誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
2024.7.14
フェラーリ315S、マセラティ450S、プジョー403 クラシックカーの美学 「フェラーリ」6+1の見どころ徹底解説 後編
重量級の大作「フェラーリ」は、「桁違い」の映画の面白さが満載だ。隅から隅まで味わい尽くすために、六つの視点から徹底解説する後編は、超高級車とマイケル・マン監督の意外なつながり、そしておまけとして、記者の見たレーサーの哀愁の一幕である。
〝高級ブランド〟作ったのは嫌な男 「フェラーリ」6+1の見どころ徹底解説 前編
④フェラーリ愛 マイケル・マンと深い因縁
レース映画ファンは、本作と映画「フォードvsフェラーリ」(2019年)との連関に、すぐに気が付くはずだ。フェラーリ社の吸収合併を申し入れた米国大企業のフォード社は、エンツォに鼻であしらわれる。これにヘンリー・フォード2世が激怒。この憎たらしい弱小企業フェラーリに目に物見せてやろうと世界最高峰の半公道耐久レース「ル・マン24時間」に参戦する。そして1966年、フォードは優勝する。しかし、この騒ぎにおけるエンツォの大きな目的は、フェラーリが米国資本に乗っ取られるようなうわさを流し、イタリアの大企業フィアットに資金を出させることだったのだ。1957年の状況と同じである。
実は、この作品はマン監督の企画だったのだ。ジェームズ・マンゴールド監督に代わっても、スタッフロールを見るとマイケル・マン製作総指揮と名前が残っている。エンツォに固執するマン監督は、「フォードvsフェラーリ」の5年後に、描かれた内容から9年前の前日譚(たん)となる「フェラーリ」をやっと自分の手によって撮ったということになる。
「フォードvsフェラーリ」「ラッシュ」 エンツォの軌跡
マン監督は、個人的にもフェラーリ社に近い。本社や工場も訪問しているだけでなく、これまでに何台ものフェラーリを所有していたという。オークション会社サザビーズのサイトによると2017年、彼から出品された1986年型テスタロッサが145万ドルで落札されている! 「ブランド」はお金の桁も違うのだ。
マン監督とは関係ないが、2013年の「ラッシュ/プライドと友情」というレース映画がある。マクラーレンに乗るジェームス・ハントとフェラーリに乗るニキ・ラウダのライバル関係を1976年のF1グランプリを背景に描いたロン・ハワード監督の大作。「フェラーリ」「フォードvsフェラーリ」と合わせ3作を見ると、50年代から70年代まで、3種類(古典的な公道レース、半公道の耐久レース、サーキットのF1レース)の自動車レースすべてでフェラーリがトップを争い、なぜ「ブランド」になり得たかが見通せる。もちろんエンツォは3作すべてに登場する。
ちなみに、今回「フェラーリ」の宣伝を務める堂本光一は「ラッシュ」ではハントの吹き替えを行っている。ラウダの吹き替えは堂本剛だった。ハントが乗ったマクラーレンチームは、「フォードvsフェラーリ」の中でフェラーリを負かしル・マンで優勝したフォードGT40mk2の2号車を運転していた、ブルース・マクラーレンが主宰する。
1966年のカンヌ国際映画祭で最高賞を獲得した「男と女」でラリードライバー役のジャン=ルイ・トランティニャンがテストドライブするのはまさにフォードGT40mk2そのものである。その監督クロード・ルルーシュは、フェラーリの最高傑作の一台と言われる275GTBを所有していたとされており、それを使って「ランデブー」という短編を撮った。ただし、実際にカメラを載せて走っているのは、もう1台持っていたベンツ450SEL6.9(こちらも最高級)で、後で275GTBのエンジン音だけ画面に重ねたという。監督というのはどこまでもうかるの!?
パスタとレースカーをつなぐのは
ミッレミリアでの競走シーンで、537号車のマセラティ450Sの左ボディに取り付けた車載カメラが何度も左前方フェンダーを映し込む。そこに「BUITONI」と書かれたスポンサーワッペンが貼ってある。日本でも有名な老舗パスタメーカーなのは分かる。なれどしつこ過ぎるので、何か裏があると踏んでエンドクレジットを凝視したら製作陣の中にGianLuigi Longinotti‐Buitoniという名前があるではないか。
調べると、フェラーリUSAの元CEOで、「フェラーリは究極の夢工場」と位置付け、なんと北米の売り上げを80%上げた人物であった。ラルフ・ローレン欧州の元CEOだし、サッカーのウェブサイトgoal.comの創設者でもある。イタリアのパスタメーカーの血縁者と考えて間違いない。1957年のマセラティのスポンサーの縁者が、後にアメリカでマン監督にフェラーリを売り、縁を育てるうちに2023年、共に映画作りに乗り出す……あまりにでき過ぎた話であろうか。
⑤家族 封建オヤジを振り回す女たち
さて、こんな状況下での59歳封建オヤジたるエンツォの家族はどんなものだったのか。ペネロペ・クルス演じる妻・ラウラは、レーシングドライバーだったエンツォと戦前に結婚し、1932年に長男アルフレード(ディーノ)が生まれる。エンツォはそれを機にドライバーを引退し、経営者として活動を始める。戦後、自動車メーカーの「フェラーリ」を設立するが、その右腕となったのが、ラウラである。
だが、作ったレーシングカーは勝ちまくるのに、会社は火の車。最愛の息子も56年に病死した。悲しみいらだち、エンツォに向け銃を発砲するほどだ。しかも調べると、夫は愛人を作って息子までいる! だが、ラウラは今度は銃を向けない。エンツォに残酷な取引を持ち掛けるのだ。
本物と雰囲気そっくりで憎々しいエンツォを演じるアダム・ドライバーもうまいが、それにも増してクルスは抜群である。ソフィア・ローレンらが演じていた、デシーカやフェリーニ映画に登場する憎たらしくヒステリカルなイタリア美熟女の感じがよく出ていて素晴らしい。「愛憎相半ば」ではなく「可愛さ余って憎さ百倍」で行動するキャラを際立たせている。桁違いに怖いのだ。
愛人を演じたシャイリーン・ウッドリーもうまい。エンツォに対して、息子の認知をねちねちと迫る怖さはクルスと同格。この息子ピエロはラウラの死後、やっと認知され、現在フェラーリ社の役員をやっている。エンツォの母親も絶妙なキャラクターである。愛人の存在を知り怒り狂うラウラを見て「だから何?」的な落ち着き払った様子を崩さない。黙殺は暴力より残酷である。つまるところマン監督は、この映画に「家族物語」も重ねているが、「ありきたりの愛」は描かない。「男=エンツォ」も変なら「女=妻・愛人・母」も変。でも、マン監督は「これが普通でしょ。あなたの『普通』は妄想か白昼夢かもね」と突き付けてくるのだ。
⑥ちょい古レトロ
最近、洋の東西を問わず「ちょい古」は人気である。この映画はそんな「ちょい古」ファンの心もときめかせる映像美が満載である。つづら折りの山道も、石畳の古い街並みも、どう撮ったのか不思議な懐かしさを感じる。人工物でさえ、映る物すべてに人間の手で作られた柔らかさを持つ。道を駆け抜ける滑らかなボディーラインをした車の数々は、スポーツカーだけでなく庶民の大衆車もまことに美しい。
エンツォの普段乗りは、だるまさんのようなフランスのプジョー403である。アルファロメオでもフィアットでもないのは、この因縁のある2社に対する嫌みだったのであろう。この車は、そののちイタリア系「刑事コロンボ」の自慢の愛車になるのである。
ではなぜ、レトロなのか? 簡単に言えば、ほとんどの人が今の時代に疑問を抱き、どこかにひと時の逃げ場を探しているのではないか。映画は、SFかアニメか「ちょい古」ばかりである。今の時代には意味のない装飾物や過剰なデザインや無駄な性能は、疲れ弱った心身を優しく包んでくれる。「帰ってきた あぶない刑事」のヒットも「旧車」の人気も同じ理由ではなかろうか。
おまけ 巡る因果がレースの怖さ
音楽記者になる前の何でも屋の記者の頃、1987年から94年まで鈴鹿サーキットでのF1グランプリの取材に携わった。88年8月14日、エンツォが亡くなった。鈴鹿GPの決勝は10月30日。前日29日の夜中、各チームのピットではエンジニアたちが徹夜覚悟の最終整備を行っていた。フェラーリのピットで、イタリア人ドライバー、ミケーレ・アルボレートが電話をかけているではないか。
「F1で優勝したフェラーリを運転した最後のイタリア人」である。エンツォにとりわけ気に入られていたアルボレートは、チームからクビを言い渡されたが「もうエンツォがいないのだから心残りはない」と言っていた。その時の電話は、時間からも表情からも、きっと移籍先についての国際電話だったろう。でも、その姿を写真に撮らせてくれた。その後、フェラーリに戻ることはなかったが、イタリア人のレースファンは、「エンツォが寵愛(ちょうあい)したドライバー」としてアルボレートを忘れなかった。
しかしアルボレートも、2001年、ル・マン24時間のテストドライブ中に、タイヤがバーストし事故死してしまう。この「因縁因果が巡っている」という感覚が、レース映画の本質的な怖さである。マン監督の狙いが、そこにあるとはさすがに思えないが……。