「サントメール ある被告」 © SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022

「サントメール ある被告」 © SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022

2023.8.06

パリの暴動の背景も考えさせる「サントメール ある被告」

さあ、夏休み。気になる新作、見逃した話題作、はたまた注目のシリーズを、まとめて鑑賞する絶好機。上半期振り返りをかねつつ、ひとシネマライター陣が、酷暑を吹き飛ばす絶対お薦めの3本を選びました。

藤原帰一

藤原帰一

「サントメール  ある被告」は、暴動事件の起こったパリを前にして、それを考える手がかりを与えてくれた映画でした。暴動に加わった人の多くは移民としてフランスにやってきた人たち、あるいはその末裔(まつえい)でしたが、その人々がフランスを、そして自分たちをどう捉えているのか、報道だけではわからない。そのなかで、この映画は、マイノリティーの自画像を捉えた作品だったからです。

 

重なる目線にアウトサイダーの孤独

自分の子供を殺した罪に問われた移民女性が、その犯行を認めながら、それは呪いのためだ、自分は無罪だという。この、法制度では合理性が認められるはずのない主張は、なぜ生まれ、どんな意味があるのか。合理性のある西欧と不合理な非西欧という対比、あるいは逆に迫害された移民への感情移入に陥りかねないぎりぎりのところに踏みとどまることで、決してわかりやすくはないのに胸に響く表現に成功した作品です。
 
裁判所ではただひとりのアフリカ系の女性が裁判を傍聴しています。この女性はフランスに生まれ、いかにも教養豊かな人でして、ギリシャ悲劇における王女メディアの物語に重ねてこの裁判について書こうなんて企てを持って裁判を傍聴しているんですが、自分が被告と同じように肌が黒く、しかも妊娠していることもあって、器用なストーリーに落とし込むことができなくなる。被告の主張を頭で理解するのではなく、被告の存在を自分の存在によって受け止めるほかになくなるんです。
 
でも、それに耐えられない。子供を産むことにも疑いが芽生えてしまい、最後は自分で自分のことがわからなくなってしまう。この展開をセリフではなく所作によって描くんですね。被告と傍聴人の2人の目線がほんの少し重なり合う、その場面をぜひご覧になってください。ある社会のなかにアウトサイダーとしてあることの孤独が、重なり合う目線によって伝わります。

「サントメール ある被告」は東京・Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下ほかで上映中。

虐殺生き延びた男の罪悪感「アウシュヴィッツの生還者」



「アウシュヴィッツの生還者」© 2022 HEAVYWEIGHT HOLDINGS, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

「アウシュヴィッツの生還者」は、アウシュビッツ強制収容所を描いたと言うよりも、収容所を生き延びた男に残された人生を描いた作品と言っていいでしょう。なぜ自分が生き延びて、他の人が死んだのか。生還者の罪悪感、サバイバーズ・ギルトは、戦争から生還した人に広く見られる感情ですが、この映画の場合はそれがもっと著しい。ナチの軍人の命令によって、ボクシングのリングに上らされ、生き延びたければリングの相手を倒さなければならないというグロテスクなゲームを戦わされるからです。

 

「質屋」のロッド・スタイガーに匹敵

強制収容所ですからいずれは誰もが殺されてしまうという限界状況に置かれているわけですが、その状況の中において同胞の虐殺を求められるわけですね。こうなると生き延びた罪ばかりでなく殺すことで生き延びた罪が問われるわけで、生還者の罪悪感は耐えることの可能な限度をはるかに超えてしまいます。
 
その経験が男から感情を奪ってしまいます。アウシュビッツから生還し、ボクサーとしてリングに立つわけですが、新しい人生を切り開くなんて思っていない。無口で無愛想で粗暴なだけの存在ですね。ただ、アウシュビッツで生き別れになった女性と再会したいというその願いを実現する一心で、結果としては自分の首を絞めることになる選択を繰り返す。強制収容所を生き延びた者の沈黙を描いた傑作としてシドニー・ルメットの「質屋」がありますが、その「質屋」のロッド・スタイガーに優に匹敵する名演でした。

「アウシュヴィッツの生還者」は、8月11日から東京・新宿武蔵野館、大阪・シネ・リーブル梅田ほかで公開。

絶交宣言 指を切断「イニシェリン島の精霊」



「イニシェリン島の精霊」© 2023 20th Century Studios.

「イニシェリン島の精霊」はディズニープラスのスターで見放題独占配信中です。いつも一緒に酒場に行った男が、もうおまえとはつきあいたくない、つきまとわれるなら自分の指を切り落とすほうがましだと伝えられます。言われた男は何でそんなことになったのかがわからず、飼い主に見離されたかのようにつきまとうんですが、おかげで本当に指が切断されてしまいます。
 


 

ホラーより怖い

どうにもすごいお話ですね。ホラー映画では残虐な場面は出てきますが、どうして残酷な暴力に訴えるのかなんて説明は特にありませんし、観客もそれを求めない。ところがこの映画では、なぜこんな暴力が振るわれるのかが説明されないので観客がいたたまれなくなってしまう。すべてが明確に画面に描かれているのに、観客が理解し消費することを排除するかのような映画表現に終始しているために、残虐ではあっても意外感はないホラー映画よりもはるかに恐怖を呼び起こす作品になりました。


 
あえて意味づけをするならば、映画の舞台となる周囲を水に囲まれた島という空間がちょうど演劇における舞台のような空間と重ね合わされており、映画の空間とキャラクター(さらに犬と馬)の配置の双方によって、島という空間を出る者と空間にとどまる者を対比させ、そこからドラマを紡ぎ出している作品です。でも、そんな解釈を施したところで、この映画の与える恐怖を意味づけたことにはなりません。いま映画でドラマをどう組み立てるのか、その限界に挑戦した作品です。

「イニシェリン島の精霊」はディズニープラスのスターで見放題独占配信中。

ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 千葉大学特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。