誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
2024.4.20
自由で多様 北欧の価値観映す「リトル・エッラ」
こんなにも平和な世界は、現実に存在するのだろうか。幸せな気持ちになると同時に、考えさせられた。なぜ北欧ではこのような物語が生まれるのだろう、と。
スウェーデンの絵本作家、ピア・リンデンバウムの「リトルズラタンと大好きなおじさん」(日本語未訳)を原作に、ノルウェー出身のクリスティアン・ロー監督が手掛けた「リトル・エッラ」。友だちをつくるのが苦手な少女・エッラは、サッカーが大好きだ。唯一の親友であるおじのトミーは、スウェーデンの元サッカー選手、ズラタン・イブラヒモビッチに例えて「ミニ・ズラタン」と呼ぶ。だがある日、トミーの家に恋人のスティーブがやってくる。エッラはトミーを奪われるのではないかと不安になり、スティーブを追い出すためにいたずらを仕掛けていく……。
同性愛のカップルも自然に描く
トミーとスティーブは同性同士のカップル。ロー監督は原作で2人の愛が自然に描かれている点を気に入ったという。「トミーが同性を愛することは偶発的なことで、エッラにとって彼の恋人が男性か女性かは関係ない。愛は愛なのです」と語る。
物語の終盤、トミーがひざまずき、婚約指輪を取り出すと、エッラがそれをスティーブの左手の薬指につけるシーンが印象的だった。スウェーデンでは2009年から同性婚が法制化されており、劇中でも周囲の人々はトミーとスティーブを当たり前のように祝福している。
日本でも近年、同性愛をテーマにした作品は増えてきている。一方、これまで私が見てきた作品は、社会に理解されない苦悩を描くものが多かった。今の日本で今作は「同性愛の自然な描き方」に注目する向きがあるだろう。しかし北欧ではそれすらも気にせず、当たり前のこととして受け入れられているのだろうか。
「リトル・エッラ」© 2022 Snowcloud Films AB & Filmbin AS
少数派も当たり前の存在として
北欧5カ国では、いずれも同性婚が認められており、ロー監督は積み重ねてきた教育の意味を指摘する。「北欧では小学生の頃からLGBTQについて学び、同性愛についてもかなりオープンになっています。特に若い観客にとっては、とても自然なこととして受け止められているのではないでしょうか」
そして今作では同性愛だけではなく、周囲となじむのが苦手なエッラやいじめを経験した少年など、特別視されがちなキャラクターが、ただ一人の人間として描かれ、そこに偏見や差別は存在しない。過去にいじめに遭い、エッラと同じ学校に転校してきた少年、オットーは原作にはないキャラクター。ロー監督も子どもの頃にいじめを受けたことがあり、孤独を感じた経験を投影したという。
国境も言語も超えて共感
子どもや若者の物語を得意とする監督には、忘れられない経験がある。米シカゴで開かれた子ども向けの映画祭で作品を上映したときのことだ。観客は貧困地区に住む黒人の子どもが多かった。ロー監督は「全く環境の異なるノルウェーの田舎で育った自分の経験を基にした物語は、共感されないだろう」と悲観していた。しかし上映後は多くの観客の支持を集め、いじめや孤独といったテーマに共感してくれたという。国境を超えて思いが伝わった経験から、その後も子どもや若い観客のために映画を作ろうと決意した。
今作に込められた「友達は人生の庭に咲く花」というメッセージ。監督自身も、いじめを受けていたときに助けてくれた親友がいたという。
社会の中で少数であっても、弱い立場に置かれていても、多様な人々が生き生きと暮らせる。そんな世界は、監督のようにいつまでも子どもの頃の気持ちを忘れず、人のつながりを信じるところから始まるのだろう。全ての人が特別ではなくただ一人の人間として描かれる作品は、北欧社会のありように基づくのかもしれない。