「室町無頼」

「室町無頼」© 2016 垣根涼介/新潮社 ©2025『室町無頼』製作委員会

2025.1.17

日本版「グラディエーター」大泉洋の魅力を再認識させた「室町無頼」は、2025年にまず見るべき一作だ

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

筆者:

洪相鉉

洪相鉉

韓国で映画ファン、あるいはドラマのファンがよく使う言葉に「逆走行」というのがある。例えばある作品があまりにも面白い、以前に公開された関連作、またはシリーズ全体をさかのぼって追いかける。私には新作「室町無頼」の監督と俳優の両方が、まさにこの「逆走行」だった。


入江悠の演出力と大泉洋の多面性

まずは監督の入江悠。2017年の「22年目の告白 私が殺人犯です」を見た後、彼の作品を探した。同作は韓国映画のリメークで、原作の韓国内興行収入は22億円以上。しかし没入度の面では、アクションサスペンスだった韓国版より社会派スリラーの日本版の方に軍配を上げたい。逆走行が楽しかったのは、高崎映画祭の新若手督グランプリを受賞した「劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ」から、今年の毎日映画コンクールで河合優実が主演俳優賞を受賞した「あんのこと」に至るまで、密度の高い演出力を誇る彼のドラマへの感覚を満喫できたからだった。

主演俳優の大泉洋。筆者が彼本格的に注目するようになったのは、「アイアムアヒーロー」(16年)の鈴木英雄を演じたころからである。四方から押し寄せるゾンビをライフルで撃ちまくる結末部のシーンで、「探偵はBARにいる」(11年)の私立探偵は、アクションヒーローに生まれ変わった。あまりにも多才多能な大泉の活動分野を限定することは容易ではないが、彼のフィルモグラフィーは大体二つに区分けされる。「清須会議」(13年)や「駆込み女と駆出し男」(15年)のように「笑わせるキャラクター」を演じる場合か、「しあわせのパン」(12年)や「ぶどうのなみだ」(14年)のようなストレートドラマで「優しいお兄さん」を演じ場合である。

歴史上の人物を再創造

ただ、この監督と俳優のフィルモグラフィーが交わった「室町無頼」は、既存の類型を繰り返すのではなく、新しいバージョンの2人を見せることで鑑賞欲求を誘発している。入江監督については、国家の棄民と自己責任の強調、格差社会の深化という今日の現実との共通点以外にも、「アウトロー(無頼)」の主人公が権力に抵抗し、観客のカタルシスを引き出す社会派活劇となっていることが目を引く。ここで注目すべき点は、時には観客に負担感を与えかねない時代像に対する知識が、同作には必要ないことである。実在の人物がモデルだとしても、歴史書にたった一行記載されているだけだという事実は、この映画が今日の現実を中世に投影し、新しい想像力を加えて主人公を再創造したことを意味する。日本史の教科書に登場しそうな時代像に対する背景知識はいらない。

そして大泉も、これまでのフィルモグラフィーとは差別化されたキャラクターとして登場する。彼が迫力満点のアクションヒーローとして登場したことが筆者の好奇心を最も強く刺激したが、今作では「武士階級として反乱を起こした日本史上初の人物」を演じる。日本版ロビンㆍフッドあるいはグラディエーターというところか。


「室町無頼」© 2016 垣根涼介/新潮社 ©2025『室町無頼』製作委員会

面白さ加えたサイドキック、才蔵

ただ、やはり日本映画の特性だろうか。大泉が演じる蓮田兵衛は、人間的でユーモラスで優し圧倒的なパワーやかっこよさを持つ非凡さの塊という、平凡な我々と対極の人物でありながら、距離感を抱かせない。そう、劇場に座って隣の人と一緒に歓声を上げながら応援したくなるヒーローなのだ。

ここに面白さを加えるのが、観客の応援の中でますます存在感を強めていく「RPGゲーム型キャラクター」とも言える才蔵(長尾謙杜)である。没落武士の息子として奴隷のよう生活をしていた彼は、「スターㆍウォーズ」シリーズのルークㆍスカイウォーカーや「バットマン」シリーズのロビンのように、兵衛というメンターに会って人生の転機を迎える。

ここではジャッキーㆍチェン映画「ドランクモンキー 酔拳」の蘇化子を連想させる唐崎の老人(柄本明)に出会い、棒術の達人になっていく過程が作品への満足度を高める。特に湖畔での練習場面は、中盤部のハイライトとも言えるほどアイデアが輝いている。そして、観客の視線を集めるのが、兵衛とは腐れ縁の悪友300人もの荒くれ者を抱え、幕府から京都の治安維持と取り締まりを任される警護隊の首領、骨皮道賢(堤真一)。友達とビランの間を妙に行き来しながらドラマの緊張感と没入感を高める彼は、御所前での決戦で「ダークフォース」を爆発させる。


大作感支える演出力

「室町無頼」でこれらすべての要素を収容するプラットフォームとして働くのは、ブロックバスターの規模感である。時代劇にモダンな面白さを加える演出力を駆使しながら、魅力的な主人公やサイドキック、そしてカリスマ性あふれるビランが登場するドラマを展開するため、大作を見ている満足感が一貫して維持される。特に、室町時代の首都を完璧に再現しつつ庶民の貧困と貴族の豪華な生活を対比させ、その極端な違いを強調する反乱の場面の痛快さは、恐ろしいほどだ。

以後、京の火事と御所前での血闘の全過程を約33分30秒にわたって描く一揆のシークエンスは、実に瞬きする時間さえももったいないと感じる。感嘆を繰り返していた筆者の口からは、「日本映画はまだまだ死んでいない」という独り言がこぼれた。これならIMAX先行公開は当たり前ではないか。しかも、善悪の対決で終わるのではなく、敵への敬意まで見せながら憂愁の感情を刺激する結末は、まねすることすらできない日本映画ならではの情緒的魅力とも言える。

新しい1年の希望が芽生える1月を日本映画しかも時代劇の健在さをアピールするだけでは足りず、それをブロックバスターの形で刻印させる「well-made」大作で始められてうれしい。始まりがこのようなら、これからどれほどすてきな映画が続くだろうか。

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