「リコリス・ピザ」© 2021 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved.

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2022.7.06

PTAから若さへのラブレター「リコリス・ピザ」:いつでもシネマ

藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

藤原帰一

藤原帰一

 今日は若い男女がはつらつと走り回る、すごく元気な映画をご紹介しましょう。子どもが大人に成長すること、そして男女の出会い、英語で言えばカミング・オブ・エージとボーイ・ミーツ・ガールは、どちらも映画でおなじみですが、定番だからこそ工夫がないと面白くない。そこにちゃんと仕掛けがあるので退屈せずに引き込まれる作品です。
 


年の差10歳 臆せずナンパ

時代は1970年代の初め、舞台はロサンゼルス郊外のサンフェルナンドバレー、まだ15歳の少年ゲイリーと、25歳の女性アラナが出会います。アラナは写真撮影のために高校を訪れたカメラマンの助手、ゲイリーは写真撮影のために列に並んでいる高校生の一人なんですが、このゲイリー、向こう見ずというか自信満々というか、10歳近く年上のアラナをナンパするんです。最初アラナは相手にしませんが、ゲイリーがあまりに積極的なのでアラナは引きずり込まれるように結びつきを強めていく。シンプルすぎるくらいシンプルなお話です。
 
それにゲイリーは、まだ高校生。20代のアラナと恋愛関係になるのかな、2人がベッドに入ったりするような展開になると見るのがちょっとつらい、なんて心配しちゃいましたが、そうはなりません。ゲイリーが性行為への好奇心を持っているのは歴然としていますが、アラナは、私の胸を見たいの、ほら、なんて挑発するように胸をはだけてしまう。気おされたゲイリーが、それでも触っていいなんて聞くんですが、アラナはゲイリーの顔をひっぱたいて家を出てしまいます。で、映画の終わりまで、手をそっと触れるだけなんです。
 

アメリカの夢を凝縮した町

ですから肉体関係なんてお話にはならないんですが、2人の主導権を握るのはゲイリーのほう。ショーマンだと自分のことを自慢し、実際にミュージカルの子役もやっています。ウオーターベッドを売るなんて仕事にも手を出すのでいかにも危なっかしいんですが、お母さん、姉妹との暮らしに息詰まる思いのアラナは奔放なゲイリーに魅力を感じるんですね。
 
この映画の舞台となったサンフェルナンドバレーは、ワーナー・ブラザースをはじめとした映画のスタジオで知られ、一獲千金の成功を夢見る人でいっぱいの町です。ゲイリーは、末端とはいえ高校生の時からショービジネスに関わり、ウオーターベッドとかピンボールマシンとか怪しげな仕事で成功したいと思っている。地味な生活を強いられるアラナにとって、年下のゲイリーは、いつもの生活の外に広がる魅力的な世界とつながる人。映画のなかでもごく当たり前のようにベテラン俳優や映画監督が登場しますけど、近所にいるとはいいながら、この人たちは、アラナはもちろんゲイリーの生活からもかけ離れた存在です。サンフェルナンドバレーは、アメリカ社会の夢と現実をギュッと圧縮したような空間だといっていいでしょう。


 

故郷を舞台に親しみやすく

監督のポール・トーマス・アンダーソンは、もうアメリカを代表する映画作家になりました。どの作品も撮影や音響が見事なので技術面だけで魅惑されますが、精細な画面づくりは共通していても一作ごとに映画のスタイルはまるで違うので、共通したテーマなんて当てはめるのは野暮(やぼ)というもの。それでも、イギリスを舞台とする「ファントム・スレッド」を別とすれば、「マグノリア」のロサンゼルス、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の石油、「ザ・マスター」では新興宗教というように、現代アメリカを表現してきた作品が多いということはできるでしょう。
 
そしてこの「リコリス・ピザ」、数多いポール・トーマス・アンダーソン監督の作品のなかでも親しみやすい作品になりました。その理由は、映画の舞台がサンフェルナンドバレーだから。アンダーソン監督、この町で育ったんですね。町の手触り、吹く風、においまで伝わってくるような思いに駆られます。
 
時代設定も重要です。70年代のアメリカは、カウンターカルチャーやベトナム反戦運動などによってそれまでの醇風(じゅんぷう)美俗のアメリカが倒され、ドラッグとセックスがライフスタイルになったような時代でした。ポルノ映画が流行した時代を捉えた「ブギーナイツ」もそうでしたが、ポール・トーマス・アンダーソンはこの時代が大好きなんですね。
 

チャーミングな新人俳優

しかも、時代を描きながら、その時代を戯画化することはない。羽目を外したように誰もが好き勝手をしているような時なのに、アラナもゲイリーも一線は越えようとせず、全速力で走り回るだけ。「マグノリア」や「パンチドランク・ラブ」のような不条理に向かわないため、親しみやすい映画に仕上がりました。
 
俳優についても申し上げなければいけないでしょう。ジョン・C・ライリーやダニエル・デイ・ルイスをはじめとしてアンダーソン監督はいい俳優を繰り返し使ってきた人ですが、今回はちょっと違うからです。アラナもゲイリーもいかにも自然体でみずみずしく、演技を感じさせませんが、アラナを演じるアラナ・ハイムもゲイリー役のクーパー・ホフマンも、映画に出るのはこれが初めてなんですね。2人の新人に主演を任せ、ショーン・ペンやブラッドリー・クーパーといった名だたる俳優を脇役にしちゃったところに監督の才気を感じます。
 
なかでもゲイリーは、笑顔がすこぶるチャーミングなのにやることなすことはデタラメという早熟と未熟がないまぜになった難しいキャラクターですが、クーパー・ホフマンはこれを見事に演じて、映画をさらってしまう。若くしてお亡くなりになったお父さんのフィリップ・シーモア・ホフマンもポール・トーマス・アンダーソン監督作品の常連でしたが、お父さんに匹敵する名演です。
 
その結果として生まれたのは、新人俳優が駆け回る、若さへのラブレターです。親しみやすいアンダーソン映画をご賞味ください。

ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 千葉大学特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。