「旅するローマ教皇」© 2022 21Uno Film srl Stemal Entertainment srl

「旅するローマ教皇」© 2022 21Uno Film srl Stemal Entertainment srl

2023.9.29

救いを求める人々の下へ 苦しみを通して知る現代世界 「旅するローマ教皇」:藤原帰一のいつでもシネマ

藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

藤原帰一

藤原帰一

第266代ローマ教皇フランシスコが世界各地を旅する姿を描いたドキュメンタリー映画です。アルゼンチン出身の初めての教皇として話題になった人ですね。教皇に選ばれてから9年の間、37回旅に出て、歴訪したところは53カ国に上るとのこと。世界各地をめぐる教皇の姿を捉えたアーカイブ映像を集め、そのままつづりあわせたのがこの映画です。



フランシスコ教皇はホルヘ・マリオ・ベルゴリオとしてブエノスアイレスに生まれ、イエズス会に入り、司祭、司教、さらにブエノスアイレス枢機卿に任ぜられました。教会組織の重鎮というだけじゃありません。貧しい地域のなかに分け入って行き、人々と出会い、その話を聞くことがベルゴリオの身上でした。

社会の中へ向かうグレゴリオ教皇

2005年、ヨハネ・パウロ2世が亡くなると、ベルゴリオは、次の教皇を選ぶコンクラーベでは選挙に加わる枢機卿のひとりとしてアルゼンチンから招かれます。次期教皇の有力候補はベルゴリオに加えて、ドイツ出身のラツィンガー枢機卿でしたが、このふたりがたいへん対照的でして、ベルゴリオが社会の中に入って行く聖職者であるとすれば、ラツィンガー枢機卿は多数の言語を理解し、数多くの研究書を執筆した研究者であるとともに、政治的には強硬な保守派、まさにカトリック教会組織の頂点という人でした。
 
05年のコンクラーベではラツィンガー枢機卿が教皇に選ばれ、ベネディクト16世となりますが、カトリック教会を揺るがす事態が相次ぐなか、教皇を辞任します。そして、13年のコンクラーベでは、ベルゴリオ枢機卿が選ばれ、フランシスコ教皇になったわけです。まるで映画みたいなお話ですし、実際に「2人のローマ教皇」という映画がNetflixで発表されました。


性的虐待、マネーロンダリング……スキャンダル続出

ベルゴリオがフランシスコ教皇となった13年は、カトリック教会が大きな危機にさらされていたときでした。まず02年、聖職者による性的虐待が繰り返されながらその事件が押し隠され、虐待を加えた聖職者たちは配置転換されても処罰は免れてきたとボストン・グローブ紙が報道し、大騒ぎになります。映画「スポットライト」で描かれた事件ですね。
 
やがて性的虐待は世界各地で起こっていたことがわかりますが、バチカンの教皇庁は明確な判断をなかなか示しませんでした。そのために、性的虐待は、特定の聖職者の加害行為にとどまらず、教会が加害行為を放置してきたという疑いに発展します。さらにニューヨーク・タイムズ紙は、教皇ベネディクト16世が枢機卿の時代に事件の隠匿に手を貸したと報道し、バチカンの信用を揺るがすスキャンダルになってしまいました。
 
また、12年にはバチカンの内部文書が漏洩(ろうえい)し、教会の腐敗が暴露されます。バチカンの財政を取り扱う宗教事業協会、いわゆるバチカン銀行の不正会計、マネーロンダリングについても疑惑が生まれます。そのような疑惑にさらされるなかで、ベネディクト16世が死去ではなく、自らの意思で辞任した初めての教皇となりました。

信頼回復の旅 53カ国

ベルゴリオがフランシスコ教皇となった13年、教皇庁の信用が揺るがされるなかで教皇として行ったことは、旅でした。ブエノスアイレスで貧しい人の住むところを訪れたように、教皇に選ばれた後は戦争や暴力、貧困や不公正に苦しめられる人の下を訪れ続けたんです。
 
世界各地を訪れるローマ教皇はこれまでにもいました。1978年から2005年までの教皇、ヨハネ・パウロ2世は日本を含め100カ国に上る諸国を訪れたとのことです。このヨハネ・パウロ2世はポーランドが出身でして、米ソ冷戦の時代、共産主義諸国が民主化を進めるときに大きな精神的ささえとなったと評されました。フランシスコ教皇は9年間で53カ国ですから、このヨハネ・パウロ2世を上回るペースですね。


苦しむ人々を訪ねて

教皇が訪れた先は、どこも人々が苦しめられているところです。難民が押し寄せるランペドゥーサ島に始まって、極度の貧困が広がるブラジルのファベーラ、共産主義体制の下のキューバ、イスラム教徒とキリスト教徒の対立が険しい中央アフリカ、戦争と内戦で混乱の続くイラクというように、暴力と不正の犠牲になった人が集まっているところばかりです。映画は、教皇が広島の慰霊碑を訪れた映像には広島への原爆投下の映像を並ベるというように、人々の苦しみを示す映像が挟み込まれる構成を取っています。
 
性的虐待については、フランシスコ教皇は教会としての措置を明確にしてゆきましたが、それでもチリを訪問したとき、質問に対して、証拠が出てから対応すると発言しました。映画には、この発言、そして私の言葉が人を傷つけてしまったと教皇が謝罪する場面も出てきます。

ジャンフランコ・ロージの〝説明しない〟ドキュメンタリー

監督したジャンフランコ・ロージは、ドキュメンタリー作家として知られる人ですが、このロージ監督のドキュメンタリー、スタイルが独特。というのもこれまでの作品には、ナレーションのような説明というものが、まるでありません。なかでもよく知られる「海は燃えている」は、リビアなどからボートで難民が押し寄せ、収容されているイタリア南部の島ランペドゥーサが舞台ですが、島にやってきた難民の空間と、その難民とはまるで無関係に続けられるランペドゥーサ島の人々の空間が、そのまま並ベられていました。
 
次の作品「国境の夜想曲」になると、国境地域の人々だということはわかりますが、画面に映っている場所はどこかわからないまま、国境のこちら側とあちら側を画面が行き来する。独特の構成ですが、その中でシリアの内戦とその地域の広がり、そして人々のつらい経験が画面から飛び込んでくるという作品でした。


世界にあふれる戦争と暴力、貧困と不正 

ローマ教皇の旅を跡づけたこの映画は、世界のどこを旅しているかは教えてくれますから、ロージ監督の作品では親しみやすいものでしょう。でも、やはり説明といえる説明はない。その独特な方法によって、世界が経験してきた苦しみ、そしていま直面している苦しみが静かに伝わってきます。
 
教皇が各地を訪問する背景に、教皇のお姿をひと目でも見たいという世界各地のカトリック教徒の願いがあることは事実でしょう。また、イスラム教とキリスト教、あるいはギリシャ正教会とカトリックというように宗教・宗派の間での対話を続けることも教皇の役割ですね。ただ、それ以上に大きいのは、救いを求める人が世界にあふれている、そして戦争と暴力と貧困と不正のなかにある人々が世界にあふれていることでしょう。だからこそ教皇が旅に出るのですね。
 
同じような映像が繰り返され、ナレーションもなく、筋書きはもちろんのこと音楽もほとんどないので、見るのに忍耐を強いられる映画です。でも、辛抱してみていると、教皇とともに苦しむ人々に出会い、いまの世界の苦しみを知らされる思いになります。教皇の旅を跡づけることが、各地で人々の苦しむ世界を見ることにつながっている。教皇についての映画ではなく、教皇の旅を通して現代世界を知る映画なのだろうと思います。

10月6日から東京・Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下、大阪・シネ・リーブル梅田ほか。

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ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 順天堂大国際教養学研究科特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

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