「影武者」を撮影中の黒澤明監督=北海道厚真町で1979年10月、平嶋彰彦撮影

「影武者」を撮影中の黒澤明監督=北海道厚真町で1979年10月、平嶋彰彦撮影

2023.11.30

第5回 「影武者」撮影秘話「勝新だったら……」 間近にみた黒澤明 

「ゴジラ-1.0」がヒット街道をばく進している。山崎貴監督は1954年公開の「ゴジラ」第1作を強く意識し、終戦直後の日本に「戦争の象徴」としてのゴジラを登場させた。初代ゴジラの生みの親の一人、本多猪四郎監督が1992年10~11月のロングインタビューで語った半生と映画への思いを、未公開の貴重な発言も含めて掲載する。「ゴジラ-1.0」を読み解く手がかりとなるコラムと合わせて、どうぞ。

神保忠弘

神保忠弘

――「影武者」は、黒澤監督が「どですかでん」以来10年ぶりに日本で製作する作品だった。武田信玄の死を隠すため、弟信廉(のぶかど)らが立てた影武者の運命を描く。当初、勝新太郎主演で企画されていたが、準備中に自身も監督経験のある勝と黒澤監督の演出方針が対立し、勝が降板。仲代達矢に交代した。
 
はじめは「乱」を作ろうと思ったんだけど、東宝が「今の時代、こんな映画を撮っても客が入らない」と言うものだから、じゃあ客が入るような作品を作ろうということになって書いたのが「影武者」の脚本(ホン)なんです。信廉が兄さんにそっくりなんで影武者をやっていたという話があった。それをヒントに話を作っていった。


北海道厚真町の勇払原野で映画「影武者」を撮影中の黒澤明監督=北海道厚真町で1979年10月、平嶋彰彦撮影

初めはね、信玄と信廉を勝新と若山富三郎の兄弟でやろうという話だったんですよ。それが富三郎に話を持って行ったら「あいつ(勝新)と映画は作れない」って断られてしまった。昔、一緒に映画を撮った時に何かトラブルがあったんだろうなあ。それで信廉は山崎努君でやることになった。メークをすれば何とか似るだろうという考えでね。
 
けれど結局は、ああいう形で勝新は降りちゃったのだけれども……。映画を作る時は、監督が絶対でなきゃいけないんです。だから勝新がああいうことを言い出した以上(一緒に)映画は撮れません。ましてクロさんの映画だもの。
 
しかし確かに、もともと勝新を念頭に置いて書かれた脚本だから、本当は勝新のほうが良かったことは間違いない。仲代(達矢)君もよくやっていたけれど、影武者の、あの野卑な感じとか、ああいうのは勝新のほうが良かったと思う。また、そのほうが映画の出来も良くなっただろうし、客の入りも2、3割は良かったかもしれない。勝新も「影武者」に出ていれば、その後も違ったかもしれないよ。
 

成城学園の駅から呼び戻した隆大介

――黒澤監督は「影武者」の配役を決めるにあたり、大規模なオーディションを行った。演技経験の有無を問わず、1万人以上が応募。この中からアウトドア商品の販売などを手がけていた油井昌由樹が徳川家康役に、仲代達矢が主宰する無名塾の塾生だった新人、隆大介を織田信長役に大抜てきした。
 
「影武者」でスタッフや役者を一般から募集したのは、日本映画になくなっていた「人を育てる」ということを、クロさんが自分の力でやろうと思ったからですよ。オーディションは大変でしたよ。そりゃ、何千人という人間と会って、その人の中身を見なければいけないんだから。
 
隆大介君なんかもね。(本人も)まさか受かると思わないで来ていたんだから。オーディションが終わった後にね、「最後にやった彼、面白かったんじゃないか」ということになって「もう一度、呼び戻そう」となったわけですよ。ところが隆君、もう仲間と帰った後でね。あわてて成城学園の駅まで呼びに行って、もう一度、演(や)ってもらった。それでOKということになったんです。
 
クロさんには、もともと既存の役者にないものを求めるというところがあるんです。「トラ・トラ・トラ!」(70年)で、山本五十六の役を企業の社長にやらせようとしたのも、実際に何十人、何百人と使っている人じゃないと(連合艦隊司令長官という)雰囲気は出せないという考えなんだな。役者の中には実際、それだけの人を動かしている人はいないのだもの。「影武者」で家康をやった油井(昌由樹)君にしたって、彼は自分でスポーツ用品の店なんかをやっているんだ。それも外国から特別な機器を輸入して、なかなか工夫してやっている。そういう人材だから、不思議な味を持っているんだな。役を演じるというよりも、その人の中から出てくるものみたいなものをクロさんは引き出したいんだと思う。


第62回アカデミー賞の授賞式で特別賞受賞の黒沢明監督(中央)。右はスティーブン・スピルバーグ、左はジョージ・ルーカス監督=AP 

「乱」「夢」も日本で資金が集まらなかった

けれど、こうして集めたスタッフやキャストに常に仕事を与えられればいいんだけれどね。黒澤プロでできればいいんだけれど、そんなに仕事はないし。結局、クロさんが映画を撮るときだけに集めるという形になっちゃう。「影武者」の時に募集した助監督――4人いるんだけど――彼らなんか、クロさんが映画を撮る時は今でも必ず駆けつけてきますよ。しかし、それはその時だけで、またバラバラになっちゃう。
 
「影武者」の時に作った「五十騎の会」というのがあるんです。馬を使ったスタントのために集めた50人のことなんだけれど、彼らにしても仕事がなかなかないから、だんだんと減ってしまってねえ。「乱」の時には、もう「三十騎の会」だなんて冗談を言っていたけれど、今じゃ「二十騎の会」かもしれない(苦笑)。とにかく仕事がないことには、どうしようもないからねえ。
 
――黒澤監督は東宝を離れてからも「用心棒」「赤ひげ」などヒット作を連発して世界的巨匠となっていたが、日本映画界では製作体制も予算も規格外で、60年代後半には映画が撮れなくなっていた。70年の「どですかでん」の後、75年にソ連に招かれて「デルス・ウザーラ」を撮影。「影武者」は巨額の製作費集めが難航し、フランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカスがプロデューサーとして参加して資金を調達した。「乱」(85年)はフランスとの合作、「夢」(90年)はスティーブン・スピルバーグが製作に加わった。
 
いま監督の名前で製作費が集まる人なんて、ほとんどいないでしょう。クロさんは、その数少ない一人だけれども、そのクロさんにしたって、日本じゃとても資金が集まらず、「乱」にしたって「夢」にしたって、外国資本で撮っているわけだし。この前、クロさんについていた助監督の何人かが「今度、今村(昌平)組に行きます」と言っていたんだが、結局、資金ができなくて計画自体がなくなってしまったらしい。今村君にして、そうなんだからなあ。
 
とにかく日本の映画はマーケットが狭すぎる。だから収益だって限られているし、どんどん仕事が小さくなる。その点、アメリカは世界が市場だから、大きなお金をかけられる。これからの若い人は世界を相手に作品を作らなくちゃいけませんよ。今はクロさんだけでしょう、日本人で外国に作品が売れる監督は。そういう人がもっと増えなくちゃいけません。


1998年11月、黒澤明監督の愛馬で「影武者」「乱」で主演の仲代達矢が騎乗した「夢号」が、「夢」のロケ地、北海道女満別町に寄贈された=山田泰雄撮影

死ぬまで映像に関わりたい

――本多監督は「メカゴジラの逆襲」(75年)を最後に自身の監督作はなかったが、意欲は持ち続けていた。
 
いま、具体的な新作の構想はないけれど、撮るとしたら自然や環境問題を世界的な規模でとらえた映画を撮りたいですね。内容はペシミスティックになってしまうと思うけれど、ラストは希望の残るものにしたいね。
 
あとハイビジョンには興味があります。今はまだ、フィルムに比べてカラーの幅が落ちるから、表現力は落ちると思うけれど、技術が進化すれば、例えば東京のスタジオに役者を置いて、北海道の情景をライブで合成するなんてこともできるようになるかもしれない。あとはCGとか、新しい技術には興味があります。新作を撮るなら、ああいうものを生かして撮ってみたい。クロさんの映画でもアメリカの特撮技術なんかを積極的に取り入れていますが、僕はその打ち合わせに何回も参加しましたよ。
 
サインを頼まれると「随処作主 立処皆真(ずいしょさしゅ りっしょかいしん)」と書きます。「どんな場所(仕事)でも主体性を持ってあたれば、その人のいるところに真実がある」という意味です。出典は禅の本か何かじゃなかったかな。たとえ押しつけられた仕事でも、嫌だと思うんじゃなくて「さあ、どうやろうか」と自分の考えを持って臨めば、きっと成果が得られるというふうに解釈しています。まあ、僕の仕事はそういうパターンが多かったからね(微笑)。
 
引退ということは考えたことがないなあ。お客さんのほうが「もう、お前の映画は見たくない」と言えば別だけど、それまでは死ぬまで現役ですよ。とにかく、映像というものには関わり続けますよ。

ライター
神保忠弘

神保忠弘

じんぼ・ただひろ 毎日新聞社元運動部長、元同部編集委員。仕事につながっていた昭和のプロ野球をはじめ、昭和の芸人、昭和のプロレス、昭和のマンガ、そして何より昭和の特撮を愛する「昭和40年男」。

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  • 北海道厚真町の勇払原野で映画「影武者」を撮影中の黒澤明監督
  • 北海道厚真町の勇払原野で映画「影武者」を撮影中の黒澤明監督
  • 「夢」撮影の合間に、出演者の笠智衆、寺尾聰とくつろぐ黒沢明監督
  • 1998年11月、黒澤明監督の愛馬で「影武者」「乱」で主演の仲代達矢が騎乗した「夢号」が、「夢」のロケ地、北海道女満別町に寄贈された
  • 隆大介
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