逃げた女

逃げた女

2021.6.10

この1本:逃げた女 ふわっと魔術で謎かけ

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

思わせぶりの韓国の巨匠、ホン・サンス。どの作品でも事件は起こらず、登場人物のおしゃべりばかり。会話の中身も登場人物も煮え切らず、唐突なカメラワークで戸惑わせる。全てが意味ありげで、見ている方が勝手に深読みするように仕向けている。頭をひねる観客を、ホン・サンスがニヤニヤしながら眺めている風情である。

キム・ミニ演じる今作の主人公ガミは、夫が出張に出て時間ができたので、友だちに会いに行く。郊外のヨンスン(ソ・ヨンファ)は離婚して同性の同居人と暮らす。街中で1人暮らしのスヨン(ソン・ソンミ)は新しい出会いがあったとかで、ウキウキしている。古い知り合いのウジン(キム・セビョク)とは、彼女が働く映画館で偶然再会する。ガミが昔交際していた小説家と結婚している。仕事について、お金について、人生について、恋愛について、結婚について。ガールズトークはフワフワと漂う。

ガミは結婚して5年目。「夫は、愛する人とはずっと一緒にいるべきだと考えている」と同じセリフを繰り返す。3人は「そんなことってあるのね」とか「信じられない」と返すのだが、本心は別にあるようにも見える。ガミにしたって、夫の意見に賛成なのか。そして行く先々で男が現れて、女たちにすげなくあしらわれる。

動きの少ない場面を、固定カメラは素っ気なく捉える。かと思うと、会話の途中でズームインして戸惑わせる。どうしてここで?

そもそも「逃げた女」って誰だ? ナゾを残したまま、映画は唐突に終わる。余韻は何やら哲学的だ。とぼけたユーモアと女たちへの賛美。一目で分かる揺るぎない形式。ほどよい短さ。すべて確信犯。ベルリン国際映画祭で、監督賞まで取ってしまった。1時間17分。東京・ヒューマントラストシネマ有楽町ほか。大阪・シネ・リーブル梅田(18日から)など全国でも。(勝)

ここに注目

突然ズームするカメラや反復など、ホン・サンス作品ではおなじみの奇妙な面白さがちりばめられている。しかし、いつもの男女のやりとりではなく、女性を主人公にして女と女のさりげない会話からスリリングな空気を醸成するあたりに新しい風を感じた。食事をしながらの何てことのないおしゃべりを聞き、監視カメラの映像をのぞき見するような感覚を味わいながら、いつの間にか恋愛や結婚、自立や依存に関して自分に問いを投げかけるような瞬間が訪れる。キム・ミニの不確かな存在も含めて、映画的なマジックがあふれている。(細)

技あり

キム・スミン撮影監督は、ガミを明快に撮る。特徴は、まずズームの多用だ。ヨンスンが家の外に迎えに出て、通りでガミと近況報告が始まる。ガミが髪を自分で切ったと言うあたりで、無機質なズームの動きが2人のフルサイズからひざ下まで詰める。屋内でも話の途中で何度も寄ったり引いたりする。もう一つは芝居の重視。背景や室内の見え方は二の次。スヨンの家でガミが外を見て「あの山はきれいだわ」と言うが、窓外は白くトビ気味。ウジンと会う事務室も含めて現代化され整っているが、演劇的な非現実的空間で、索漠感さえある。(渡)