「ゴジラ-1.0」がヒット街道をばく進している。山崎貴監督は1954年公開の「ゴジラ」第1作を強く意識し、終戦直後の日本に「戦争の象徴」としてのゴジラを登場させた。初代ゴジラの生みの親の一人、本多猪四郎監督が1992年10~11月のロングインタビューで語った半生と映画への思いを、未公開の貴重な発言も含めて掲載する。「ゴジラ-1.0」を読み解く手がかりとなるコラムと合わせて、どうぞ。
2024.10.31
本日、日本テレビ系列で「ゴジラ-1.0」放映、そして明日より「ゴジラ博 in 大阪」 破壊されていく大阪の景色は、東京破壊とは異なる強烈な印象を与える
ゴジラ好きは何度でもゴジラを体験したい。これまでも、着ぐるみや撮影小物やジオラマが展示された展覧会は開催されている。だが、昨年「ゴジラ-1.0」が大ヒットし、さらにちょうど、ゴジラ公開満70年となるこの秋に、「ゴジラ博」を体験しない理由はない。かく言う筆者は、今夏、一足早く東京・日比谷で開催された「ゴジラ博」を2回観覧した。初めて目にした貴重な展示品も多く、長い付き合いの畏友(いゆう)のアルバムを見るようで胸が熱くなった。その体験を基に11月2日から始まる「ゴジラ博 in 大阪」を紹介したい。
迎えてくれる「かたちあるもの」としてのゴジラ
一歩、会場に足を踏み入れると、ゴジラの王国である。歴代のゴジラがずらりと待ち受ける。ゴジラを引き立ててくれた敵役も雄姿を現す。想定されたサイズの何十分の一なのに、頭が勝手に縮尺を合わせるので「大きい!」「怖い!」。
実は「すごんでいるゴジラ」はあまり怖くない。気張った表情も頂けない。力むのも空威張りに見える。放射能熱線を吐く前に、タメを作るなどもってのほかと思っている。古いファンの感想だろうか。でも、それは、ここで「ナマ着ぐるみ」を見比べてもそう感じてしまった。普通に呼吸している表情なのにフワッと放射能が漏れるから怖いのではないか。だから、荒々しい彫刻的造形の初代が断然怖い。その70年後、「恐怖を描ききった」と高く評価された「-1.0ゴジラ」の姿は筋肉質で生命感があるがゆえに生物的であり、睥睨(へいげい)する表情が逆にどこか脆(もろ)そうである。評価されたあの「恐怖」は山崎貴監督の演出手腕によるところが大きいのではないかと、改めて感じた次第。そう、入場しただけでこんなに思いが膨らむのだった。
なぜ、博覧会を見るのか
この博覧会は、言うまでもなく「キング・オブ・モンスターズ」であるゴジラを映画製作や特撮技術の視点から捉え直すイベントである。初代映画「ゴジラ」の公開は1954年11月3日。原爆投下からたったの9年。ビキニ環礁水爆実験は54年の3月1日なのだから「直後」と言ってもいい8カ月後にゴジラは、我々の前に立ち現れた。その衝撃たるや筆舌に尽くしがたいものであった。とはいえ、あくまで「映画」のなかの存在である。映像のショックにより我々の脳が「生々しいゴジラ像」を現実の記憶のように刻み込むのだ。小説に起こされても漫画化アニメ化されても、映画の中にあってこそ輝くアイコンと言えよう。
でも、でも……。それが小道具大道具、あるいはセットと同じ種類の映画撮影のための「物体」であると分かっていても「本物」を見たいと思うのはゴジラファンのみならず映画ファンの根源的欲望ではないだろうか。ゴムの削りかすがくっついたような初期の着ぐるみや仕掛け丸出しの頭部のギニョールをじっくり見ても、百年の恋が冷めることはない。それどころか、あの映像の凄(すご)さを裏付ける根拠として脳内に落し込まれるのだ。
みどころ限りなく、改めて映像をおさらいする
みどころは、千差万別。観覧者の数だけあるに違いない。筆者のような古参は、共に歩んだ時代をしみじみとかみしめ振り返るという、かび臭い鑑賞(感傷?)法なのだが、モンスターファン、特撮ファン、最近の映画ファン、細部にこだわる独特なファン……皆面白がって体験してほしいのだが、「大阪」ならではの楽しみがあるに違いない。
まず、うらやましいのは、東京になかった「フライング・メカ」コーナーができるらしいではないか。どのくらい展示されるのか本稿執筆時点では把握していないが、自衛隊機F86セイバーからかしら。Ⅹ星人の脳波コントロール式円盤もすさまじく格好良かった(1965年末「怪獣大戦争」)。未来からやってきたタイムマシン「マザー」もナイス(91年末「vsキングギドラ」)。スーパーⅩ系(84年末「ゴジラ」など)、田中美里が命がけで操縦したグリフォン(2000年末「×メガギラス」)も忘れられない。もちろん「-1.0」(23年秋)の震電は言うまでもない。ヘドラ戦の時のゴジラ飛翔(ひしょう)態勢も展示されるのであろうか。であれば、大阪まで見に行く! ともあれ、羨望(せんぼう)の限りである。
もう一つは、映像の記憶と大阪の景色とを重ね合わせることであろう。大阪は当然、ゴジラ作品に何度も登場している。「×メガギラス」(2000年末)の時は首都になっていたほどである。だが、古参のお薦めはやはり原点の2作目「ゴジラの逆襲」(1955年春)である。モノクロームの暗い光の中で破壊されていく大阪の景色は、いつもの東京破壊とは異なる強烈な印象を与える。
もう1作上げるとすれば「vsビオランテ」(89年末)だ。関西空港がまだ埋め立て前の工事中であり、その海上ヘリポートで三枝未季がたった一人でゴジラと対峙(たいじ)するシーンや大阪から原発銀座・若狭湾を目指す深夜のゴジラ歩行シーンは、数あるゴジラ作品の中でも指折りの名場面である。この歩行シーンは、ティム・バートン監督のSF映画「マーズ・アタック!」(96年)に火星人たちが本作をテレビ鑑賞している場面で使われている。ちなみに「マーズ・アタック!」で火星人たちを撃退する「武器」が大音量のカントリー音楽だったが、これも「怪獣大戦争」でⅩ星人を撃退する「レディガード騒音作戦」の本歌取りであろう。
2024年秋、ゴジラに思いをはせる
本年のノーベル平和賞が「日本原水爆被害者団体協議会」に贈られたのは記憶に新しい。こじつけるな、と言われそうだが、あえて「ゴジラは核の被害者」という原点を思い起こしたい。この視点が存在しなければ、ただの怪物映画である。ゴジラも凡百のモンスターの1匹にしか過ぎなかったであろう。70年も「主役」を張り続けられる根拠は、怖いとか強いとかだけではなく、この「存在の意味」によることが大きいと思う。より広島・長崎に近い大阪のゴジラ博では、ぜひ、この原点を深く心に刻んでいただきたいと切に願うものである。
追伸
ゴジラ博では、あちこちのコーナーで写真が撮れる。筆者も撮りまくったが、中でもビオランテの小さな模型が実に可愛らしくて、盆栽代わりに家に一つ欲しくなった。
詳細→ゴジラ博 in 大阪