©2022「天上の花」製作運動体

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2023.1.29

クセあり、片嶋一貴監督!? 最新作「天上の花」が観客をとりこにする理由

国際交流基金が選んだ世界の映画7人の1人である洪氏。海外で日本映画の普及に精力的に活動している同氏に、「芸術性と商業性が調和した世界中の新しい日本映画」のために、日本の映画界が取り組むべき行動を提案してもらいます。

洪相鉉

洪相鉉

「僕、洪さんが誰なのか分かる気がする。ちょっと待ってね」
釜山国際映画祭のレセプション。高崎映画祭シニアプロデューサーという名刺の肩書と漢字で書かれている名前を読んで、一気にうれしそうな声になってしまうバックパッカーとジャーナリストを交えたような男。銀髪の好男子の同行に筆者を紹介する。すぐに幼なじみの再会のように感嘆詞があふれ出た。
「今まで洪さんとやり取りをしていたけど、彼の友達でもあることに全然気づかなかった!」
森達也と小林三四郎。数多くの問題作の監督と俳優兼業の独特なプロフィルを持つインディーズ映画の橋頭堡(きょうとうほ)と太秦株式会社の社長。この二人と筆者の距離を一気に縮めてくれた「彼」とは、片嶋一貴である。

片嶋一貴監督

筆者の友人であり、誇りである。もし信じられないなら韓国の《キネマ旬報》と言える《シネ21》が、彼の前作「いぬむこいり」(第23回富川国際ファンタスティック映画祭のヨーロッパ国際ファンタスティック映画祭連盟アジア賞スペシャルㆍメンション作品)についてどのように書いたのか見てみよう。
「今年の富川国際ファンタスティック映画祭で最も挑戦的な作品のひとつだ。245分に達する上映時間のためだけではない。日本の神話と現代史を行き来するこの映画は、多種多様なジャンルと想像力が入り混じっていく過程を通じて、日本社会の虚偽意識と弊害を躊躇(ちゅうちょ)なく暴く」
 

「天上の花」ではパンクな作風で本領発揮!

2018年7月から合計115回の日本映画人インタビューを、筆者が役員を務めているメディアに連載していることで、誰でも身内のような日本映画人を褒めてくれるとうれしくないわけがないが、その中でも特別な思いがしたのにはわけがある。鈴木清順の代表作を2本(「ピストルオペラ」「オペレッタ狸御殿」)も制作したプロデューサーとしての活躍をみれば、監督としてアンバランス極まりないキャリアを持った彼を、改めて国際舞台に引き出したのが筆者だからだ。2022年12月9日から全国順次公開で観客を迎えている「天上の花」も、彼のよみがえった監督としての情熱の産物という点で意味深い。

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ただ、この映画を存分に楽しむためには、読法が必要だ(「アバター」も3Dメガネが必要ではないか)。「詩人が妻子を捨てて愛の逃避行をする」という大筋は、腐るほど多いクリシェを思い出させるが、いざチケットを買って映画館に座ってみると話は変わってくる。音楽のジャンルならパンクロックにあたる作風の片嶋一貴は、いかなる典型的叙事も拒否する。サミュエル・ベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」の導入部のウラジミールとエストラゴンのように平行線上に立っている構図にあった恋人・三好達治(東出昌大)と萩原慶子(入山法子)は、いつの間にかスティーヴンㆍフリアーズの「危険な関係」のメルトゥイユ侯爵夫人(グレンㆍクローズ)とヴァルモン子爵(ジョンㆍマルコヴィッチ)ように極端に突き進む姿をダイナミックなスピード感で見せている。その中、エスカレーションする愛憎は、観客を没入させる高強度の吸引力を発生させる。
 

小説の映画化は「小説≠映画」でも構わない

たくさんの人々が知っているとおり「天上の花」の同名原作は、新潮社文学賞受賞の萩原葉子の小説である。小説を読んだ人は映画を見なくてもいいのだろうか。もし
「映画化」の意味を「小説をそのまま映像に移すこと」と勘違いしているなら、見なくていいかもしれない。しかし、アメリカの脚本家でプロデューサーのシドㆍフィールドが指摘しているように小説を脚色する際、必ず原作に忠実でなくてもいい。映像で説明できるシナリオとして「視覚化」することだからだ。この「視覚化」こそが、まさに映像言語への再創造作業なのだ。

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ここで片嶋一貴はポストモダン的思考で原作を「解体」(この概念については Jacques Derrida, 「Of Grammatology」, Johns Hopkins University Press; 40th Anniversary edition, 2016を参考)し、2人の恋人がジョージㆍキューカーの「ガス燈」のようにお互いを翻弄するかと思えば、アルフレッドㆍヒッチコックの「レベッカ」のように(劇中で慶子が何度も言及する前夫は、もう死んでいて一度も登場しない。「レベッカ」のマキシムの前妻のように)破局に導く。これは次の場面が気になってたまらない。あらゆる不治の病だけが悲劇的難関の要素であるロマンティックㆍサイコドラマや、制作費を湯水のようにつぎ込んだジェットコースターの配信専用のミニシリーズでは決して感じられないカタルシス。
一方、後半部のDVはキャラクターの描写というよりはドイツの詩人、劇作家で演出家のベルトルトㆍブレヒトが演劇で用いた「異化効果(Verfremdungseffekt)」のための象徴で、昭和19年という「狂っていた時代」を見せている。ここで作品はポリティカルコレクトネスで断罪できない表現主義ドラマとしての地位を獲得する。
「リスタート」の後、短編「痴人の愛」まで全州国際映画祭に出品して、気炎を吐いた(しかも中堅監督の短編は、彼の作品1本だけだった)片嶋一貴は、「天上の花」をまだどこの海外映画祭にも出品していない。しばらく国内の観客ともう少し時間を持ちたかったのかもしれない。いや、次回作の構想で少し疲れたのかもしれない。そうだとしてもなんの心配もいらないだろう。深田晃司が2008年に撮った作品も最近フランスで配給が決まりつつあったではないか。あの変わった「60代の悪童」の物語はまだまだいっぱい残っている。

ライター
洪相鉉

洪相鉉

ほん・さんひょん 韓国映画専門ウェブメディア「CoAR」運営委員。全州国際映画祭ㆍ富川国際ファンタスティック映画祭アドバイザー、高崎映画祭シニアプロデューサー。TBS主催DigCon6 Asia審査員。政治学と映像芸術学の修士学位を持ち、東京大留学。パリ経済学校と共同プロジェクトを行った清水研究室所属。「CoAR」で連載中の日本映画人インタビューは韓国トップクラスの人気を誇る。

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