「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」

「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」© & TM DC © 2024 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved

2024.10.10

<ネタバレあり>期待と予想を覆す「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」〝絶対悪〟の行く末は

DCコミックスから誕生し、アメリカはもとより日本でも、バットマンと共に長く人気を保っている悪役のジョーカー。新作「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」の公開に合わせて、多くの実力派俳優が演じてきたジョーカーの歴史と魅力をひも解きます。

高橋諭治

高橋諭治

DCコミックスの超人気ビランを主人公にした「ジョーカー」(2019年)は、あらゆる面において驚くべき成功を収めた。アメコミが元ネタの映画としては異例のベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞し、米アカデミー賞では11部門にノミネート(そのうち主演男優賞と作曲賞を受賞)。日本を含む66カ国で初登場1位となり、全世界興収10億ドル超えを達成した。クライマックス直前にジョーカーが奇妙なダンスを踊ったブルックリンの階段が観光名所になるなど、社会現象とも言えるセンセーショナルな反響を巻き起こした。


アーサー・フレックの変貌描いた「ジョーカー」のその後

コメディアンを夢見るアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)がジョーカーに変貌するまでの軌跡を描き上げた「ジョーカー」は、原作にとらわれないオリジナルストーリーだった。舞台となるゴッサム・シティは財政的に破綻寸前で、荒廃しきった街には病原菌をまきちらすネズミと失業者があふれかえっている。アーサーは年老いた病身の母親ペニーを世話する心優しい人物だが、精神的に不安定でカウンセリングを受けており、〝笑い病〟の発作にも悩まされている。

トッド・フィリップス監督はゴッサム・シティを今より治安がはるかに悪かった1980年前後のニューヨークを彷彿(ほうふつ)とさせる世界観で描き、アーサーを格差社会の底辺であえぐ孤独な男性に設定した。中盤でピエロ姿のアーサーは地下鉄で3人のエリートサラリーマンを殺害するのだが、市民は〝正体不明のピエロ〟による犯行に喝采を送り、反権力の大規模デモを引き起こす。そして折しもトークショー番組にゲストとして招かれたアーサーは、生放送中に取り出した拳銃を司会者のマレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)に向ける。

かくして「ジョーカー」は、精神科病院らしき施設に収容されたアーサーの姿を映すショットで幕を閉じた。フィリップス監督が再びメガホンを取った5年ぶりの続編「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」(24年)を待ちわびた多くのファンは、こんなストーリーを思い描いているのではないか。刑務所を脱獄したアーサー/ジョーカーが裏社会の犯罪王にのし上がって悪の限りを尽くし、ゴッサム・シティの守護者であるバットマンの宿敵になっていく……。それこそは絶対悪のジョーカーが突き進むべき本道だし、「ジョーカー」でアーサーとトーマス・ウェイン、ブルース・ウェイン(のちにバットマンとなる少年)親子との因縁が描かれていたことも、いっそうそうした想像をかき立てる。


ジャンルを横断〝多重人格〟映画

ところが実際に完成した「フォリ・ア・ドゥ」は、そんな予想や期待を根こそぎ覆す内容だった。時代設定は前作から2年後。アーカム州立病院に収監中のアーサーは、5人を殺した罪に問われており、その裁判が始まろうとしている。弁護士のメリーアン(キャサリン・キーナー)は、すべての犯行はアーサーのダークサイドであるジョーカーがやったものだという戦略を立て、無実を勝ち取ろうとする。

すなわちアーサーは解離性同一性障害を患っているというメリーアンの主張は、ふたつの点において極めて示唆的だ。まず配給会社のワーナー・ブラザースは本作を〝サスペンス・エンターテインメント〟と銘打っているが、それにとどまらない多様なジャンルの要素をはらんでいる。法廷ドラマ、刑務所映画、ブラックコメディー、ラブストーリー、そしてミュージカル。映画そのものが〝多重人格〟の様相を呈しているのだ! 前作「ジョーカー」はマーティン・スコセッシ監督の「タクシードライバー」(76年)や「キング・オブ・コメディ」(82年)の影響を強く感じさせたが、おそらく「フォリ・ア・ドゥ」はまったく異なるタイプの過去作を想起させるだろう。例えば「カッコーの巣の上で」(75年、ミロス・フォアマン監督)、「ワン・フロム・ザ・ハート」(82年、フランシス・フォード・コッポラ監督)のような作品だ。


アイデンティティーのはざまで引き裂かれ……

もう一点は、裁判の争点となる「アーサーは二重人格なのか?」が物語のテーマにもなっていることだ。冒頭で収監中のアーサーは「狂気の殺人鬼ジョーカー」ではなく、意地悪な看守たちに揶揄(やゆ)される「コメディアンになれなかった無口で陰気な囚人アーサー」として登場する。前作の終盤で私たち観客の誰もがジョーカーとして〝覚醒〟したと思い込んだアーサーは、今なお重度の精神不安にさいなまれ、自分が誰なのかさえよくわかっていない。フィリップス監督はジョーカーの大暴れを思い描いていた私たちの勝手な期待をいとも平然とひっくり返し、アーサー/ジョーカーという二つのアイデンティティーのはざまで引き裂かれる主人公の内面に焦点を当てた。これはもう本格的なサイコロジカルスリラーと言っていいだろう。

やがてアーサーは病院でめぐり合った謎めいた女性リー・クインゼル(レディー・ガガ)と恋に落ちるのだが、ホアキン・フェニックスとガガがいくつもの生歌を披露するミュージカルパートにも、アーサー/ジョーカーの混沌(こんとん)とした心理状況が色濃く反映されている。その幻想的なビジュアルに彩られたパートで、2人は熱烈に愛し合う。しかしリーが狂信的な愛をささげる相手はあくまで悪の化身ジョーカーであり、アーサーは前述したようにアイデンティティーが激しく揺らいでいる。その悲劇的なズレが映画後半に向けての大きな波乱要素となる。

思えば、心理スリラーの要素は「ジョーカー」にも盛り込まれていた。アーサーが社会にさげすまれ、ジョーカーに変わりゆく過程において、アーサーの精神状態がひどく悪化していく様が、このうえなく入念かつ繊細に描き込まれていた。「そうだったっけ?」と思った人は、前作を見直してから本作を鑑賞したほうが、より深く入り込めるはずだ。ちなみに裁判シーンには、かつてアーサーが妄想上の恋に溺れたシングルマザーのソフィー(ザジー・ビーツ)、職場の同僚ゲイリー(リー・ギル)といった前作のキャラクターが証人として出廷する。まさしく「ジョーカー」の〝その後〟を描くこの意外性に富んだ続編を、ぜひとも自分の目で確かめてほしい。

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ライター
高橋諭治

高橋諭治

たかはし・ゆじ 純真な少年時代に恐怖映画を見すぎて、人生を踏み外した映画ライター。毎日新聞「シネマの週末」、映画.com、劇場パンフレットなどに寄稿しながら、世界中の謎めいた映画、恐ろしい映画と日々格闘している。
 

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