「海の沈黙」脚本家、倉本聰

「海の沈黙」脚本家、倉本聰内藤絵美撮影

2024.12.10

「海の沈黙」倉本聰 脚本の〝師匠〟は喫茶店のアベック⁉ 「高倉健に通じる〝間〟を学んだ」

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ひとしねま

屋代尚則

「前略おふくろ様」「ライスカレー」「北の国から」。近年では「やすらぎの郷」――。テレビドラマで昭和、平成の時代を描き続けてきた脚本家の倉本聰。最新作「海の沈黙」(若松節朗監督)は、構想を長年にわたって温めてきたという。まもなく卒寿を迎える大家はしかし、「集大成」というあおり文句を受け流し「まだ書きたい」と意欲を見せる。若き日のシナリオ作りの〝師匠〟、富良野での創作活動を語る内容の随所に「信念」がほとばしっていた。


1960年「永仁のつぼ贋作事件」がベース

「海の沈黙」は、倉本のオリジナル脚本。実際にあった事件が物語のベースになっている。1960年、「永仁のつぼ贋作(がんさく)事件」と呼ばれる騒動が起こった。「鎌倉時代に作られた」と伝えられるつぼがあったが、当時、存命だった美術家が「自分が作った」と突如名乗り出た。つぼは重要文化財に指定されていたが、その後、指定を取り消された。

倉本は東京大文学部で美学を学んだのち、ラジオ局のニッポン放送に入社した。前述の事件が起こったのは入社後。当時20代半ばだった倉本は「永仁の壺異聞」という題でラジオドラマを制作し、同年11月に放送。脚本は別の作者に委ね、演出を担った。

鑑定家の一言で価値下落「おかしい」

倉本はその頃からずっと、こんな思いを抱き続けてきた。「きのうまで美しいと認められていたものが、うそだと分かると、一日でその価値が下がってしまう。そのことに非常に疑問を感じましてね。『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京系)という番組がありますよね。ある家が『家宝』として長年持っていたものが、鑑定家が『作られた時代が違う』と言うと、価値が失われる、というような。変じゃないか、と僕は思ったんです」

「美術だけじゃない。例えばミシュランが選んだ三つ星レストランの料理もそうでしょう。ある人が一日肉体労働をして、その後に食べる料理はものすごくうまいと感じるはず。学者が、鑑定士が、『価値がない』というと、その価値が潰されてしまう。それはいったいどうなのかという思いは、僕の頭の中からずっと抜けなかった」


「海の沈黙」©2024 映画『海の沈黙』INUP CO.,LTD

評価は主観で決まるはずだ

「海の沈黙」はこんな話だ。東京の美術館で有名画家、田村修三(石坂浩二)の作品が展示され、本人が会場に足を運んだ。田村は一枚の絵に驚く。「私の絵じゃない……贋作だ!」。展覧会の主催者たちは、混乱が起こらないよう、会の終了までその事実を伏せてほしいと懇願する。しかし、田村は自ら記者会見を開き、贋作だと世に明らかにした。その贋作を巡る裏には、天才と言われながら表舞台を去っていった画家、津山竜次(本木雅弘)の存在が見え隠れし……。

作品を通して見る側に問いかけたいのは、こんな思いだ。「今は、いくらと評価されたから価値がある。そんな基準ができてしまっている気がする。それがずっと気になってきた。美も、うまさも、評価は主観でするものだと思うんです」

貯金7万円 トラック運転手転職寸前

何よりも倉本自身が、自らの「主観」を大切に生きてきた人だ。70年代、NHK大河ドラマの脚本を巡る降板騒動がきっかけだったが、東京から北海道の札幌に移り住む。そして「豊かな自然の中で暮らしたい」(倉本聰「見る前に跳んだ」日本経済新聞出版社)と富良野に移住した。現在も富良野に居を構える。倉本は東京生まれである。東京以外に拠点を置く脚本家は他にもいるが、倉本のように東京から離れた地で生活するのは異例だ。

「こうすればこうなる、という先のことは考えていませんでしたよ。北海道に移住しようとしたときも、東京に残してきたカミさんから『貯金が7万円しかなくなっちゃったんだけど』と言われて。その会話は『……けど』で終わったんだけどね(笑い)。(大河ドラマの脚本を途中降板し)シナリオの仕事は干されたから、タクシーの運転手をしたいと相談したら『きみの顔はタクシーに向かない。トラックがいい』って、トラック運転の免許を取ったんです」。ただその頃、フジテレビの制作者から、新作ドラマの脚本を書いてほしいと声がかかる。その後の名作ドラマの数々は、北海道の仕事場から紡がれていった。



学生時代には喫茶店で〝盗聴〟

若き日の〝師匠〟の存在も、倉本は明かしてくれた。「僕にはシナリオの師匠というのはいないんですが。学生時代にシナリオの仕事を志した頃から、喫茶店に行って、アベックの話を『盗聴』するっていう趣味があったんですよ」。どういうことか。「盗聴していると、例えば男性は女性をホテルに誘いたがっている。女性は迷っている。その会話の中に『間』が、一番重要な『間』があったんですよね」

「極端に言えば、それは高倉健さんの間なんです。健さんは質問を投げかけられても、15秒ぐらい答えない場面がありました」。その話を聞いてから「海の沈黙」のシーンを思い返すと、本木が演じる主人公の津山をはじめ、登場人物が見せる「間」の取り方は、作品に余韻を与えている気がひしひしとする。その〝師匠〟は、名もなきアベックだったというのがクスリと笑える。


女性への〝欲望〟が原動力

長年の構想を映画という形で具体化した倉本。2025年1月1日で90歳を迎える。宣伝文句には「倉本聰の集大成的作品」とあるが、「ああ、あれ(集大成)はプロデューサーが書いたんでね。この作品は自分の一つの考え方だから。僕の書きたいことが全てこの映画にある、ということではないですよ」。そう言って笑ってみせた。

今の思いは。「人間の体って、衰えますね。僕の衰えは下半身からきているけれど、まだ、頭ははっきりしている。もう少し(作品を)書きたいって気は、ありますけどね」。そんな倉本の、自らを突き動かす原動力とは何だろう。答えはこうだ。

「その一つは(女性の)『色気』にひかれるからでしょうね」。それは女性の人気を得たい、女性に注目されたいといった思いなのかと尋ねると、ちょっと違うのだそう。ここでは詳しく書けないが、要するに人間に元々ある「欲」が源になっている、という話だった。

記者が印象に残った一言がある。「シナリオを書いている人間には、これで『十分満足がいった』という作品ができるということは、ないんですよね」。女性に血気盛ん(?)なだけではなく、いまだ完成の途上。そんな倉本の新作が、また見たくなってきた。

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ライター
ひとしねま

屋代尚則

やしろ・ひさのり 毎日新聞学芸部記者。1979年生まれ。2002年入社。学芸部でテレビ番組など放送分野の取材を担当。ネット配信のコンテンツに関する記事も手がける。

カメラマン
ひとしねま

内藤絵美

ないとう・えみ 毎日新聞写真部カメラマン

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