「毎日映画コンクール」は1946年、戦後の映画界復興の後押しをしようと始まりました。現在では、作品、俳優、スタッフ、アニメーション、ドキュメンタリーと、幅広い部門で賞を選出し、映画界の1年を顕彰しています。日本で最も古い映画賞の一つの歴史を、振り返ります。毎日新聞とデジタル毎日新聞に、2015年に連載されました。
2022.2.13
毎日映コンの軌跡⑮ アニメに光当てた大藤信郎賞
最初の受賞者は手塚治虫 独自のアニメ技法を追求し世界的に知られた大藤信郎が1961年7月28日、61歳で死去した。18歳で日本アニメの始祖の一人、幸内(こううち)純一に弟子入り。17年に下川凹天(おうてん)が日本初のアニメを発表した1年後だ。大藤は千代紙や色セロハンを使ったアニメを考案し、53年「くじら」が仏カンヌ国際映画祭で絶賛されるなど国外でも知られた。しかし商業的成功は得られず、姉八重に物心両面で支えられ、生涯、個人製作を続けた。その功績から第16回(61年度)毎日映画コンクールで特別賞を贈られる。
大藤は晩年「困難なアニメ製作者の励みになる賞を作りたい」と語っていた。受賞を機に62年、八重は毎日映コンと相談、「大藤信郎賞」新設が決まる。実験的なアニメの作り手を選び、八重が寄贈した大藤の遺産を基金に、賞金とトロフィーを贈ることになった。選考委員には岡本太郎も加わり、第17回で最初の受賞者に手塚治虫が選ばれた。漫画連載などで得た資金でアニメ製作に取り組み、「ある街角の物語」を完成させていた。
大藤賞はアニメに光を当てた唯一の賞で、この後、和田誠や久里洋二らの実験的作品が並ぶ。テレビアニメの増加に伴って劇場公開されるアニメも増え、密度の濃い意欲作が増えていく。流れを変えたのが、宮崎駿監督だった。第34回「ルパン三世 カリオストロの城」が、商業映画として初めて大藤賞を受賞。第43回には宮崎監督の「となりのトトロ」が大藤賞と日本映画大賞を同時受賞する。これを機に、第44回からアニメーション映画賞が設定され、大藤賞で先駆的な試みに光を当て、アニメ映画賞で作品全体の完成度などを評価することになった。
もっとも、第68回「かぐや姫の物語」でアニメ映画賞を受賞した高畑勲は、「大藤賞が欲しかった」と慨嘆した。大藤の存在感は、今も大きい。