鈴鹿GP予選後にコース上でインタビューを受けるセナ

鈴鹿GP予選後にコース上でインタビューを受けるセナ1988年10月29日、川崎浩撮影

2025.1.10

88年F1鈴鹿GP「コースに神を見た」セナを取材 元レース記者が見たNetflix「セナ」の再現度

いつでもどこでも映画が見られる動画配信サービス。便利だけれど、あまりにも作品数が多すぎて、どれを見たらいいか迷うばかり。目利きの映画ライターが、実り豊かな森の中からお薦めの作品を選びます。案内人は、須永貴子、大野友嘉子、梅山富美子の3人に加え、各ジャンルの精鋭たちが不定期で寄稿します。

筆者:

ひとしねま

川崎浩

さかのぼること30年。1994年の5月、ブラジルの天才自動車レースドライバー、アイルトン・セナが、イタリアでのレース中に事故死した。当時、日本でも大々的に報じられたので、ファンでなくとも記憶に残っているのではなかろうか。Netflix配信中の「セナ」は、その一生を描いた評伝ドラマシリーズ(全6話)である。筆者は88、89年の鈴鹿GPで、絶頂期のセナを目撃した。自動車レースが注目される昨今、筆者が撮影したお宝写真と共に、もう一度この巨星の姿を見つめ直してみよう。


ブラジルでは「偉人」を超えて「聖人」

アイルトン・セナ(1960年3月21日、ブラジル・サンパウロ生まれ)は94年5月1日、F1グランプリ第3戦サンマリノGP(イタリア・イモラサーキット)の決勝レース7週目にコースアウトしてコンクリート壁に激突、34年の生涯を閉じた。彼がレーサー時代に打ち立てた記録は、3度の世界チャンピオン獲得をはじめここに書き切れないほどだが、ありきたりな物言いなれど、明らかに「記録より記憶に残る」人物であった。ブラジルでは「偉人」を超えて「聖人」とまでたたえられる。日本でもホンダエンジンを使用して勝ちまくったこともあって、大ファン数知れず。「セナ」という読みの名前を付けられた子供がどれだけいることか。全国の「セナ君」「セナちゃん」は、出自を知るためにも全員必見である。

Netflixは、結構「クルマ」ものコンテンツを大切にしていると見えて、24年末時点で、ドキュメンタリー「FORMULA 1 栄光のグランプリ」「アイルトン・セナ 音速の彼方へ」「シューマッハ」を配信中だ。この中の「アイルトン・セナ」は、セナ生誕50年の10年に慈善団体「セナ財団」公認の下、イギリスで作られたドキュメンタリーで、実写を編集した作品である。

本稿で紹介する「セナ」の方は、実写は必要最小限にとどめ、基本的に全編役者が演じ、新しく撮影したドラマである。こちらも「セナ財団」の公認。つまり「セナの公式伝記映像」はドキュメンタリーとドラマの2作品が存在するわけだ。この2作が同時に見られるとは、ファンの至上の喜びである。


「セナ」© 2023 Netflix, Inc.

「似てない」批判封印 好演光る俳優陣

さて、ドラマ「セナ」は、いくつもの見どころが存在するが、まず、まったくセナを知らない人、レースに興味のない人にも楽しめる、魅力ある人間ドラマに仕上げられている。実写映像を積み重ねたドキュメンタリーより分かりやすく、長丁場を楽しむためには重要なポイントであろう。

そして、俳優陣の演技が見事である。第一に、セナ役のガブリエウ・レオーニ。セナはスーパースターゆえ本人映像が山のように存在する。つまり「似ていない」と言われやすい。演じる苦労は、並大抵ではない。40年後に「大谷翔平物語」を誰がやれるか考えてみればいい。レオーニは、カリスマ性、宗教的キャラクター、激情的であり内省的であるという二面性など、セナの個性を、集中し落ち着いて演じている。


死に直面した生き様を活写

レーサーは、大げさでなく、日々、死に直面していると言っていい。人間の感性と身体能力を超えた世界に住んでいる。そもそも「普通」ではいられないのだ。なれど「普通」の部分もあるに決まっている。この両極端のバランスを取りながら生きるのが彼らの一生に違いない。その精神的な綱渡りの部分を、レオーニは的確に演じた。関係する周辺の人物、特に、宿敵であるアラン・プロスト役のマット・メラも、冷静な「プロフェッサー」の部分と嫌みな「勝負師」の部分を見事にひとりの人格に溶かし込んでみせた。

また、父母や姉といった家族、妻、恋人で人気タレントのシューシャ、古くからの友人など、親密な関係者の演技も真に迫り、プライベートなセナ像を掘り下げるのに重要な役割を果たした。その流れで言えば、数多く登場するレーサー、チーム監督やオーナー、オーガナイザーやジャーナリストなどレース関係者も生き生きと描写され、知識がなくても全く退屈しない。物語をスムーズに進めるため、ローラ・ハリソンという架空の女性ジャーナリスト(カヤ・スコデラーリオ)を登場させたのも効果的であった。


ファンにはたまらない「そっくり」度

登場人物の「そっくり」演技とメークがすごい。セナとプロストはもとより、国際自動車連盟(FIA)会長バレストルやマクラーレンチーム監督のロン・デニス、ウィリアムズチームのフランク・ウィリアムズら、レース関係者までが雰囲気そっくりである。ただ、本田宗一郎、中嶋悟はじめ日本人と日本に関する描写は「ありゃ?」感があってちょっと残念(悪意は感じられないものの……)。

ファンの一番の注目点はレースシーンのリアリティーであろう。これにはちょっと驚いた。まさに本物以上の迫真ぶりである。作品中のレースカーは、カート、フォーミュラ・フォード、F3、F1と各カテゴリーの実車やレプリカを用いたうえでVFXによる映像処理を行っている。そのうえで、廃業したサーキットにこのレースカーを持ち込んで、プロドライバーに走らせて撮影したうえ、ポストプロダクトでVFXによるシーン加工を行う。車両や背景、観客を重ねて、「ありえない」映像を生み出している。これまで見たレース映像の中でも指折りのクオリティーである。何度も行った鈴鹿サーキットを実写と思ってしまった(これはメイキング番組「セナ:制作の舞台裏」で映像技術を確認できる)。

絶頂期のレース中のショットを掲載

セナのレーサーとしての「絶頂」は、鈴鹿での88、89年の「日本GP」であろう。本作でもこの2戦をクライマックスとして描いている。筆者はその両戦に取材記者として居合わせた。写真特集にあるのは、その時に撮った写真である。

88年、マクラーレンのピットで撮った予選時のセナとプロストの後ろ姿は、このドラマのワンシーンのようだ。プロストの怒気をはらんだ表情と指さしが2人の関係を表している。予選でポールポジションを獲得して、ピットロード上でブラジルメディアのインタビューを受けるセナが、カメラに視線をくれたショットでは、疲れ切った目がうつろな気がする。このGPの決勝の後、セナは「コースの上に神を見た」とコメントした。


天才レーサーに肉薄した本気ドラマ

89年、決勝47周目のシケインでセナとプロストが接触。プロストは車を降りたが、セナはコースマーシャルに押しがけしてもらい、シケイン不通過でコースに復帰。すぐにピットインして、破損したノーズコーンを取り換えてピットアウト。再び先頭に立ちゴールするも、プロストの抗議で失格となる。プロストはこれでワールドチャンピオンとなった。写真はピットで破損したノーズコーンを取り換えるセナと走り出すセナ。

壊れたノーズコーンは筆者の目の前にしばらく放置されており、つい持って帰ろうかと思ったが、グッとこらえた。ドキュメンタリー版「セナ」の車載カメラ映像に、ノーズ交換時にカメラを構える筆者が映っている。人生の記念である。

ということで、「セナ」は文字通り「命がけの天才レーサー」の一生に思いをはせる、力のこもった「本気のドラマ」であると断言できる。セナにほれた人、思い出のある人は絶対楽しめる。カーレースもセナも知らなくても「スポーツと人間愛」というテーマのドラマとして第一級のレベルであり、大変面白い。興味がわけばドキュメンタリー版「セナ」もお薦めである。プロストは、ドキュメンタリー版は気に入らなかったようだが……。

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  • 鈴鹿GP予選後にコース上でインタビューを受けるセナ
  • 鈴鹿GP予選後のセナとプロスト
  • 鈴鹿GP決勝    シケインでの接触で損傷したノーズコーンを交換し、ピットアウトするセナ
  • 鈴鹿GP決勝 シケインでプロストと接触し、ピットに戻って損傷したノーズコーンを交換するセナ=川崎浩撮影
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