「痴人の愛」

「痴人の愛」©2024「痴人の愛」製作委員会

2024.11.29

魔性の女・令和のナオミに溺れた中年男が見つけた〝生きる意味〟 「痴人の愛」

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

重里徹也

重里徹也

「令和のナオミ」はどのように現れ、人々にどんな影響を及ぼすのだろう。それは、今の日本人が心の底でどういう存在を求めているのかという問いに重なるだろう。井土紀州監督の「痴人の愛」を見ながら、そんなことを考えた。


谷崎潤一郎が描いた魔性の女

原作は近代日本文学を代表する文豪、谷崎潤一郎の同名の長編小説。地方出身のまじめな電気技師だった28歳の譲治がカフェの女給だった15歳のナオミと知り合い、その美貌にどうしようもなくひかれ、2人で暮らし始める。世の中を知らない若い女性を教育して、一流のレディーにしようというのが譲治の夢だった。

ところが、ナオミは浪費家で行儀も悪く、なかなか譲治の思うようにはならない。そのうちにナオミの魔性に気づくが、すでに譲治は彼女のとりこになっていて、その肉体の前にひれ伏し、服従していく。彼は会社を辞めてナオミの希望に合わせた家を買う。ナオミの奴隷として生きていくことになる。ナオミの自由さに翻弄(ほんろう)された譲治は、自分は自由ではなく従属を求めていることを思い知らされる。ギリギリの人間模様の中で、ナオミの美しさと譲治の率直さがひときわ印象的だ。

ナオミは日本文学におけるファム・ファタール(もともとは「運命の女」という意味だが、「男を破滅させるような性的魅力を持った女」という意味で使われる)の代表だろう。現代において「痴人の愛」を映画化するということは、今の日本でナオミはどのように存在意味を持つのかという疑問にチャレンジしているともいえる。今回の映画「痴人の愛」は原作のテイストを生かしながら、大胆に読みかえている。明快な構成と歯切れのいい進行で、それは成功したといえるだろう。こんなストーリーだ。


「痴人の愛」©2024「痴人の愛」製作委員会

脚本家志望の男が出会う〝運命の女〟

主人公の譲治(大西信満)はかつてコンクールで受賞したものの、本格的なプロデビューを果たせないままで年齢を重ねた脚本家志望の男。清掃のアルバイトをしながら、シナリオ講座に通っている。夢を追う譲治に愛想をつかした妻子とは別れ、1人で暮らしている。彼が都会の片隅にあるバーで俳優志望のナオミ(奈月セナ)と知り合ったことから、物語が動き出す。2人は急速に距離を縮め、譲治はナオミに夢中になる。一方でシナリオ講座の講師から、新しく製作される映画「痴人の愛」のシナリオを書かないかと誘われた彼はそれを引き受けて、自分の人生をかけて執筆に努める。譲治はナオミにのめり込み、その身体にひざまずく。一方で自身がこの世に生きる理由を求めるように、シナリオ執筆に励む。引き裂かれながら、彼が何をつかむのかというのが、映画の中心にある問いだ。

ナオミが譲治に興味を持ち、譲治がナオミにひかれる心理がきちんと描かれている。それは日常をはみ出たナオミが実は生々しい日々を生きていることを知らせ、譲治が虚無感と無力感の中でもがいていることを浮き彫りにする。なぜ、ナオミが譲治に決定的な影響を与えたのか。それがよくわかる構成だ。譲治も、そんなきっかけを無意識に求めていたのではないだろうか。譲治はどういう人間なのか。譲治自身は一体、何をやりたいのか。ほんとうのことをナオミは譲治に教えるようなのだ。


若者たちの決断うながす青春映画

見逃せないのは譲治の周囲に、やはりシナリオ講座に通う若者たちを配していることだろう。その青春群像も切ない。彼らは、はなやかな世界にあこがれているようなのだが、実際には何に対しても本気になれなかったり、失敗するのが怖くて新しい一歩を踏み出せなかったり、自分自身を客観的に見ることができなかったりしている。いわば、決断できずにいつまでも踊り場にいるような感じだ。この若者たちに対しても、ナオミは深い影響を与えているように見える。決断できない男女に人生の次のステージへ進むように促しているのではないか。このあたり、青春映画としても楽しめた。ただ、青春を描いているといっても、しめっぽくはない。クールで乾いている。さわやかで、切れ味がいい。切実で、かなしいのだけれど、吹っ切れていて、テンポがいい。そんな演出がとてもよかった。

譲治を演じた大西信満は屈折した日々を過ごす、もう若くはない男を好演。彼がためらいがちにナオミに手を伸ばしたり、シナリオが書けなくてもんもんとしたりしている姿は表情が豊かだ。アルバイトで懸命に力を込めて便器をきれいにするようすも印象的で記憶に残った。まじめさ、いちずさがよく伝わってくる。ナオミを演じた奈月セナは長身と長い手足で存在感がある。自由で気まぐれで、時には包容力があり、時には自分勝手な女性を熱演している。さっそうとした容姿がこの映画の魅力をよく示している。

ライター
重里徹也

重里徹也

しげさと・てつや 文芸評論家・聖徳大特任教授。1957年、大阪市生まれ。毎日新聞で東京本社学芸部長、論説委員などを務めた。2015年から聖徳大教授。23年から特任教授。著書に「文学館への旅」、共著に「教養としての芥川賞」「村上春樹で世界を読む」「平成の文学とはなんだったのか」(はるかぜ書房)など、聞き書きに吉本隆明「日本近代文学の名作」「詩の力」。
 

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