毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2022.12.02
この1本:「あのこと」 彼女と同時に見る絶望
言語や文化を超えて登場人物と一体感を味わえるのが、映画の魅力の一つ。未知のことを疑似体験し、他者を理解する助けとなる。しかしこの映画、かなりしんどい。堕胎という、産まない性には決して体験できない、産む性であってもおそらく経験したくないことに肉薄する。主人公の苦しみを自分事として感じることで、賛否の分かれる問題に新たな視点が開くだろう。
1960年代、人工妊娠中絶が違法だったフランスで、女子大生のアンヌの妊娠が発覚する。成績優秀、将来を期待されるアンヌは、子どもが生まれたら大学を続けられず、夢も未来も失うと焦り、中絶の方法を求めて奔走する。
アンヌにはあけすけにセックスを語る友人がいるし、かかりつけ医は親身にアンヌに言葉をかける。母親からも愛情を注がれている。しかし彼らの誰も、中絶など思いもよらない。口に出すことすら恐ろしいのだ。選択肢のないアンヌは、孤立無援の闘いを強いられる。
映画は1週間ごとの章立てで、アンヌの体と心の変化を刻々と追っていく。説明的な描写やセリフは極力排し、カメラはアンヌの見たものと行動だけを写し取る。アンヌは自らの命を危険にさらし、法を犯してでも中絶しようとするが、次第に追い詰められてゆく。アナマリア・バルトロメイが、細かな表情と仕草でアンヌの焦燥といら立ち、絶望を体現し、観客は息苦しく、チリチリと背中が焼けるような気分にとらわれる。
映画は、中絶の是非や命の尊厳といった倫理的、宗教的問題には触れない。アンヌの内面だけを見つめている。なぜ、アンヌだけが苦しまねばならないのか。選択肢を奪われた理不尽さを痛感するはずだ。
今年のノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーの小説を、オードレイ・ディバン監督が映画化した。1時間40分。東京・Bunkamuraル・シネマ、大阪・シネ・リーブル梅田ほか。(勝)
ここに注目
視界と空間を限定し、観客の視点を主人公に同化させた演出手法が、恐ろしいほど効果を上げている。「~週目」という妊娠週数を示す字幕は時限爆弾のカウントダウンのようだ。男性の筆者ですらそんじょそこらのスリラーよりはるかに緊張を強いられたのだから、女性にとってはほとんどホラーだろう。扇情的なショック描写を用いずにそれを達成したディバン監督、ただ者ではないと見た。終盤には極めつきの戦慄(せんりつ)ショットも待ち受けているが、極限の不安と孤独の中で命がけの闘いを選択する主人公の行く末から目が離せなかった。(諭)
技あり
ディバン監督の意向で、スタンダードサイズ(1対1・37)の縦横比を採用、画面の集中度は高い。ロラン・タニー撮影監督には「カメラはアンヌ自身になるべきだ」とご託宣。全編、揺れ防止装置付きの手持ちカメラで追う。収差の少ない50㍉レンズが中心。「タニーは私の後ろか肩の上にいて、皮膚の下に入り込むような感覚」とアナマリアが言う密着度。夜中にアンヌが気絶寸前でトイレに駆け込むと、カメラも駆け込み、振り上げてアップ。救急搬送され、カルテを確かめるまで、アップで押す。画面に隙(すき)はない。リアリズム礼賛。(渡)