韓国の国会前で尹錫悦大統領の弾劾を求めるデモを行う人々

韓国の国会前で尹錫悦大統領の弾劾を求めるデモを行う人々ソウル市内で2024年12月7日、日下部元美撮影

2024.12.11

ドラマを超えた戒厳令と大統領弾劾 傑作政治スリラー映画でたどる韓国現代史

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洪相鉉

洪相鉉

2024年12月3日午後11時40分、韓国国会上空にUH-60 ブラックホークが現れた。同10時28分に尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が宣布した戒厳令によって国会解散のために首都防衛司令部をはじめとする兵力が動員され、ブラックホークも出動したのだ。同11時57分には国会入り口に陸軍の精鋭特殊部隊の第1空輸特戦旅団と第707特殊任務団所属の兵力が結集し、翌日午前0時7分に国会への進入を試みる。映画ではなく、文字通りの「実況」。結局、同49分に国会本会議が開かれ、在席190人の全員賛成で非常戒厳解除要求決議案が可決され、戒厳令宣布は無効化、同4時27分に尹大統領が戒厳令を解除するに至る。

映画人3000人が署名「尹錫悦を拘束せよ」

衝撃と恐怖の6時間。騒動の原因は300議席のうち170議席を確保している最大野党「共に民主党」が、党代表への捜査に関わった監査院長と中央地検長の弾劾を試み、政府推進のほぼ全ての事業の予算を削減したことに対する大統領の反感から始まったという。3日後、国会での尹大統領の弾劾訴追は与党「国民の力」の不参加で失敗に終わったが、国会に兵力が進入する光景は、2度の軍事クーデターを経験した韓国国民のトラウマを刺激した。同5日から7日まで行われた署名には「殺人の追憶」などの奉俊昊(ポンㆍジュノ)監督や「ペパーミントㆍキャンディー」の出演女優の文素利(ムンㆍソリ)ら3007人の映画人が賛同し、監督組合とプロデューサー組合など81の映画団体が連名で「内乱罪の現行犯、尹錫悦を拘束せよ」という緊急声明を発表した。なぜ韓国ではこのような極端な対立が生まれ、衝突が繰り返されるのか。

「KCIA 南山の部長たち」朴正熙の軍事クーデター

この疑問の答えを見つけるカギは、韓国現代史を描いた映画の中に見つかるかもしれない。最初に訪れる歴史の現場は、1979年10月26日夕方、ソウル鍾路区(チョンノグ)のKCIA(今の国家情報院)の安全家屋。タイトルロールでもあるKCIA部長が、宴会の席上、部下たちを自分に対する忠誠競争であおってきた「パク大統領」とライバルの警護室長を殺害する。頑固さと狡猾(こうかつ)さの両面を持つ人物として描かれているパク大統領が、軍事クーデターで政権を獲得し、事実上の政治警察だったKCIAを前面に出し、絶対的権力を振るってきた朴正熙(パクㆍチョンヒ)元大統領だということは、劇中の名前は違っても、韓国の観客なら誰でも気づく。もちろん彼には産業化、すなわち今の韓国の経済発展の枠組みを作った功績があるが、民主主義の面では内外で決して高く評価されなかった。ジャーナリストの金忠植(キムㆍチュンシク)のルポルタージュにフィクションを加えた「ファクション(Fact+Fiction)」のシナリオとして製作された「KCIA 南山の部長たち」である。

「ソウルの春」全斗煥の粛軍クーデター

次の場所は同年12月12日、朝鮮時代の王宮の景福宮に駐屯していた第30警備団本部。軍内秘密組織「ハナ会」リーダー、チョン・ドゥグァン少将は、朴正熙暗殺後、大統領権限を代行していたチョン・サンホ陸軍参謀総長を抑えて権力を握る。いわゆる「粛軍クーデター」だ。作中、知略を発揮し、立志伝的出世を果たす人物として描写されているチョン・ドゥグァンは、大規模戦闘の代わりに激烈な頭脳戦で連戦連勝し、自分をけん制しようとした陸軍参謀総長と首都警備司令官を朴正熙殺害の共犯として逮捕する。全斗煥(チョン・ドゥファン)が大統領に就くまでの一連の事件を描いた「ソウルの春」のタイトルは、80年代に「新軍部」の登場で挫折した韓国国民の民主化への夢を象徴している。

「タクシー運転手 約束は海を越えて」「新軍部」利用した光州事件

次は翌年の80年5月、朝鮮半島の西南部、全羅南道の光州広域市だ。ソウルのタクシー運転手の主人公は、巨額の貸し切り料を受け取り、ドイツ人記者のピーターを乗せて光州事件の現場に向かう。そこで2人を待っていたのは、民主化を求める光州市民を自国の軍隊が虐殺する信じられない惨劇。優しくて明るかった地元の人々が次々と犠牲になっていく状況は、「新軍部」を利用した全斗煥大統領の鉄拳統治の現実を象徴している。ドイツ公共放送連盟(ARD)東京特派員のユルゲンㆍヒンツペーターの実話をモチーフにした映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」だ。
 

「1987、ある闘いの真実」 民衆蜂起 民主化宣言の契機

舞台が87年1月のソウル龍山区、警察庁内務部治安本部対共捜査所に移ると、慌てた警察官たちと、すでに死亡しているソウル大学言語学科3年生の朴鍾哲(パクㆍジョンチョル)の姿が見える。学生運動家のパクが治安本部の取り調べ中、拷問により殺害されたこの事件が起爆剤となって国民的な抵抗が起こり、軍部が降伏を宣言する事態(民主化宣言)につながる。87年1月から6月29日までの過程を示した映画「1987、ある闘いの真実」で、「チェイサー」で知られる金允錫(キムㆍユンソク)は、暴圧的な国家権力を象徴する対共捜査所長を演じている。ここで特記すべきことは、朝鮮戦争当時の悲惨な体験から恨み同然の反共意識を持つようになった韓国保守派の思想的背景が、対共捜査所長の個人史に投影されていること。

「弁護人」民主化運動に身を投じた盧武鉉

民主化以後もさまざまな事件が起きるが、「ろうそくデモ」という国民的抵抗によって韓国大統領として初めて弾劾された朴槿恵(パク・クネ)元大統領が、「KCIA 南山の部長たち」のパク大統領のモデルの朴正熙元大統領の娘であることや、粛軍クーデター以後の公安統治下の代表的な思想弾圧である「釜林事件」で、学生たちの弁護を引き受けたことを契機に民主化運動に身を投じる弁護士時代の盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領を描いた「弁護人」までを思い浮かべれば、韓国の現代政治史をたどることができ、そして正当に選出されたわけではない軍出身の大統領たちのほとんどが、不幸な最期を迎えたことも分かる。

映画が招く妥協不可能な状況認識

ここに深刻な問題がある。善悪の対立構図で描かれる映画(しかも、韓国映画界はリベラル、あるいはさらに左寄りの政治的信念を持つ人がほとんどである)が、現実の大統領とその所属政党に対するイメージと重なり、「正義対不正義」という妥協不可能な状況認識を生んだことだ。正義への要求と同じぐらい政治や国民生活で重要なことは、対話と妥協という政治的スキルだ。しかし、相手を「悪」と規定してしまえば、互いの対話は「悪との妥協」になるため、全てが極端に走る国民分断の現実が到来するしかない。
 
そもそも尹錫悦を、当時の与党の反対を押し切って検事総長に任命したのは、「弁護人」のモデルの友人だった文在寅(ムン・ジェイン)前大統領だ(尹錫悦は学生時代、全斗煥元大統領の模擬裁判の裁判官として無期懲役の判決を下し、保安司令部に逮捕されるかもしれないという警告を受けて3カ月も逃亡したことがある)。回り回って状況がここまで混迷すると、「ソウルの春」に酷似しているという指摘も現れる始末で、尹錫悦大統領を全斗煥元大統領に代入するブラックコメディーまで作られている。フィクションが加味されていると明示している「ソウルの春」を見て歴史を学んだ気になる、笑えない堂々巡り。
 

映画のヒットが選挙結果を左右した

韓国で、リベラルが相手を上記の全ての作品のビランを結合させた悪魔のような人物として攻撃するのは、非常にありふれたことだ。「KCIA 南山の部長たち」は第21回総選挙(2020年4月15日)の3カ月前(20年1月22日)に公開され、コロナ禍のさなかであったにもかかわらず475万人の観客を集め、「ソウルの春」は第22回総選挙の5カ月前に公開されて1312万人を動員、リベラルが圧勝する雰囲気づくりに貢献したという点は無視できない。映画がある程度大衆への影響力を持つのは自然なことだが、それが行き過ぎて映画と現実を区別できない現象につながるとしたらどうだろうか。

英語の表現に「Don't be dramatic.」というものがある。いわゆる「大げさ」をドラマに例えたのだ。それでは、現実が「ドラマ」を超えた韓国の今は、後でどのようなフィクションになるのか。大統領辞任の賛成派と反対派のデモが12月の街を埋め尽くしているカオスそのものの現実を目の当たりにして、ふと思うのだ。

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ライター
洪相鉉

洪相鉉

ほん・さんひょん 韓国映画専門ウェブメディア「CoAR」運営委員。全州国際映画祭ㆍ富川国際ファンタスティック映画祭アドバイザー、高崎映画祭シニアプロデューサー。TBS主催DigCon6 Asia審査員。政治学と映像芸術学の修士学位を持ち、東京大留学。パリ経済学校と共同プロジェクトを行った清水研究室所属。「CoAR」で連載中の日本映画人インタビューは韓国トップクラスの人気を誇る。

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  • 韓国の国会前で尹錫悦大統領の弾劾を求めるデモを行う人々
  • 戒厳令を宣言する尹錫悦大統領
  • 戒厳令宣布を受け、国会に突入しようとする兵士たち
  • 韓国国会前で戒厳令に反対するデモを行う市民ら
  • 光州事件11周年を翌日に控えて開かれた「前夜祭」で、学生や市民ら約1万人が参加、盧泰愚政権打倒を叫んだ
  • 朴槿恵大統領(当時)の弾劾を求める若者たち。「これが国か」と訴えた
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