「バティモン5 望まれざる者」© SRAB FILMS - LYLY FILMS - FRANCE 2 CINÉMA - PANACHE PRODUCTIONS - LA COMPAGNIE CINÉMATOGRAPHIQUE – 2023

「バティモン5 望まれざる者」© SRAB FILMS - LYLY FILMS - FRANCE 2 CINÉMA - PANACHE PRODUCTIONS - LA COMPAGNIE CINÉMATOGRAPHIQUE – 2023

2024.5.26

「フランスが好き」と言えるか 移民選別で広がる郊外の絶望とそれでも残る希望 元パリ特派員が見た「バティモン5」

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

久野華代

久野華代

毎日新聞の特派員として2019年から3年ほどパリで暮らした。「バティモン5 望まれざる者」で描かれたような絶望の片鱗(へんりん)は、パリの路上のあちこちに転がっていた。


あの時、ソマリア難民はどこへ消えたのか

ロシアがウクライナに侵攻した22年2月、フランスは避難者を積極的に受け入れ、欧州としての連帯を示した。隣国ドイツからの長距離列車の終着・パリ東駅ではフランス赤十字がのぼりを掲げて待機した。私もウクライナ国内の様子を避難民から取材しようと、到着する列車を待っていた。

そこへ、荷物を抱えて子供を連れ、ベールをかぶった黒人の若い女性が、駅の掃除の女性に伴われて赤十字ののぼりに近づいてきた。掃除の女性は「この人、ソマリアから来たんだって。フランス語はわからないらしい。どうにかしてやって」と頼んだ。アフリカ北東部のソマリアは長引く内戦で、貧困や治安の悪化が続く国の一つだ。赤十字のスタッフが困惑していると、駅の案内係の男性が通りかかり、「アラビア語ならわかるかな?」などと母子とコミュニケーションを試み始めた。あまり通じていないようだった。

そのうちにドイツからの列車が到着し、スタッフはウクライナ避難民の出迎えに追われ、私が英語か仏語の話せるウクライナ人を探している間に、ソマリアから来た母子はいなくなっていた。長い移動で疲れ切ったウクライナの女性たちは、私のつたない取材に言葉少なだった。ソマリアから来た母子も、フランスにいる親戚知人を頼って長い旅をしてきたはずだ。あの日の晩をどこで過ごしたのだろうか。


パリのデモでウクライナへの攻撃をやめるよう訴える人たち=レピュブリック広場で2022年3月、久野華代撮影

弱者を翻弄する選択の政治

同じ頃、パリ北郊のパンタン地区では、地下鉄駅に近い住宅街にある500平方メートルの公園に300人のアフガニスタンやイランからの難民申請者がテントを張って暮らしていた。支援団体や警察などによると、施設に空きがなく、屋外でのキャンプ生活は暫定的な措置だという。3月のパリはまだ肌寒く、人々はたき火にあたって時間をつぶしていた。

イランから一家で逃れてきたクルド人のアフサーナさんは、「フランスで保護を求めて、地べたに寝かされるとは思ってもみなかった」と涙を浮かべた。アフガニスタン西部のヘラート近郊から家族に送り出されて陸路を1人でやってきたという10代の少年は、「早く働きたい」とサッカーボールを蹴っていた。彼らが屋根のある施設に入れたのは、この2カ月後のことだった。

映画では、「選択的移民」がテーマの一つとして描かれている。ピエール市長は自覚的にキリスト教徒のシリア人親子の難民受け入れを選択する一方、団地の住民たちを冷酷に追い出した。パリ東駅の赤十字のスタッフに、「選択」の意思は全くなかっただろう。だが、フランスが助ける人と助けない人を区別する現場を目の当たりにし、こういう状況に慣れたくはないと思った。侵攻から2年以上が経過し、現在はウクライナからの避難者も世間の関心の低下で苦しい状況に置かれている。都合のいい選択の政治が、弱い立場の人を翻弄(ほんろう)する。

イスラム教徒「解放」「啓蒙」が波紋

パリで暮らした3年の間、郊外や移民を巡る政治は排除の色合いを濃くし、正直に言って「これが人権の国フランスか」とがっかりすることが多かった。イスラム過激思想によるテロが相次ぎ、その抑止の名の下に打ち出された政策が一般のイスラム教徒に否定的なメッセージとして伝わる流れが強まっていた。20年、預言者をモチーフにした風刺画をマクロン大統領は、「フランスには侮辱する自由がある」と擁護した。中東のイスラム教徒らから風刺画は侮辱や挑発だと非難の声が上がる中、マクロン氏は「啓蒙(けいもう)されたイスラムをフランスが作る」とまで演説した。

また、過激化対策の一環として、フランスの医師が「処女証明書」を書くことを禁止する規定も作られた。結婚前の女性に性交渉の経験がないことを重視する一部のイスラム教徒が利用するとされ、政府は「フランスに別の価値観を打ち立てようとするイデオロギー」としてこれを阻止し、「男女平等の原則を守る」と説明した。だが、ある医師に取材すると「そんなものを要求してくるムスリム女性はごくわずかだ」と切り捨てた。むしろ、禁止条項として取り上げることで、「因習に縛られたイスラム教徒を解放する」というストーリーを印象付ける狙いが政府にはあったのだろう。22年にはイスラム教徒の女性向けの水着「ブルキニ」を巡り、公営プールでの着用を容認するグルノーブル市の方針に右派が猛反発し、司法が市の方針を認めない決定を下した。


「バティモン5 望まれざる者」© SRAB FILMS - LYLY FILMS - FRANCE 2 CINÉMA - PANACHE PRODUCTIONS - LA COMPAGNIE CINÉMATOGRAPHIQUE – 2023

「フランスは好き」と言えるか

新聞記者としては当然、テロ抑止の切迫性や、革命で王政を打倒したフランスにとって、権力批判の根拠となる表現の自由や政教分離の重要性を踏まえて原稿を書く。水着でさえ政治的な論点となる、フランスなりの事情がある。マクロン政権が、世論のテロへの警戒心を背景に、論争を権力基盤の強化に利用しようとする側面もあった。

一方、その代償となるのは、過激化とは縁遠い、フランス生まれの若いムスリムたちの自尊心だ。「因習に縛られた人々」という刻印を押しつけられ、プールで何を着るかまで権力者に口出しされるような国で、「自由と平等」を信じることができるだろうか。19年の米調査機関のまとめでは、北アフリカに由来する名前を理由に、フランスでは3割が就職活動で不利な経験をしたといい、その割合は欧米で最も高かった。アラブ系移民2世でフランス生まれの友人は、「英国への移住を考えている。フランスではもう、ストレスで暮らせない」と嘆いていた。映画で、「フランスは好き?」と問うシーンがあるが、私なら「いや、ひどい国だ」と答えるだろう。

だがしかし、この国にはもう見るところがないかというと、そうではない。郊外の移民家族の出身で進学や就職で苦労した当事者たちが、同じ境遇の若者の支援や、自分たちの経験を発信して差別解消を訴える活動に乗り出している。また、家を失った人に寝泊まりする場所として、企業が事務所の空きスペースを提供して自立支援につなげる活動もある。「どうせ夜間は誰もいないのだから、使ってもらおう」という合理精神から出た発想だが、驚くようなアイデアが実現している。


フランスの大都市で行われる一般的なデモ。このデモでは性的少数者への差別反対を訴えていた=パリで2021年6月、久野華代撮影


排除される人々の痛み 東京と地続き

本作「バティモン5」の他にも近年、Netflix映画「アテナ」や「その日がやって来る」など郊外と政治を題材にしたフランス発の映像作品が次々と公開されている。郊外の荒廃はフランスの暗部だ。だが、それをアーティストが批判的に見つめ、正面から描いた作品がいくつも発表され、観客が支持する。本作のラジ・リ監督は郊外を舞台に警察と少年の対立を描いた前作「レ・ミゼラブル」の成功で新たな映画製作の資金を得られたと語っている。それは、私たちの知っているフランス的な社会と芸術の関係性ではないかという気がする。

もうすぐパリでオリンピックが開かれる。パリ北部オーベルビリエ地区には団地と団地の間に4000平方メートルの市民向け農園があったが、競技施設整備の一環で接収された。住民は23年、バリケードを築き農園に泊まり込んで抵抗したが、最後は治安部隊が排除した。

私たちはこの映画に、排除される人間の痛みを感じ、いたたまれぬ気分になる。そのことは、開会式が行われるセーヌ川も、パリのシンボルのエッフェル塔も、さらには3年前にオリンピックがあった東京も、郊外と地続きなのだということを思い出させてくれる。

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ライター
久野華代

久野華代

くの・はなよ 1983年生まれ。2006年から毎日新聞で保健や環境、医療について取材。共著に「B型肝炎 なぜここまで拡がったのか」「川島隆太教授の脳トレ川柳」「世界少子化考」など。24年9月からフランスの学士課程に留学予定。

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  • パリのデモでウクライナへの攻撃をやめるよう訴える人たち=レピュブリック広場で2022年3月、久野華代撮影
  • フランスの大都市で行われる一般的なデモ。このデモでは性的少数者への差別反対を訴えていた=パリで2021年6月、久野華代撮影
  • 警察官と衝突し、催涙スプレーをかけられるデモ隊の男性=パリで2018年11月幾島健太郎撮影
  • テントが密集する難民キャンプ「ジャングル」=フランス北部カレーで2016年7月、賀有勇撮影
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