毎回、勝手に〝2本立て〟形式で映画を並べてご紹介する。共通項といってもさまざまだが、本連載で作品を結びつけるのは〝ディテール〟である。ある映画を見て、無関係な作品の似ている場面を思い出す──そんな意義のないたのしさを大事にしたい。また、未知の併映作への思いがけぬ熱狂、再見がもたらす新鮮な驚きなど、2本立て特有の幸福な体験を呼び起こしたいという思惑もある。同じ上映に参加する気持ちで、ぜひ組み合わせを試していただけたらうれしい。
2024.11.22
「グラディエーター」でラッセル・クロウの闘志をかきたてたひと握りの土
体調を崩してしまったり、急に仕事が忙しくなってしまったり、あるいは何らかのやむにやまれぬ事情があったりして、どうしても見たい映画を諦めざるをえず、結果的に長いあいだ思ったように映画が見られないことがある。すると、いざ状況が解消して、ひさびさに見ることができるとき、何を見るかに必要以上に考え込む。ふさわしい映画は何か?
要するに、つい先日、私自身がそんな状況に陥っていたわけなのだが、幸いなことに格好の映画が上映されていた。驚くべき24年後の続編「グラディエーターⅡ 英雄を呼ぶ声」公開を前にしての、「グラディエーター」(2000年)デジタルリマスター版再上映だ。筆者は1997年生まれだから、いうまでもなく公開当時に劇場では見ていない。有名作ではあるけれどそう頻繁に上映されるというわけでもなく、以降なかなか劇場で再見する機会もなかろうと、足を運ぶことにした次第。すでに再上映は終わってしまっているのだが、続編公開前に見直していただければうれしい。各配信サービスでも鑑賞は容易である。
長い、しかしシンプルな復讐譚
久方ぶりに「グラディエーター」を見直しての第一印象は、まず長いということ(上映時間155分)。そして、にもかかわらず内容がシンプルきわまりないということだった。ラッセル・クロウが演じるローマ帝国の将軍が陰謀に巻き込まれ妻子を殺され、自らも失墜、奴隷身分にまで転落するが、復讐(ふくしゅう)を誓い、剣闘士となる──基本的な内容はこれだけといっていい。おそらく、その気になれば80分で描き切ることもできそうな復讐譚(たん)である。
しかし、前述の通り本作はてらわなすぎるほどてらわない。どこまでもシンプルなのだ。見せ場はもちろん、巨大な円形闘技場コロセウムでの一騎打ち。これも企画の規模を踏まえると少々不思議で、捉えようによっては広大な闘技場でたった2人が戦っているスケールの小さい出来事とも言えるわけで、数万人の観衆の視点に立てば豆粒大の争いということになる(現代のように、会場にモニターなどないのだし)からおかしいのだが、もちろんこれは必ずしも欠点というわけではなく、遠目にはいささか滑稽(こっけい)な事態でもあり、そのいっぽうで至近距離では命がけで真剣そのものという差異こそがむしろ見どころと言える。この規模や長尺と単純さのずれが、本作の形容し難い面白味になっている。
強者が勝つのは当たり前〝いかに戦うか〟
あらためて考えてみると構成も簡素そのもので、上映時間155分中、初の試合が約1時間経過した時点でようやく行われ、宿敵との再会が1時間半時点、そしてそれ以降で見せ場の試合が2回のみ(しかも全編で個人試合はこの2度のみ)という具合。派手な見せ場の連続体とも言える昨今の超大作を見慣れた身には、恐れ知らずなほど折り目正しいというか、いささか素っ気なく感じられるほどだ。そもそも主人公が体技に秀でる元将軍であり、実力面で揺らぎがない点も、決して珍しいわけではないものの描くうえでの難所ではあろう。修行などによる実力向上が展開されないということは、つまるところ「もともと強い人間が勝ち続ける」ことにならざるをえないからだ。
だとすれば、本作を見ていて感じられる面白さは、勝ち負けのハラハラの外側にあると言えるかもしれない。申し訳程度に妨害工作が描かれたりはするものの、やはり勝利は疑いようがないなかで、見るものを刺激するのは「勝つかどうか」ではなく「どう戦うか」のほうということになるだろう。
歴戦のつわもの示す魅力的な細部
それは言い換えれば、「戦術」であり「仕草」ということになるかもしれない。全編がシンプルな構成で展開し、勝つと分かっている戦いがじっくりと繰り広げられるなかで、細やかな描写の着想が際立つわけだ。
なかでも個人的に浮き上がって感じられた魅力的細部は、土である。主人公が、必ず試合の直前に地面の土をひと握りつかんで、手のひらにすり込むのだ。これは、主人公が元農民で土と慣れ親しんでいたというバックグラウンドと響き合う描写でもあるとともに、きわめて実践的な滑り止めの描写でもある。歴戦のつわものであるからこそ、手の滑りが命取りであることを知っているのだ。
この描写は、律義に毎試合繰り返されて、次第に観客にとってもお決まりのルーティーン(「おっ、出た出た」)と化すのであるが、じつのところ最終試合においては異なる作用をしているようにも思える。敵側の策謀により腕を負傷した主人公が不利な状況での死闘を強いられる……という状況で、ふたたび描かれる上記の仕草は、習慣という以上に、満身創痍(そうい)な状態にあってもなお闘志がついえてはいないことの証しとして機能することにもなるだろう。
スポーツ映画につきものの「滑り止め」
「グラディエーター」の滑り止め描写を目にして、ふと「ほかにはどんなものがあったろう」と思いを巡らせた。たとえば、マ・ドンソクの腕相撲映画「ファイティン!」では、特に後半の大試合において選手たちの手のみならず腕まで粉まみれになっていたし、それ以外のスポーツ映画、とくに野球映画では多くの場合ピッチャーが投球前に滑り止めの粉が入った袋(「ロージンバッグ」という)を手元で弾ませる仕草が描かれる。
これらの粉は、基本的に炭酸マグネシウムの成分で滑りを防止しているという。炭酸マグネシウムは吸水性に優れ、発汗による滑りを防ぐというわけだ。上記の競技のほかにも鉄棒や重量挙げ、ロッククライミングなどでも目にすることがあるはずである。
そんなことをつれづれなるままに考えていたら、スポーツ映画以外にも該当作があることに思い至った。ジョン・ファブロー監督作「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」(2014年)がそれだ。しかも本作で登場する粉は、俗に「たんま」と呼ばれる炭酸マグネシウムではなく、とうもろこしから作られる「コーンスターチ」である。
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コーンスターチは「スーッとする」
タイトルの通り、本作の舞台はフードトラック=移動屋台。だから主人公たちは、街から街へと移動することになるのだが、コーンスターチはそんなときに役立てられる。長時間の運転で蒸れたズボンの中(要は股間である)にパラパラとふりかけるのだ。効き目のほどはといえば、登場人物いわく「スーッとする」とのこと。
公開当時、そんな使い方があるのか!と衝撃を受けると同時に、なぜコーンスターチ?と感じたことを思い出し、いまさらながら調べてみると、どうやら至極まっとうな用法でもあるらしい。というのも、汗予防に用いられるベビーパウダーの主成分のひとつがコーンスターチであり、吸水性、発汗防止効果があるらしいのである。ならば、座り通しのズボンの中でも効果を発揮することだろう。
この連載は、できるかぎりかけ離れた2本を、ひとつの共通点で強引に結び付けてご紹介するというのが本来の趣旨なのだが、いざ並べてみると内容にも相似が見いだせたりしてしまうのが面白いところ。じつは「シェフ」も「グラディエーター」に通じる戦いの映画。一流レストランの料理長が、不本意に身を落とし、もう一度はい上がる話なのである。しかも、約2時間の上映時間のなかで、肝心のフードトラックが登場するのはちょうど半分過ぎたあたり。このシンプルな構成まで似ている。「グラディエーター」は、ほとんど食事らしい食事が出てきてくれない映画であるから、そのあとに見れば五臓六腑に(ごぞうろっぷ)しみ入ること間違いなしのフード映画として、心の底からおすすめしたい。