

「だって、教科書じゃないんだし。ドキュメンタリーも劇映画も、欠落が大事。映像の基本はモンタージュ。観客は、そのモンタージュの間のカットの割れ目を想像しながら見るわけで。それは映画全般で言えること。『並川市場事件が起きたけど……』とか、あんな(説明的な)セリフ要らないよって散々言ったんだけどダメでした。でも仕方ない。チームですからね」と振り返った。


リベラルが勝てない情念

物語は、朝鮮で教師をしていた澤田智一(井浦新)が、妻静子(田中麗奈)をつれて古里の福田村に帰ってくるところから始まる。澤田の旧友で村長の田向龍一(豊原功補)は温かく迎えるが、在郷軍人会の分会長である長谷川秀吉(水道橋博士)とはギクシャクし話がかみ合わない。前半部分では、小さな村の複雑な人間関係を含め、各家庭の日常が丁寧に描かれる。そして9月1日に地震が起きると、そんな普通の人々が群れを形成して変貌し、虐殺事件へと向かっていく。

史実を知った上で見る観客にとって、インテリな澤田と田向村長、裕福な家庭で育った静子は差別意識が薄く、一見劇中の良心として映る。でも彼らはヒーローには決してなれず、無力な人間として描かれている。

「あの時代は大正デモクラシーの頃。でも結局は『イケイケドンドン』の世相に押されて、日本は軍国主義へかじを切っていくわけですね。だから、リベラルは不安や恐怖を含む情念には勝てないということです」

インテリで頭でっかちな人間が正論を言ったとしても、切羽詰まった一人一人の感情や極論の前に無力となる――。そんな瞬間は、現代にも往々にして起こる。


他者への不安と恐怖が生む攻撃性

今の日本社会を思い浮かべずにはいられない。特に震災直後にデマを根拠に結成された各地の自警団は、2020年以降のコロナ禍で感染対策に消極的な人や店に嫌がらせをした「自粛警察」と重なる。

「作品の解釈を押しつけるようなことはしたくないが、もちろん意識にはあった」と森監督。「(事件を)100年前のことにしたくなかった。自衛の意識が、自粛警察や震災後の虐殺にもつながる。そして、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有を巡る話だって、『他国に攻められたらどうするのか』という不安と恐怖が根底。つながっている」


「私」から「我々」に 集団心理という宿痾

森監督が常々訴えているのは、人は群れ化、集団化したときに変質し攻撃性が表れるという恐ろしさだ。人間という生き物は、群れを形成し社会性を身につけたことで繁栄した。しかし、群れは、同質であることを求め、異物、異質なものを排除する性質を持つ。そうした問題意識の原点は、オウム真理教の取材にあるという。

「オウムの信者だって、一人一人と会話すれば、優しく温厚な人たち。でも、集団化し、いざ教祖に指示されたとき(サリンをまくなどの)虐殺行為をするわけです。虐殺は一人じゃできない。戦争はその最終的な形だけれど、そういう点では人類の宿痾(しゅくあ)と言える。主語が変わっていくと恐ろしい変質をとげる。『私』という一人称単数の主語が、『我々』という複数形に主語が変わるときが最も恐ろしい」

そして森監督は、福田村事件や他の虐殺事件と宗教を背景にしたオウムの一連の事件とを「同じように語れない部分がある」としながら、「善良なまま、優しいまま、その人が変わってしまうというところは共通しているかな」と指摘する。「歴史を直視して、反省しなければ人間も国も成長はない。映画で描いたのは、100年前の出来事ではない」

ライター
井上知大

井上知大

いのうえ・ともひろ 毎日新聞記者

カメラマン
ひとしねま

宮本明登

毎日新聞写真部カメラマン

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