「きみの色」

「きみの色」©2024「きみの色」製作委員会

2024.9.01

「きみの色」 山田尚子監督は「色」と「音楽」に語らせる

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

きどみ

きどみ

鮮やかな色に豊かな音楽。山田尚子監督のアニメーション映画「きみの色」は、言葉では表せないあらゆる感情を言葉以外で表現していた。山田監督が手掛ける作品は、わかりやすい「説明」を提示しない。観客は「余白」を想像しながら、物語の行く先を見届ける。作品を振り返りながら、「きみの色」について考えてみた。


無理せず描くその人らしさ

京都アニメーション出身の山田監督は、テレビアニメ「けいおん!」(2009年)で初監督、「映画 けいおん!」(11年)で劇場監督デビューする。その後「たまこラブストーリー」(14年)や「映画 聲の形」(16年)を手がけ、「リズと青い鳥」(18年)では第73回毎日映画コンクールで大藤信郎賞を受賞。サイエンスSARUがアニメーション制作を手掛けたテレビアニメ「平家物語」(22年)でも監督を務めた。

山田監督は、物語のためにキャラクターに無理に語らせたり、都合のいいように動かしたりしない。キャラクターの自然な表情や仕草が、その人〝らしさ〟を作っている。例えば「リズと青い鳥」は、高校吹奏楽部の青春を描いた「響け! ユーフォニアム」シリーズのスピンオフ作品にあたるが、本編とは違う独特な存在感を放っていた。シリーズの主要登場人物の1人、鎧塚みぞれを主人公に、彼女が見ている日常をそのまま描いたような静かな世界があった。あまり動きがない中で、みぞれの表情が変わる瞬間や会話の内容から、彼女がどんな人物なのかを想像するのだ。


観客は目撃者となる

また、「聲の形」には多くのキャラクターが登場するが、物語は主に主人公・石田将也の視点から描かれ、彼以外の登場人物の考えや行動の意味が時に分かりにくい。観客は石田と同様、語られない部分を想像して埋めていく。答えがないからこそ長く心に残り、ふとした時に「なぜあの子はあんなことをしたのか?」と考えてしまう。山田監督の作品を見る際は、観客というより目撃者となって、彼ら・彼女らの日常をのぞいているような気がするのだ。

そしてもうひとつ、動植物の描き方も印象に残る。諸行無常の世界を描いた「平家物語」では、桜が舞う様子やチョウが飛ぶ様子など、自然の美しさを表現したカットがいくつもあった。人間のみならず動物や植物の命も丁寧に描くことで、平家物語の〝人間ドラマ〟というより、語り手となった琵琶法師の少女びわの日常の一部を見ているようであった。


脚本・吉田玲子、音楽・牛尾憲輔 おなじみの布陣

そんな山田監督の初のオリジナル長編が「きみの色」である。アニメーション制作はサイエンスSARUが担当。「けいおん!」シリーズから山田監督と作品を作り続けてきた吉田玲子が脚本、山田監督とは「聲の形」からタッグを組み今回が4度目となる牛尾憲輔が音楽・音楽監督を務めるなど、おなじみの布陣だ。

長崎にある全寮制のミッションスクールに通う高校生のトツ子(声・鈴川紗由)は、人の感情が「色」で見えるという秘密を持つ。ある日トツ子は、美しい色を放ち憧れていた同級生・きみ(高石あかり)と、音楽好きの少年・ルイ(木戸大聖)と古書店「しろねこ堂」で出会い、バンドを組むことになる。きみは高校を退学したことを祖母に言えず、ルイも母親にバンドのことを告げられない。それぞれが悩みを抱えながらも、音楽で心を通わせていく「青春×音楽」映画である。


優しい光で覆われた

まずはアニメーションが美しい。画面に映る全てが、優しい光で覆われているようなやわらかい印象を受ける。特に冒頭、トツ子に見えている「色」の説明の画(え)は、こどもが自由帳に何の制限もなく描いたような大胆な表現であった。

トツ子視点で始まる「きみの色」は、これまでの山田作品と同様、キャラクターたちがあまり語らない。言葉の代わりとなるのが、「色」と「音楽」だ。本作の色は、トツ子に見えるその人の気持ちや性格、たたずまいだ。感情が色として表れる。

きみの放つ青色はトツ子にとって特別で、大して話したこともないのに退学したきみを街中探し、バンドを組まないかと提案する。普通は「人の色」は目に見えないだろうが、なんとなくその人が好きか嫌いかが分かる時がある。こうした感覚的な部分を、山田監督は色として可視化したのかもしれない。

また印象的だったのは、「好き」という感情の表現だ。「恋」とも言えるその感情を、ステンドグラスのような、キラキラとした輝きを放つものとして描いていた。普遍的なようでも「誰かを好きになること」は唯一無二で、人によって異なるはずだ。その尊さが伝わってくる描かれ方だった。


異色のスリーピースバンド「しろねこ堂」

本作で「音楽」は、「言葉に代わるもの」として描かれている。トツ子が声をかけたことで始まったバンド「しろねこ堂」は、プロを目指すわけではない。3人とも音楽が好きで、このメンバーでやってみたいという純粋な気持ちが結成の理由だ。

新しいことを始める時、その先を考えてしまう。お金が稼げるかとか有名になれるかとか。だがしろねこ堂の3人はそういった欲望がないだけに、方向性の違いでけんかしたり、雰囲気が悪くなったりすることはない。ひとりひとりが楽しそうに曲を作り演奏する。本来「好き」って、そういうものだろう。

3人が演奏する曲「水金地火木土天アーメン」も、映画の大事なピースとなる。一度聴くと耳から離れないサウンドで、ボーカルのきみの美しい歌声にトツ子の可愛らしい声が重なり、聴いているだけで楽しくなる。歌詞に3人の名前がちりばめられていたり、昨日のご飯が出てきたりするのがしろねこ堂らしさ。「アーメン」と歌うバンド、なかなかいない。


〝なんとなく〟を信じてみる

時に音楽は、言葉以上に相手の心を揺さぶり、気持ちを訴えることができる。深く話し合わなくても、一緒に演奏すれば分かり合えることがある。心の内を乗せたしろねこ堂の曲は、同級生からシスターまで多くの人をひきつけた。きみとルイにとっては、祖母や母に本当の気持ちを伝える手段となった。

言葉にはできない、言葉にしたら消えてしまいそうなものを表現していた「きみの色」。これまでの山田監督の作品に見られたように「余白」があり、観客はその部分を想像したり、あるいは自分に置き換えたりできる。意見を述べる際は、何かとロジックを求めがちな世の中だが、〝なんとなく〟を信じてみるのも時には大事なのかもしれない。言葉にできないことは、無理にしなくていい。その勇気を持ちたいと思った。

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ライター
きどみ

きどみ

きどみ 1998年、横浜生まれ。文学部英文学科を卒業後、アニメーション制作会社で制作進行職として働く。現在は女性向けのライフスタイル系Webメディアで編集者として働きつつ、個人でライターとしても活動。映画やアニメのコラムを中心に執筆している。「わくわくする」文章を目指し、日々奮闘中。好きな映画作品は「ニュー・シネマ・パラダイス」。
 

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