みどり色が好き。
カメラが好き。
映画が好き。
これは私の好きなもの。
好き、好き好き好き。
この気持ちは誰にも止められない。
「好き」を形にしたある人の物語。
誰もが知ってるさかなクンの誰も知らない物語。
普通じゃない――。それ、誰目線!?
物語の主人公、ミー坊はお魚が大好きな小学生。
何をするにも頭の中はお魚でいっぱい。
「好き」を見つけたミー坊はいつだって輝いてた。
普通とはちょっと違うけど……。
お魚が好きすぎるあまり「普通」というカテゴリーから除外されてしまうミー坊の人生。
自分の「好き」がなかなか理解されない、そんな経験をたくさんする。
卒業後、社会に出たミー坊は周りと自分とのギャップに戸惑いを感じながらも、自分の好きなことに一直線。
そんな中、ミー坊が言った言葉。
「普通って?」
簡単なこの質問に言葉を詰まらせたのは、きっと私だけではないはず。
こうと決めたらバカ真っすぐ。
そんな姿に私は心を打たれた。
本作の製作にあたり沖田修一監督はミー坊という人間を「男か女かは、どっちでもいい」と、出演者に伝えたのだそう。「性別にとらわれるな」。そんなメッセージが、主人公ミー坊の普通にとらわれない生き方にリンクしていると感じた。ミー坊という、ひとりの人間が輝くべきなのだ。
ありますか? 人生をかけられる好きなもの
どんな人にも、好きなことのひとつくらいある。
でも、人生をかけて深掘りできるほど好きなものがあるかと言われたら……。これが私の本音。
たいていのことは「好きでも嫌いでもない」のカテゴリーに収まってしまう。
「お魚=ミー坊」
これはミー坊の代名詞であり個性。
自分を表す代名詞があるということは、自分の個性が確立できているということ。それが本当に羨ましい。
言い換えると、自分とは何者なのかを理解できているということでもある。
私を含めZ世代では、自分のやりたいことをミー坊のようにはっきり理解できている人は少ないように感じる。人生の選択を「なんとなく」で終わらせること、流れに身を任せて行動した方が楽な世の中になっていることを19歳ながらに感じている。
だからこそ、ミー坊の「好き」を追いかける姿勢はすてきだ。
夢を追い続けていれば、孤独を感じたり壁に突き当たることもある。
それでも「好きだから頑張れる」ということを、ミー坊が教えてくれた。
「好き」があればなんだって乗り越えられるという力強いメッセージに、改めて「好き」の偉大さを感じた。同時に、私も自分自身が大切にしている「好き」を探してみたいと思った。
冒頭に述べた「みどり色が好き」のように些細(ささい)なことでも構わない。自分の気持ちに耳を傾けてあげることが、SNS社会に生きる私たちに求められていることであると感じる。
じんわり心地いい、母の愛情と地元の友情
静かに家族を見守る、そんな強さと温かさをミー坊の母親の目は持っていた。
普通とは違うと言われたミー坊をいつだって信じ、いつだってミー坊の個性を最大限発揮できる方法を考え続けた。親は子供の一番近いサポーター、ミー坊の母親はまさにそんな人である。
現役の大学生であり、親から見ればまだまだ子どもである私がいつも感じることがある。
親は我が子に、実にたくさんのものを与えてくれる。そして未熟な私たちに不思議なほど期待する。会社では成績のいい社員に期待することがあるが、功績も何もない新入社員に大きな期待を寄せることはまずない。しかし親が子へ抱く期待は後者を実践しているのに近い。なぜ?と、いつも不思議に思う。それが「愛」というものなのか……?
ミー坊には、母親以外にもたくさんの味方が存在した。
お魚オタクでありながら、地元の不良とも仲良し。そんな仲間は大きくなってもミー坊のことを温かく見守り、応援してくれる。一方で、ミー坊の前向きな姿勢がみんなを前向きにしていると感じた瞬間が何度もあった。
必見! 主演・のんさん×お魚さんの名演技
この作品で始終感じたのは主人公ミー坊役を演じる女優、のんさんの奇麗な目である。ミー坊の人生がうまくいかず悩み続けるときでも、瞳はいつだって輝いていた。そして個人的に、海に潜るシーンはやはりのんさんにピッタリだと作品のデジャブを感じた(有名連ドラの大ファンだった!)。
そして、この作品で第2の主人公とも言える「お魚さん」たち。撮影はお魚に過度なストレスを与えないよう、お魚ファーストで行われたのだそう。
そんなお魚に対する見方も、この映画を見る前と後ではだいぶ異なった。
「あ! カブトガニちゃんだ!」
映画館を出た後の皆さんはおそらくこんな感じになると予想できる(笑)。
主題歌はCHAIさんの「夢のはなし」。
「コンプレックスはアートなり」というコンセプトを掲げて活動する彼女たち。生み出された歌詞から、個性を確立することへの力強いメッセージを感じとることができるはずだ。
この映画を見た人が自分の「好き」を改めて発見できますように。