毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2022.11.18
この1本:「ある男」 切実な過去を受け入れ
愛していた男が実は別人で、いったいその男は誰だったのか。映画やドラマで何度も取り上げられてきた設定だが、群を抜いている。ドラマの密度やリアリズム、精緻な演出と役者のたたずまいに目を離す隙(すき)がない。骨太なエンターテインメント作品だ。
里枝(安藤サクラ)は離婚を経て、子どもを連れ故郷に戻る。森の伐採現場で働く「大祐」(窪田正孝)と知り合い再婚する。ある日、不慮の事故で「大祐」が命を落とす。法要で夫が名前も分からぬ別人であることが分かる。里枝は弁護士の城戸(妻夫木聡)に身元調査を依頼する。
平野啓一郎の原作のエッセンスを凝縮して石川慶監督、脚本の向井康介が丁寧に映像化。描写に無駄がない。物語の核になる「他の人になりたい」という願望に温かな視線が感じられ、「大祐」らの生きる懸命さが切々と伝わる。雨や水たまり、陽光が人の営みや暮らし、苦悩を包み込む。在日外国人問題や加害者家族、死刑制度など底深いテーマを背景に置いたことで社会の矛盾がより浮き彫りになり、差別がはびこる現状を見据えた。題材や核心を重層構造で見せながらも、美しい映像とその透明感が柔らかさとぬくもりを照らす。緩急が巧みなのである。
「大祐」の人生を見つけ出していく過程は、スリリングでエモーショナルであり心がざわめく。そこから加速度的に作品の心臓部に向かっていく。ストーリーテラー的役割でもあった城戸に、あなたは何者でどう生きるのか、と問いかける。答えの一つかもしれないのが、「大祐」の真の姿を理解した終盤の里枝と長男悠人である。全てを受け入れつつも、「大祐」との幸福な日々を思う。つらい過去や他人になりたいという思いの中で、充実した日々を味わった数年をこの家族は知っている。それを大切に生きていく。やさしさと強さが広がっていく。2時間1分。東京・丸の内ピカデリー、大阪・あべのアポロシネマほか。(鈴)
ここに注目
ある人物の過去を探るうちに、思わぬ謎と真実が浮かび上がる。そんな形式の人間ミステリーは「砂の器」に代表されるように、かつての日本映画のお家芸。一級のスタッフ&キャストを得て、この伝統的なジャンルに挑んだ石川監督、大勢の登場人物が重層的に絡む物語を繊細かつ巧みに映像化した。キーイメージになるのは〝ある男〟の後ろ姿を描いた絵画。妻夫木ふんする弁護士が狂言回しにとどまらず、本作に隠された主題の〝当事者〟になっていく展開に引き込まれる。その点、結末の衝撃性がもうひと押しほしかったが……。(諭)
技あり
近藤龍人撮影監督は、日本映画に多いアメリカビスタ(1・85対1)でなく、横幅がやや狭いヨーロッパビスタ(1・66対1)で撮影した。たとえば里枝が店番する文具店が停電し、「大祐」が分電盤に手を伸ばし復旧するアップ。逆からの1発の光で、正面は暗いブロンズ像のようないい男、里枝がほれる瞬間の芝居を3カット入れる。この時、彼の両側に空間が広がると、効果がそがれる。ヨーロッパビスタで正解。アメリカビスタでは日本家屋は撮りにくい。それでも多いのは資本の要求か。階調も安定し、マエストロの風格が出てきた。(渡)