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2022.4.07
普遍的な感情を届ける 北村匠海 映画「とんび」
幾度となく関係が途切れても必ずつながる親子の半生を描いた映画「とんび」が、本日から公開される。重松清の小説を基に映画「64 -ロクヨン-」などの瀬々敬久が監督し、不器用な父親の市川安男(ヤス)を阿部寛、その息子の旭(アキラ)を北村匠海が演じる。
ぶっきらぼうで勘違いされやすい日本一不器用な男・ヤスと、母を事故で亡くして以来、町の人々に助けられながら育った息子・アキラの物語は、不朽の名作として愛され、これまでに2度、映像化された人気作。中学生からのアキラを演じた北村匠海は、「北村匠海が演じるアキラでいい」という瀬々監督のことばを胸に、撮影に挑んだ。役への思い、そして、作品を通して感じたことを語ってもらった。
――「とんび」のアキラ役を受けようと思った、一番の理由は何でしたか?
令和版アキラ
作品のなかではヤスからアキラへ、アキラから次へと命のバトンがつながれていきますが、「とんび」も小説から始まり、映像化ももう3本目で作品自体もバトンされているように感じたので、今回の令和版「とんび」がまた次の時代につながっていったらいいなと思いました。忘れちゃいけない普遍的なメッセージが描かれた作品で、きっとずっと映像化されていく作品だと思うので。そのなかで令和版アキラのお話をいただけて、とても光栄だと感じましたし、純粋に阿部寛さんとお芝居することも楽しみだったので、ぜひやらせていただきたいと思いました。
――物語は昭和37年の岡山県の架空の町備後市から始まります。昭和という時代は意識しましたか?
ヤスとのやり取りのなかに昭和の雰囲気が漂っていたように思いましたし、時代の空気は現場に流れていたので、そこに乗っかっていきました。
――セットは実際に岡山県の浅口市金光町(こんこうちょう)にある商店街を利用して作られたそうですが、あの街並みも芝居のヒントになりましたか?
すごかったです。僕は平成9年生まれなので昭和の景色はあまり知らないですが、実際にあるお店も使いながら昭和のセットを作っていたので、匂いや町の活気をすごく感じました。
――北村さんは中学生からのアキラを演じましたが、その際、大切にしたことは?
自然とアキラに
自分より前のアキラがつないでくれたものを大事にしていました。(撮影に入る)ギリギリまでドラマ「にじいろカルテ」を撮っていたので、子供時代のアキラの撮影を見ることはできなかったのですが、阿部さんは頭からの順撮りで子供のアキラと過ごしてきた時間をお持ちだったので、そこに飛び込んでいきました。そうすることで、自然とヤスとアキラの関係性が出るだろうなと思ったので。現場の空気もできあがっていて、皆さん、口をそろえて、「アキラ、おっきくなって!」と言ってくださって(笑)、そこでも自然とアキラになることができました。
――ヤスは言葉足らずで日本一不器用な男ですが、ここまでの人はなかなか現代にいないように思いますが、すぐに受け入れることはできましたか?
いや、男なんて、みんな不器用だと思いますよ、僕も含めて(笑)。今は器用に見せるのがうまくなっているだけで、みんな、気持ちを伝えるのが下手くそで、漫画のようにはいかない。素直になることが一番難しくて、素直は超最強だと思います(笑)。
それに、現代社会では自分で本心だと思っても、それが本当に本心かわかりかねるところがあると思うんです。情報過多の社会ではいろんなことを考えて、我慢しているところがあって、そこが昭和と令和の違い。昭和は今ほど情報が錯綜(さくそう)していなかったと思うので、素直に生きやすい時代だったのではないかなと思います。だから、ヤスみたいに自分の生き方を貫けたのではないかと。現代ももっと単純でいいのになって、ちょっと思いますね。
――ヤスの生き方にあこがれますか?
「俺の人生は幸せだ」
そうですね。ヤスのセリフに「俺の人生は幸せだ」というのがあるのですが、ヤスのように生きているとそう言えるのかな? ヤスは自分勝手に生きているように見えるかもしれないですけど、人生はその人のものなので、その人の勝手でいいのではないか。ヤスの人生を見ていて、そう感じました。
――そのヤスの生きざまは、アキラにも伝わっていたんですよね?
だからこそ、アキラは街を出たんだと思います。あのままヤスと暮らすことも頭のなかにあったと思うんですけど、ヤスを見て育ってきたからこそ、自分の人生を自分の生きたいようにすることを選んだし、(杏演じる)年上で子供もいる由美を結婚相手に選んだんだと思います。
――アキラにも、ヤスのように不器用でいとおしさを感じるシーンはありますか?
由美の子供を一人で迎えに行くシーンです。アキラも不器用で、気持ちと裏腹にことばにできない。いざ自分が父親の立場になってみると子供とどう接していいかわからないという、ヤスと重なる瞬間がいっぱいあって、僕自身もヤスとの血のつながりを感じる瞬間でした。
――ご自身がヤスとのつながりを感じたということですが、そういう感覚が身についたのはいつぐらいからですか?
自分じゃない瞬間
12歳ぐらいだと思います。芝居のなかで完全に自分じゃない瞬間になることを経験して、そこから芝居が楽しくなっていったように感じます。「鈴木先生」というドラマだったんですけど、お芝居をしているのを通り越して、役そのものが自分自身みたいに感じられることがあったんです。心の底から戦えたり、言い争えたり、泣けたりしたんです。
――その時、自分はどこにいるんですか?
僕は常に俯瞰(ふかん)から見ている人で、どこか冷静な自分がいたりするんですけど、その俯瞰にあった感覚が主観になった瞬間に役が自分だと感じるのではないかと思います。
――映画館でその瞬間を目の当たりにしたいと思います。ちなみに瀬々監督がTwitterで謝る時にケーキを買ってくるヤスが一番好きと書かれていたのですが、北村さんはどんなヤスがお好きですか?
いっぱいありますが、アキラが東京の大学に受かった時に家を飛び出して、近くの小さい祠(ほこら)にお礼を言いにいくヤスがめっちゃ好きです(笑)。
――そこも注目ですね。まもなく全国公開となる、今の気持ちをお聞かせください。
映画として素晴らしいものになっていると思いますし、今、この時代に届けるべき作品だと思います。愛情など、普遍的な感情を届けることができるのは、とてもうれしいことだなと思っています。