「フェラーリ」 © 2023 MOTO PICTURES, LLC. STX FINANCING, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

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2024.7.13

美とスピードの〝高級ブランド〟誕生の瞬間 「フェラーリ」6+1の見どころ徹底解説 前編

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

ひとしねま

川崎浩

見終わった後にしみじみ「映画を見たな」と実感できる重量級の大作である。「車なんか興味がない」というあなた! 「男の世界に愛情物語はいらない」というあなた! 「露悪趣味の辛気くさい映像美はご免被る」というあなた! 先入観を捨てて見てみてください。「桁違い」の映画の面白さが随所にちりばめられていますぞ!

この映画の注目すべきところは、映画全体を支える構造体が幾重にも重なり絡み合って、ある軸、例えば冷酷な野心家の「伝記もの」を主軸に置けば、それが太い中心軸に見える。が、ちょっと視点をずらして緊張の「ビジネスもの」、スピードに酔いしれる「レースもの」と見ればそういう映画にもなる。同様にいびつな一家の「家族愛もの」、センス抜群の「レトロもの」と万華鏡のように見え方を変えるのである。鬼才マイケル・マン監督の「活動写真美学」は全体を支配し揺るぎないので、それらが散漫になることはない。ということで、いくつかの「鑑賞軸」を設定して、桁違いの面白さを分析してみよう。完全解説である。


①伝記映画 〝嫌な男〟の1957年 ブランド誕生の瞬間

タイトル通り、最高級自動車を生み出すイタリアのフェラーリ社の創設者エンツォ・フェラーリ(アダム・ドライバー)を描いている。と言いながら、誕生から逝去までを描くわけではない。マン監督は、ほんの少しの回想シーンは挿入するものの、1957年、特に「ミッレミリア(1000マイル)」という名のイタリア公道レースに背景を集中させてエンツォの人格を解剖していくという驚きの手法を取る。

「エンツォ? そんな人、知らん」で結構である。だが、「ブランド」はお好きではないか? この映画はほんの数カ月のエンツォを描くことで「ブランド」の誕生の様子を浮かび上がらせてしまう。美しく速い車を作ることだけに人生をかけ、そのためには、何の妥協もせず、周辺に配慮もなく傲慢で独りよがりで冷酷で嫌みで、まあ、簡単に言えば「ヤなやつ」である。ただ「美を求める孤高の情念」によって、エンツォは今や誰もが認めるフェラーリという名のブランドを作り上げたのだ。

ポルシェに負けても揺るがぬ権威

ブランドというのは、現実的な「性能」ではない。「保証」のことである。ポルシェやスカイラインGTRと「ヨーイドン」してフェラーリが負けまくる動画がネットには山のようにアップされているが、そんなことでブランドは揺るがない。では「何の保証」か。持ち主の「人格の保証」であり持ち主にとっては「保険証」、それどころか「パスポート」なのである。
 
どんな鼻つまみ者でもフェラーリで乗り付ければ周囲に「おおっ!」と後ずさりされる。この「おおっ!」をもたらす圧倒的な権威が「ブランド」だ。承認欲求がどんどん高まるSNS時代において、分かりやすく具体的に他を圧倒してくれるのが「ブランド」と言えよう。エンツォは狂気にも似た自動車美に対する執念で、フェラーリを唯一無二の「ブランド」に押し上げた。その象徴的な瞬間を切り取った映画なのだ。ちなみにトヨタや日産は、「メーカー名」であって「ブランド」ではないのはお察しの通り。


 

いいとこなし「封建の時代の悪大名」

悪そうに見える人にも、実はいいところがあるのよ、というのが並の伝記。だが、マン監督は、そんな手あかのついた陳腐な表現はしない。「悪いやつは悪い。嫌なやつは嫌」と一刀両断、身も蓋(ふた)もないのである。家庭を顧みない、愛人に子供を作る、長年働いた従業員を気に入らないと即解雇、記者をたらし込み、自社延命のためのフェイクニュースを書かせる……封建時代の悪大名そのものだ。

そして、監督の映画には、そもそも「死」の影が付きまとうが、「フェラーリ」は常ならぬ。全編にわたって通奏低音のように「死」が聴こえ続ける。エンツォは「死神」なのか……。「病死した一人息子のディーノを愛していた」などと言われるが、筆者は疑問視する。12気筒の高性能精密エンジンしか作らなかったエンツォが6気筒エンジンを開発した時、そのエンジンとそれを使った車をディーノと名付けた。これを美談という人もいるが、見方を変えれば「フェラーリ」を名乗らせなかったのだ。

マン監督らしいところだが、1秒たりともエンツォを善人として描くことはない。「人間とは、そうだからそうなんだ。何の問題があるんだ」と突き放す。このくらいでないと「ブランド」は生まれないと映像に説得力を持たせる。「ブランド」とは裏付けなど拒否する「神話」のことなのである。

②ビジネス 走れば競争の欧州人 熱狂は商売

欧州人は、走るものがあると必ず競争する。自転車もバイクも車も、誕生したらすぐレースを開催している。自転車のジロ・ディタリアも自動車のル・マン24時間も100年以上続いているのだから推して知るべし。そして大衆が熱狂するものはビジネスになると誰もが思う。

第二次世界大戦で疲弊しつくした欧州産業界は、戦前から得意種目だった自動車生産に希望を託した。彼らのセールス方法論の中に「美しい車・速い車が売れる」という「古典的な考え方」があった。その代表格がエンツォなのだ。日米同様に、国策も絡んで大衆化大量生産路線に向かったルノーやシトロエンやフィアットが、揺りかごや荷車のような車を作っている最中に、フェラーリ、マセラティ、ランチアは、レースカーや貴族的な高級車を作った。そして「売れなかった」。そのツケが、この映画の「1957年ミッレミリア」に集約されるのである。

命がけの販売促進を美しく見せる

映画の中で「昨年売ったのは98台」「400台売れないと会社が潰れる」と、エンツォと経理担当者が口論するシーンがある。そこで「レースに勝とう、勝ったら売れる」という短絡な発想が生まれる。タイヤむき出しのF1レースではセールスに直結しないから、ブレシアからサンマリノ、ローマなどを巡る1600キロの公道レース「ミッレミリア」がセールスプロモーションの舞台に選ばれる。市販車の改造車両が数多く出場する中、フェラーリとマセラティだけが、優勝の栄冠を求めて専用のレーシングカーを持ち込む。マセラティもこの年が崖っぷちの正念場だったのだ。

「007」だって「ワイルド・スピード」「TAXI」「トランスポーター」だって自動車は走りまくる。走るどころか、飛んだりぶつかったり爆発したり、ムチャクチャ派手なのに、なぜ走るだけのレース映画が命脈を保てるのか?

その回答は、こう推測できる。レースはほかのリアルスポーツと同じく、共通の「ルール」の中で、持てる才能のすべてを使い文字通り死に直面しながら戦う。そこにギリギリの人生を背負って参加する人々の姿が桁違いの感動を与える。映画はそれを整理し美しく見せてくれるからではないか。「グラン・プリ」「栄光のル・マン」など名作が目白押しである。来年にはブラッド・ピット主演で映画「F1」も公開予定と聞く。


③レース ミッレミリアと悲劇の大事故

この映画のハイライトが伝説のレース「ミッレミリア」である。これを頭に入れなければ面白さは半減するから、知らないままはもったいない。

1927年に始まったイタリアの都市を結ぶ「1000マイル=ミッレミリア」の公道レースである。まず、コースの美しさが桁違いである。また、そのコースをデザイナーやメーカーが技を凝らしたレースカーが走る情景が、何ものにも代えがたいと伝説の上書きがなされる。この映画の中でも山岳地帯、田園地帯、石畳の都市部などを伝説の名車(最高級のレプリカ)が疾走する。ここは車ファンでなくてもたまらない美しいシーンの連続となる。

観客巻き込む大惨事をリアルに描写

さらにフェラーリとマセラティの2社による一騎打ちは、レース通ならばよく知るネタである。ファンジオやモスやデ・ポルターゴやコリンズやタルッフィなどといった名ドライバーが死闘を繰り広げ、最後はフェラーリ315Sを駆った苦労人のタルッフィが優勝するという劇的な結果になる。だが、問題は、レースが終わる直前に発生した5月12日の大事故である。

スペイン貴族のデ・ポルターゴが乗るフェラーリ335Sが、ゴールから20マイルほど手前のブレシア郊外でタイヤがバースト。車は宙を舞い、観客を巻き込んで大破し、デ・ポルターゴと同乗のナビゲーター、観客9人(13人説も)が死亡した。このシーンは桁違いにショッキングだから鑑賞注意である。

マセラティ撤退、開催中止

さて、この事態にエンツォがどう反応するか? 子供の観客も巻き込まれていたので、ディーノを思い出し号泣するのか? 車作りの意味を問い直すのか? そこをマン監督がどう描くかが、映画の重要ポイントとなる見どころである。ちなみに、現実にこのレースでタルッフィは引退。マセラティはレースから撤退。ミッレミリア自体も政府の指示で以後開催中止となるのであった。残ったのはフェラーリだけなのだ。

ミッレミリアは復活し現在も行われている。といってもメーカーが覇を競うレースではなくクラシックカー愛好家による紳士的なイベントである。イタリア本国版、日本版など各国で実施されており、イタリアではこの映画が描いた1957年までの大会に出場した車種にのみ、出場資格が認められている。その走る姿はまさに「レトロ」で、人気は年を追うごとに増している。堺正章、東儀秀樹、横山剣(クレイジーケンバンド)、近藤真彦の4人には、音楽記者として日本版ラ・フェスタ・ミッレミリアで出会った。彼らが少年のように目を輝かせてクラシックカーを操る姿を思い出すと、車好きに描かれる愛人の息子ピエロと重なるのだった。

フェラーリ315S、マセラティ450S、プジョー403 クラシックカーの美学 「フェラーリ」6+1の見どころ徹底解説 後編

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ライター
ひとしねま

川崎浩

かわさき・ひろし 毎日新聞客員編集委員。1955年生まれ。音楽記者歴30年。映像コラム30年執筆。レコード大賞審査委員長歴10回以上。「キングコング対ゴジラ」から封切りでゴジラ体験。

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