毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2024.10.18
この1本:「国境ナイトクルージング」 微妙な距離感、繊細に
フランソワ・トリュフォーの「突然炎のごとく」に代表されるように、女性1人、男性2人の組み合わせは青春映画の伝統的な定型だ。この名作が好きだというシンガポールのアンソニー・チェン監督の新作は、北朝鮮との国境に近い中国の東北部で撮影を実施。氷と雪に覆われた街でめぐり合った若者たちの物語だ。
知人の結婚式に出席するため延吉市を訪れたハオフォン(リウ・ハオラン)が、観光ガイドのナナ(チョウ・ドンユイ)と知り合う。ナナの友人のシャオ(チュー・チューシアオ)を加えた3人は、楽しい一夜を過ごしたのちにバイクで国境地帯に向かい、親密な時間を共有していく。
ハオフォンは上海の金融マンだが、競争に疲れて心の均衡を崩している。元アスリートのナナは足首に深い傷痕があり、一見気ままなシャオも窃盗罪で追われる身。急激な経済発展後の中国では昨今、若者を取り巻く環境の悪化が深刻だと伝わるが、異邦人のチェン監督はそうした社会問題を背景にとどめた。孤独や閉塞(へいそく)感を抱えた登場人物の心に焦点を絞り、誰もが感情移入しうる普遍性を獲得した。
その半面、チェン監督は朝鮮族が多く住む地域特有の風土をカメラに収めた。国境地帯のいてつく風景、蛍光色のネオンがきらめくナイトクラブ、静まりかえった真夜中の動物園。さらにつつましい幻想や夢のイメージを織り交ぜ、微妙な距離感の関係性を体現する若手俳優たちの表情、仕草をすくい取った。コロナ禍のもと、映画作りの渇望に駆られて短期間で撮ったとは思えぬ繊細さ、豊かさが、あらゆる場面に息づいている。
3人はすでに社会に出て失望を味わい、諦念にさいなまれているが、終盤には目を見張るシークエンスが待っている。天池と呼ばれるカルデラ湖が頂上に広がる長白山(朝鮮半島では白頭山)。その山水画のごとき絶景の世界に身を投じた3人は、何を目撃し、何を感じるのか。さまよえる魂が触れ合うかけがえのない数日間を描いた青春映画は、ほんのわずかでも氷を解かしてくれる光で若者たちを照らしてみせる。1時間40分。東京・新宿ピカデリー、大阪・テアトル梅田ほか。(諭)
ここに注目
3人の若者は互いに深く相手に踏み込まず、大きな感情の抑揚など見せない。心情に訴えるようなドラマチックな展開はない。それでも、わずか数日の出会いの中で、この場所でしかありえなかったつながりを生み出す。それは、人生を変えるような出会いかもしれない。一見、希薄な関係のように見えて、生きる糧や源泉となるような力をもらって、彼らは再び散らばっていく。3人の関係は長くは続かない。チェン監督はそこに中国だけでなく、現代の若者の中に息づく人間関係の形を見たのである。(鈴)
ここに注目
3人の背景の多くは明かされず、映画は共有した時間を積み重ねていく。中国語と韓国語が混在する延吉を3人乗りオートバイで走り周り、夜の繁華街で飲み歩く。地元で同じ時間を過ごしてきたシャオはナナに思いを寄せるのに、ナナはシャオと特別な関係になろうとしない。よそ者のハオファンがナナと親密になるが、それも仮初め。あいまいで緩い三角関係は、苦くて少し甘い。状況にあらがうでも刃向かうでもなく、諦観と受容に支配される若者の姿は日本映画とも通じ、現代中国の一面を見るようだ。(勝)