誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
2025.1.22
コスパ重視ならお勧め MZ世代から人生を問い直す学園サスペンス「遺書、公開。」
2016年から2023年までプチョン国際ファンタスティック映画祭(BIFAN)でプログラムアドバイザーを務めていた。韓国の国際映画祭の中で最も多くの日本映画が出品されるこの映画祭で、自分の一生の中で最も多くの学園ものを見た時期だった。
正直、その前まで学園ものは筆者にとって見慣れない分野だった。まず、家庭の都合で一人海外に送られ、欧米の学校を転々としたため、学園ものの背景となるような学校に通ったことがなかった。朝から夕方まで同じ教室で授業が行われる学校でなかったのは言うまでもなく、制服を着たこともなかった。
バラエティー豊かな日本の学園もの
そのせいか筆者にとって学園ものは、架空の空間で繰り広げられる物語だ。もちろん、欧米にも「トワイライト 初恋」のようなハイティーンロマンスのジャンルはあるが、日本の学園もののように完璧な定型性は見られない。それに日本の学園ものは、さまざまなジャンルに細分化されている。「君の膵臓をたべたい」のようなメロドラマ風の恋愛映画があれば、「今日から俺は!!」のようなコメディーもあり、アクションでも「バトルㆍロワイアル」のようにファンタジーの特性が強いものや「クローズZERO」のように格闘ゲームを連想させる作品もある。
個人的にはBIFANに招待した「佐々木、イン、マイマイン」のような成長映画の特性を持つ作品を好むが、劣らない愛情を持っているのが「シグナル100」のようなホラーや「ソロモンの偽証」のようなサスペンスなのだ。特に学園もののサスペンスは、ドラマの登場人物が全て同じ空間の構成員であり、限られた空間の中で起きる事件がドラマの中心に位置するため、没入度が非常に高い。
クラス序列1位の人気者が残した遺書
陽東太郎の同名漫画を映画化した「遺書、公開。」もこの例にあたるだろう。デビュー作「ハンサム★スーツ」から頭の中の想像を実写化することに抜群の才能を披露し、数多くの漫画を自然な実写作品に再誕生させ、コロナ禍の真っ最中にもかかわらず45億円の興行収入を記録して2021年の実写映画の興行収入1位を占めた「東京リベンジャーズ」の英勉監督が、名声にふさわしい腕前を発揮した。春、SNSで送られてきたクラス内序列で、誰もがうらやむ1位になった姫山椿が突然命を絶ち、25人のクラスメートに残した遺書をみんなが読むこと以外に事件が起きない点を考えれば、極めて単純なストーリーの構造を持った作品といえる。しかし、それが同じ空間で一日中お互いの一挙手一投足を見守る人々の間で起きるために、荒唐無稽(むけい)な状況に驚くほどの説得力が与えられる。
筆者としては椿の葬儀の後、遺書朗読のための学級会で「彼氏」の赤﨑理人が涙を流しながら手紙を読むシーンまでは、その後どのような方向に展開するのか全く分からなかった。皆が憧れた人気者、椿の遺書が、クラスメートへの優しいメッセージという文面とは全く違う意味を含んでいることが指摘されると、序盤には極めて平凡に見えていた一人一人の予想できなかった姿を引き出し、まるで一編の狂詩曲のようにドラマの流れを自由自在に変奏し、観客を興奮に追い込む。
「遺書、公開。」©️2024 映画「遺書、公開。」製作委員会©️陽東太郎/SQUARE ENIX
吉村北人の新鮮さと説得力
ここで特に目に入るのは、当初は周辺部(序列も下位圏の19位に過ぎない)にいながら、ストーリーが展開されるにつれてフレームの中に入り込み、叙事の中心に立つ主人公の池永柊夜を演じた吉野北人だ。彼が提示する人物像は、サスペンスの主人公が持っているいかなるクリシェ(執拗=しつよう=さや推理力など)を持たない代わりに、クラスメートと観客の視線を同時に反映するキャラクターとしてドラマをリードしていく面で、非常に新鮮だ。
さらに「遺書、公開。」の叙事の構造から見ると、椿と絡んでいた池永の過去の物語を少しずつ提示しながらも、無理な感情の動揺やキャラクター変化などを見せない安定感が目立つ。それに吉野の役者としての才能という点から観察すると、序盤部と結末部で謎の鍵を持つ人物と他のクラスメートをつなぐ媒介者の役割まで見事にやり遂げ、本格的な内面演技を必要とするストレートドラマの演技者に発展していける可能性さえ感じさせる。
このような面白さの他にも、「遺書、公開。」がこれまでのサスペンス学園ものと差別化される理由として、必要以上の残酷な場面や猟奇的な描写がないにもかかわらず、鑑賞中に息を殺し、姿勢を直して座ることさえちゅうちょするほど堅固なシナリオが挙げられる。登場人物のささいな行動ひとつひとつが、全てその後の結果とつながっている。
その一方、全員が一緒にいる場で真相を追究していく設定はある面ではテレビのバラエティー番組のような感じもするが、プロデューサーはそうした物語の特性を考慮してオファーしたのだろうか。「遺書、公開。」の脚本を書いたのは、有名バラエティー番組の構成作家である鈴木おさむだ。
自分の人生を生きているか
最後に特記すべきことは、120分という上映時間があっという間に過ぎた後、エンディングクレジットが上がった劇場に座って、もう一度映画の意味について考えさせられる同作の意外な重みのあるメッセージ性だ。MZ(ミレニアル+Z世代)の時代になってもやはり変わらない、いや、SNSと共に暮らしているため、より重くなったかもしれない他人の視線に対する負担感、その中でいつか消えてしまう自らの人生に対する問い。25人の瞳は尋ねている。「あなたは本当の自分の人生を生きているのか」と。
完成度の高いサスペンスの面白さとともに思索も求める点で、映画体験のコスパを重視する観客に強く勧めたい一本である。