「男性映画」とは言わないのに「女性映画」、なんかヘン。しかし長年男性支配が続いていた映画製作現場にも、最近は女性スタッフが増え、女性監督の活躍も目立ち始めてきました。長く男性に支配されてきた映画界で、女性がどう息づいてきたのか、女性の視点や感性で映画や社会を見たらどうなるか。毎日新聞映画記者の鈴木隆が、さまざまな女性映画人やその仕事を検証します。映画の新たな側面が、見えてきそうです。
2022.4.06
女たちとスクリーン④ 監督・田中絹代 芝居への執着と人間へのまなざし
三島有紀子監督に聞く・上 「憑依型」俳優ならではのリアルな演出
40代前半から約10年の間に6本の映画を撮った監督・田中絹代。いずれも俳優・田中絹代との深い相関関係が生み出した作品たちであり、双方が交錯してより高い極みを築き上げていった。監督・田中絹代は、現代の女性監督にはどう見えるのだろうか。柔らかな視点と骨太な演出で女性の自立や働く女性を描き、現在第一線で活躍する三島有紀子監督に、田中絹代監督の演出の核心をひもといてもらった。今回はその1回目。
芝居場にいたるまでの繊細な積み重ね
--6本の監督作品の中で最も印象に残っている作品は。
3作目の「乳房よ永遠なれ」(1955年)が圧倒的にすばらしかった。あの時代に男性が見たくないであろう女性の情念の部分を力強く、自分の人生を生き抜く姿をむき出しにして描いていた。主人公のふみ子(月丘夢路)がいつも家や病院などに、ある種閉じ込められている姿を、誰かを見送ったり迎えたりという同じ演出のカットで描出し、当時の女性の立場を淡々と描いていた。
田中監督の演出は、芝居場と言われる大きい芝居は確実にいいが、そこに至るまでの繊細な芝居を積み重ねていくところがすごい。一見、何でもない小さなシーンだが、例えば「乳房よ永遠なれ」で、ふみ子は旦那が浮気したと分かった時に、相手の女が残していった足袋を見つける。
男の背中を見て怒りと悲しみと情けなさがこみ上げてくるプロセスをしっかり撮っている。気持ちが生まれてくる過程を長く見せる。それが頂点に達した時の声にならない息のような「ウェー」といううめき声とともに後ろに倒れる。こうした芝居の付け方は実にリアルだ。
--役者としての経験が生かされている。
そうです。もう一つ、この映画で森雅之がお風呂から出てきたシーン。廊下を歩きながら髪の毛をなでる。風呂あがりのリアルさが強調される。細かい小さな仕草で、森が考えてされたんでしょうが、それをすくいあげている。田中監督は役者でもあるのでその意味が見えていてOKを出している。演出ってそういうことの積み重ねだと思う。全てのシーンがそうなっている。
役者という肉体を通してならそういう芝居は生み出されるかもしれないが、頭の中で考えているだけでは「ウェー」といって倒れる芝居は思いつかない。田中監督はシーンによって、憑依(ひょうい)型ともいえるスタイルの芝居を大事にしたのではないか。監督作品の役者にも憑依させ、もちろん自身も憑依させている瞬間があった。
田中絹代の初監督作品「恋文」で衣装合わせをする女優たち(中央が久我美子、左端が香川京子)=田中絹代ぶんか館提供
監督としてのまなざし、溝口からの解放
--1作目「恋文」、2作目「月は上りぬ」と続き、3作目の「乳房」が大きな転換点になった。
1、2作目は木下恵介監督と小津安二郎監督が脚本だったが、3作目は女性脚本家の田中澄江を呼んで一緒に作った。自分の作りたい映画をしっかり作りたかったし、描きたいものがたまっていたのだろう。さきほど、芝居についてふれたが、田中監督の大きな特徴の二つ目は、監督としてのまなざしがきちんとあったことだ。人間を見るまなざしといっていいと思う。それは1作目から明らかに分かる。
ただ、3作目のころから「女性の視点」とか「女性から見た女性を描く」という趣旨の発言をしているが、私は宣伝を意識して発言していた側面が強い気がする。もう一つ、この時「西鶴一代女」や「山椒大夫」など多くの世界的傑作を共に生み出してきた溝口健二監督との仕事上の関係はすでに離れていたと聞いている。個人的な見方だが、溝口との別離の影響は大きく、ある意味で田中監督はそれ以降解放されて本当に自分の作りたい作品により深く傾倒していったように感じる。
--溝口健二と田中絹代の関係は。
溝口監督は、田中絹代が演じた役の女性を愛していたという見方や発言もある。私も作品がクランクアップした瞬間に描いてきた登場人物がこの世から消えて、毎回寂しい気持ちに包まれる。演じた役者には会えるが、役の人間にはもう会えない。役の人の人生を記録してきたのが突然消える感覚だ。
溝口の思う女性像を田中絹代が100%具現化したということだろう。田中絹代はいつか映画を作りたいという思いを持ちつつ、一方で、役者としては溝口という指針と重しの下で、役に没頭してきたといえる。田中絹代は溝口以外の監督の作品でも、徹底した覚悟を持って役の具現化のために努力してきた。だから、小津や木下、成瀬巳喜男や五所平之助といった監督が、自分の作品のためにギリギリまで追い込んで表現してくれた田中絹代を盛り上げようと、仲間として応援した。
監督4作目の「流転の王妃」で東山千栄子(左)に演技指導する田中絹代監督(中央)、右は主演の京マチ子=芸游会提供
作品の力となる、うごめく人々、うごめく力
--どんなことが起こったのか。
監督として撮影現場や仕上げ、脚本作りの能力を問われるのは分かりやすいが、田中監督作品ではそれ以外の力も動いた。「月は上りぬ」の時に、溝口健二監督は京都で「絹代の頭では撮れません」と言ったが、その時、東京にいた木下、小津、五所らは「溝口の鼻をあかしてやろう」と語ったという。
田中監督本人の知らないところでいろんな人が、勝手にうごめいてフォローや支援するのも監督の力量、演出力だと思う。それはずっと変わらない。すばらしい監督の周辺ではさまざまな人が勝手にうごめいている。監督としてカット割りや芝居を付けるのも大事だが、人がうごめくのは作品にとって比べものにならないくらい大きな力になる。
監督として「現場をどうしきるのか」と私もよく聞かれる。それももちろん重要だが、自分のまなざしできちんと作品を仕上げて、プレッシャーの中で自分の名前で発表することの重さを実感する。監督をやった者でしか分からないかもしれない。
監督は小さな事から大きな事まで常に選択を迫られる。小さな選択の一つ一つで違う作品にもなりうる。最適な選択かどうかギリギリまで迷いながら、プレッシャーを感じながら決めていく。作品を背負う。それは田中監督も変わらない。
三島有紀子(みしま・ゆきこ)映画監督、脚本家。大阪市生まれ。NHKで「NHKスペシャル」ほかドキュメンタリーを企画・監督。東映京都撮影所などでフリーの助監督後に、「刺青 匂ひ月のごとく」(2009年)で監督デビュー。 「しあわせのパン」「ぶどうのなみだ」「繕い裁つ人」などを発表。「幼な子われらに生まれ」(17年)でモントリオール世界映画祭審査員特別賞のほか、国内でも受賞多数。「Red」(20年)で、自分の意志で生き方を選択する女性を描き好評を得て、パリの55館で上映中。最新作は短編集「ミラーライアーフィルムズ2」内の「インペリアル大阪堂島出入橋」。