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2025.1.31
升毅 還暦超えた名バイプレーヤーの俳優観を一新させた〝あの監督との出会い〟
主役を食う存在感を見せる〝最高のバイプレーヤー〟升毅が、「美晴に傘を」(渋谷悠監督)で主演している。NHK連続テレビ小説「ブギウギ」、ドラマ「ショムニ」など、大企業の重役から昔かたぎの頑固オヤジまで多種多様な役をこなしてきた。半世紀に及ぶキャリアを振り返って、「以前は『こんなふうに見てほしい、認めてほしい』との〝欲〟が強かった」というが、10年ほど前のある出会いが、俳優観を変えたという。
後悔を抱えた寡黙な漁師
「美晴に傘を」で升の演じる善次は、ある後悔を抱えて生きる不器用な漁師。寡黙で心にふたをしており、本音が見えない。これまで演じた人物の中でも、異質だった。「感情を表には出さないけれど、ただ黙っているだけではだめ。自分が抑えている気持ちを伝えようとせずに、でも伝えないといけない」との矛盾するような演技を求められた。「瞬間瞬間で僕自身が感じたことを、役に重ねながら演じるのは、まるで実験のようでした」と振り返る。
過去を悔やみつつも生き方を変えられず、殻に閉じこもった善次。そんな彼の、情愛がにじむシーンがある。がんで亡くした一人息子・光雄(和田聰宏)の四十九日の法要を終え、一人で帰路に就く途中、詩人を夢見ていた息子が残した作品を口ずさむ場面だ。「言葉には何の価値もない」とけんか別れしたまま、息子を失った痛手がひしひしと伝わってくる。升にとっても「撮影前から楽しみだった」というシーンはぶっつけ本番、長回しの一発撮りだった。「息子への思いが初めてあふれ出る。どう表現しようかいろいろと考えたけれど、セリフを覚えようとしなくても、口から次々と言葉が出てきた。僕と善次の気持ちが一つになっていました」
孫にあたる美晴を演じる日高麻鈴とは初共演だった。「本読みの第一声を聞いた時に、『美晴がそこにいる!』と驚きました。一緒にお芝居をすればするほど、安心感が増してきて、この人は天才だなと思いました」と絶賛する。聴覚過敏を持つ自閉症の美晴、美晴を守るのに必死の光雄の妻透子(田中美里)。「善次も透子も美晴も皆、〝普通〟とは違う人たち。だからこそ、良くも悪くも最近の作品には珍しいほどピュア」と分析する。共に生活をして「家族」となるうち、それぞれが成長し、自分たちを縛るものから解き放たれていく――。そんな3人の思いが一つになって物語の終盤、善次はある言葉を口にする。升は善次の思いを「自分を許すとは言わないけれど、ほんの少し前に進めたのかな」と推し量っている。
「美晴に傘を」©️2025 牧羊犬/キアロスクーロ撮影事務所/アイスクライム
思いつきで「役者になる」 デビュー後もアルバイト
心の奥底まで見透かすような力強いまなざし。一方、語り口は柔らかで、時折見せる笑顔は可愛らしくもある。このたたずまいが、人を魅了する存在感の理由なのだろう。毎日放送(MBS)に勤めていた父の影響で、芸能界は幼いころから身近にあった。ただ「淡い夢だった」という役者を本格的に志すのは、高校3年のときだった。「受験勉強が嫌で、進路指導の時に半ば思いつきで『役者になる』って言ったんです」。俳優を目指すにあたり、父からは現役で大学に合格し、4年で卒業することを条件に出された。「大学に行くつもりはなかったけれど、慌てて勉強しました。作戦大失敗ですよ」と笑う。
大学時代から劇団に所属し、20歳でデビューした。大阪を中心に活動し、舞台だけでなく1981年公開の映画「ガキ帝国」などの話題作にも出演したが、85年に演劇ユニット「売名行為」を結成するまでは、アルバイトに精を出す毎日だった。「この世界に入った時、自分のできなさにがくぜんとしました。コツコツやるので必死。気がついたら10年がたっていました」
その後、生瀬勝久や古田新太らとバラエティー番組でコントに挑戦するなど活動の幅を広げ、40歳になる95年、東京進出を果たした。「コントで瞬発力やアドリブ力が身についた。大阪での経験が今に生きている」と明かす。
佐々部清監督から「やり過ぎ、抑えて」
半世紀にも及ぶ俳優生活の中で、やめたいと思ったことは一度もないという。「作品ごとに新しい人との出会いがあって、新しい何かが生まれるのがこの仕事の醍醐味(だいごみ)。続けるコツもない。とにかく好きなだけですから」と語る升の俳優としての信条は「うそのない芝居をすること」だ。
そこに至ったのは、故・佐々部清監督の「群青色の、とおり道」(2015年)に出演したことがきっかけだった。当時、既に還暦を迎えるころのことでベテランだったが、「升さん、やり過ぎなんで、抑えてください」と何度も指摘された。「100人いたら、100人全員に認めてもらうことが表現者として大事だと思っていました。でも、佐々部監督は、その役の気持ちになって声を発したり、表情や動きが変わったりすることを大切にしていた」と言う。
最初はピンとこず「何もしてないけど、こんな演技でいいのだろうか」と思いながら芝居をしていた。しかし、「出来上がった作品を見て、腑(ふ)に落ちた。〝佐々部イズム〟をこれからも胸に刻み続けたい」
高倉健から引き継いだもの
記者は取材の最後、雑談の中で、善次が息子との思い出に関わるおにぎりを食べるシーンを今作のお気に入りに挙げた。食卓に並べられたおにぎりを、今にも涙がこぼれ落ちそうな顔で見つめる善次の表情に心を揺さぶられた。「全く内容は違うけれど、高倉健さんの『鉄道員(ぽっぽや)』を見たときと同じようなことを感じました」と伝えると、升から「おお」と声が漏れた。
「佐々部監督は、『鉄道員』の助監督を務めていらして、雪の中に倒れている健さんの吹き替えもされているほど信頼されていたんです。準備の大切さとか、監督の経験されたことを僕は受け継いでいるから……。『鉄道員』って聞いて、ドキッとしました」。出会いで生まれたかけがえのないものは、引き継がれていくのだと実感できた。