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2023.12.11
ギャスパー・ノエ 認知症の母介護、脳出血で死の淵、コロナ禍……壮絶体験語る
「病」と「死」。誰もが直面する切実なテーマにフランスの鬼才、ギャスパー・ノエ監督が向き合った。「VORTEX ヴォルテックス」は認知症を患う妻と心臓病を抱える夫、2人の最期までをスプリットスクリーン(2画面分割)を取り入れて描く。来日したノエ監督は言う。「これまで、詳細に認知症が描かれている映画を見たことがなかった」
夫婦に近づく最期の時
映画評論家の夫と元精神科医で認知症を患う妻。離れて暮らす息子は、2人を心配しながらも家を訪れ、金を無心する。心臓に持病を抱える夫は、日に日に重くなる妻の認知症に悩まされる。そして、夫婦に最期の時が近づいてくる――。
「この映画を見て、何も言わずに途中で帰ってしまった友人がいた」と監督は振り返る。「時間がたってから電話がかかってきて『今、家の中で直面していることをそのまま映しているから、あのときは言葉が出てこなかったんだ』と」
ノエ監督の「アレックス」(2002年)は、激しい暴力描写で賛否を呼び起こしながらフランスでスマッシュヒットを記録。「CLIMAX クライマックス」(18年)では、過って合成麻薬LSDを摂取してしまったダンサーたちの精神が次第に崩壊していく様を描いた。「思いきり泣けるような映画」を意図したという今作は、少々趣が違う。
「VORTEX ヴォルテックス」© 2021 RECTANGLE PRODUCTIONS – GOODFELLAS – LES CINEMAS DE LA ZONE - KNM – ARTEMIS PRODUCTIONS – SRAB FILMS – LES FILMS VELVET – KALLOUCHE CINEMA
「ウンベルトD」と母のみとり
というのも、映画に描かれた状況が監督自身と響き合うからだ。強く印象に残る映画があるという。10歳ごろに見たというイタリアのビットリオ・デ・シーカ監督の「ウンベルトD」(1952年)だ。「おじいさんが貧しくて犬に餌も与えられなくなり、恥じて犬を殺そうとする。悲しい映画です」
そんな記憶の源流に加え、自身の母の重い認知症があった。「10年ほど前、母が82歳のとき、1年くらい(故国の)アルゼンチンに戻り、亡くなるまで父とともに面倒を見ていました。この映画で描かれているよりもっと深刻で、周囲に対して恐怖心があったり、いろんなことが気になったり、症状はひどいものでした」と言う。
さらに自身の病もあった。4年前に脳出血を経験。医師からは「もしかしたら死ぬかもしれない、生き残ったとしても何かしら障害が残る可能性もある」と言われたという。「生還し、幸運なことに障害は残っていないと思いますが、その後、新型コロナで身近な人を3人亡くしたからか、ずっとお葬式のような気分でした」と振り返る。「次は『老人が死んでいく映画を撮りたい』と思ったのは、私にとって自然なことでした」
企画から5カ月でカンヌ出品
夫役を演じたのは、ホラー映画のカリスマ監督、ダリオ・アルジェントだ。撮影当時80歳。人生初の映画主演となった。一方、元精神科医で認知症を抱える妻役はフランス映画「ママと娼婦」(1973年)の「娼婦」ベロニカ役で本格的な映画デビューを飾った伝説的な女優、フランソワーズ・ルブラン。撮影は2021年、新型コロナによるロックダウン(都市封鎖)の時期に行われた。
「クライマックス」のプロデューサーとは「登場人物が2、3人程度で、1カ所での撮影なら映画が作れる」という話をしていたという。ちょうど、10ページほどの台本を書いており、アイデアがはまった。「準備に1カ月、撮影に1カ月ちょっと、編集に2カ月くらい。開始から5カ月後にはカンヌ国際映画祭のコンペに出していた」という短期集中製作だった。1カ所で、時系列に沿って撮影したことも異例だ。登場人物の状況が悪化していく中で、全員の即興スキルは上達していった。
即興演技が生んだリアリズム
登場人物が「本物らしく」見えるよう苦心した。特に難しかったのは、妻役のルブランだった。「彼女は身近に認知症の人がいなかったから、どういうものかあまり知りませんでした」。ドキュメンタリーに加え、自身の母の映像も見せた。ルブランからは「お母さんを演じてほしいのか」との質問があったが、答えは「否」。
求めたのは、あくまで認知症の人がどんな動き、表情、話し方をするのかを知った上で、即興で演じることだった。「はっきりしゃべらずつぶやくように、何を言っているのは聞き取れないようにやってほしい。必要なら後で字幕を付ける」とまで伝えた。
シリアスだけど温かい
ノエ監督は「生きる」(52年、黒澤明監督)、「楢山節考」(58年、木下恵介監督)、「心中天網島」(69年、篠田正浩監督)など、日本映画好きという。日本映画が本作に影響を与えた部分はあったのだろうか。
「脳を手術した後、すぐコロナ禍でのロックダウンで家の中という状況があった。溝口健二の映画はDVDで手に入るものは全て見た。その後は木下、成瀬巳喜男と、50~60年代の日本の映画をたくさん見た。改めて『ウンベルトD』も見た。それらシリアスだけど人の温かさも感じられる映画がすごく好き」
静かに、確実に、妻の症状は進行し、日常生活がままならなくなっていく。人の死に様を正面から、淡々と描く。ノエ監督の新境地だ。