「沈黙の艦隊」©かわぐちかいじ/講談社©2023 Amazon Content Services LLC OR ITS AFFILIATES. All Rights Reserved

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2023.10.13

防大出身記者が見た〝機密のかたまり〟潜水艦のリアルと独立戦闘国家「やまと」  「沈黙の艦隊」

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

滝野隆浩

滝野隆浩

潜水艦はいわゆる「防衛秘」のかたまりといわれ、防衛大学校卒で防衛庁・省の記者会に延べ10年以上所属した記者である私も、内部を見学できたのはわずか1回のみである。その際も厳しくチェックされ、たとえば艦内に入るハッチの「厚さ」が「秘」に当たるということで写真撮影は禁止された。そうした経験からすれば、今回、防衛省・海上自衛隊が全面協力して実物の潜水艦を使った「沈黙の艦隊」が映画化されたことは奇跡に近いことだ。しかも、指揮所から弾薬庫にいたる艦内の様子や潜水艦独自の戦術部分もきわめて精密に再現されており、リアリティーの追求という点でもこれまた奇跡的といえる。
 


 

海が突きつける大きな課題

一度実際目にすればわかるが、潜水艦の黒一色の姿は実にまがまがしい。全世界共通の、あの黒色は、見る者を一切寄せつけない「拒絶の兵器」であると私は感じる。一方、空の兵器の筆頭たる戦闘機は、もちろん現代科学の粋を集めた戦力として機能は同様にまがまがしいのであるけれど、なぜか人をひきつける。戦後、日本では「軍隊嫌い」の時代が長く続いたが戦闘機は別格で、男の子たちは漫画やプラモデルで心躍らせた。三島由紀夫は随筆「太陽と鉄」の中で、当時最新鋭だったF104に体験搭乗し、「何という輝かしい放埓(ほうらつ)だらう」と陶酔した表現で戦闘機を描いてみせている。「陰」の潜水艦、「陽」の戦闘機、といえるかもしれない。
 
これまで製作された映画にも、この「陽=戦闘機」と「陰=潜水艦」は多数登場する。「陽」ではトム・クルーズ主演で最新作もヒットした「トップガン」シリーズが有名であるし、「陰」ではトム・クランシー作品を原作にした「レッド・オクトーバーを追え」が思い出される。私の印象をいえば、戦闘機の映画はやはり大空を奔放に飛び回るアクションシーンが見ものである。それに対して海中をゆく潜水艦の映画は外の風景が限られているだけに、艦長以下乗員たちの心理描写が重要になってくる。さらに独断的にいえば、空はスカッと明るく敵と味方がはっきりしている。海はじりじりと何か大きな課題を突き付けてくる印象がある。


 

原子力潜水艦を乗っ取り独立宣言

映画「沈黙の艦隊」も、問いかけに満ちた作品である。
 
日本近海で海上自衛隊の潜水艦沈没事故が発生し、76人の乗員全員が死亡した。このニュースは日本のみならず世界に衝撃を与えたが、実は日米両政府が極秘に進めていた高性能原潜の日本保有が目的だった。76人はそのまま新原潜に乗り込み、計画は順調に進んでいた。ところが、「操艦の天才」である艦長、海江田四郎の指示で、引き渡し式の際に米軍の核兵器を略奪してそのまま逃亡。そうして海江田は自らを元首とした戦闘国家「やまと」の独立を宣言するのだった。世界一の軍事力をもって覇を唱えているアメリカが、自らもからんだ新造原潜が「独立」することを許すはずはない。世界最強の太平洋艦隊の総力をあげて「核テロリスト」を殲滅(せんめつ)しようとする。そして「やまと」との壮絶な戦いが始まるのだった。
 

秩序を得るために必要なのは何か

「やまと」はもちろん、テロリストの集団ではない。むしろ平和を志向する。「地球の70%は海だ。これほど広大な海を前にして、どうして人は争うのだろうか」。冒頭出てくる海江田の言葉である。しかし彼は、その平和を獲得するためには武力が必要だと確信している。しかも、その武力もただの兵器ではない。手に入れたのは究極の武器、核である。
 
つまり唯一の被爆国である日本が、極秘に原子力潜水艦を保有し、その新造艦が独立を宣言し、核兵器を使って世界平和を求めているのである。この幾重にも屈折した作品のテーマが、日本人に、いや世界中に問うのである。平和とは何か。世界の秩序を得るためには何が本当に必要なのか――。



海自の潜水艦乗りが心躍らせた原作漫画

かわぐちかいじの同名の漫画が「週刊モーニング」に掲載開始されたのは1988年である。東西冷戦の末期で、ベルリンの壁が崩壊するのはその翌年だ。自衛隊が大きく変容していく契機となる海外派遣もまだ始まっていない。あのころ、「モーニング」を買って同作品を愛読していたが、私にとって「やまと」の物語はファンタジーだった。日本人の乗った潜水艦が軍事大国の米ソ両軍と対等以上に渡り合っていく戦闘シーンを、単純に、ありえない活劇のように楽しんでいた。
 
防衛大同期の自衛官、とくに海上自衛隊の潜水艦乗りは、もっと心躍らせて漫画をむさぼり読んでいたはずだ。音を立てられない時間が長く続き、旧ソ連軍などの潜水艦のスクリュー音を採取する地味な任務である。多くの海自幹部が目指す「船乗り」というのは護衛艦などの水上艦をいう。潜水艦乗りは人気があるとはいえない職種なのだ。それなのに、「やまと」は旧ソ連軍どころか世界最強とされる米海軍部隊さえ蹴散らすのである。まさに胸のすく夢物語だったろう。


 

東アジア、ウクライナ、中東……武力に満ちた世界で

連載開始から30年余の時を超え、ファンタジーの世界にいた「やまと」が、ぬうっと、リアル世界に姿を見せた。映画を見終わって、私は思わずそう感じてしまった。この戦闘独立国家はリアルな世界にいる、と錯覚したのだった。
 
たぶんそれは、軍事力を背景として中国が覇権主義的圧力を強めたからであり、北朝鮮が核開発と弾道ミサイル発射実験を隠そうともせず繰り返しているからであり、何より、2022年2月、ロシアがウクライナに軍事侵攻したからである。武力による国際紛争の解決はしてはならないという国連憲章の精神は、2度の大戦を経験した人類がようやく獲得した財産であった。それを常任理事国がこともなげに破ったのである。いまリアルな世界では、むき出しの武力が行き交っているのである。さらに中東ではいま、イスラエルとイスラム組織ハマスが「戦争」を開始した。
 
今作品はもちろん、軍事アクションとしてもよくできている。手に汗握る水面下の戦闘シーンを楽しむこともできる。一方で、海江田の問いかけを深く考えてみるきっかけにもなりうる。「どうして人は殺し合うのだろう」「戦争を止めるのは、武力しかないのか」。ふだんは考えもしない難題を、リアルな話として自分に問うてみる、いいきっかけにもなる。アクション映画にしておくのは、私にはもったいないのである。

ライター
滝野隆浩

滝野隆浩

たきの・たかひろ 1983年毎日新聞入社。東京社会部、サンデー毎日編集部、前橋支局長などをへて社会部専門編集委員。著者は「宮崎勤精神鑑定書」「自衛隊指揮官」「これからの『葬儀』の話をしよう」「世界を敵に回しても、命のために闘う」など多数。現在、毎日新聞日曜紙面でコラム「掃苔記」を連載している。

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