毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2023.10.06
この1本:「栗の森のものがたり」 連続する絵画的な映像
ストーリーがけん引する映画もあれば、キャラクターを掘り下げる作品もある。映像ももちろん大事だが、そればっかりでは動く絵画になりかねない。それでも中には、映像が有無を言わさぬ力で映画を決定づけることもある。本作は、光と色に彩られた絵画的なショットの連続に見ほれるうちに、淡いが確かな感情が宿る、芸術的秀作だ。
舞台はイタリアとユーゴスラビアの国境にある、森の中。映画は3章に分かれ、第1章の主人公マリオ(マッシモ・デ・フランコビッチ)は、金勘定に細かい棺おけ職人。邪険にしてきた妻ドーラ(ジュジ・メルリ)が重い病と気付いて慌て始める。第2章では、森の栗を拾って商っているマルタ(イバナ・ロスチ)が、マリオに助けられる。第二次大戦に行った夫を思い、将来のない故郷を出ようとしていた。最後はマリオとドーラの息子ジェルマーノの章。
となってはいるものの、語り口は融通無碍(ゆうずうむげ)というか自由自在。夢と現実、現在と過去を境目なく行き来する。居眠りするマリオの夢に妻との最後の日々が現れ、ベッドに横たわるドーラの意識が2人の結婚式をたどる。マルタがまどろんだ一瞬に、夫が戸口に戻っている。さらには死の床に「東方の3賢者」が現れて、歌ったり人生の帳尻を数えたりといったユーモアも。ユーゴスラビアのヒット曲が流れ、果ては登場人物が「アイドルを探せ」を口ずさむ。
そんな幻想的な筋立てが、隅々まで作り込まれた映像に収まっている。薄暗く影が勝る青灰色の屋内に窓の外から差し込む光が、部屋のかすんだ空気にぼやけて人物を照らす。居酒屋の屋内でゲームに興じるマリオと仲間たちに、絶妙の案配で光が当たる。一方、森の中は木々の緑と地面に落ちた枯れ葉の茶色が調和し、そこにドーラの鮮やかな赤い服が映える。フェルメールら、オランダのバロック期から印象派の絵画のようだ。
そうした映像の額縁に、取り残された土地を覆う、喪失と諦観と愛着といった繊細な感情が漂っている。豊かな映画が鑑賞できる日本、やっぱり恵まれている。スロベニアのグレゴル・ボジッチ監督。1時間22分。東京・シアター・イメージフォーラム、大阪・シネ・リーブル梅田ほか。(勝)
ここに注目
映画の視点や時制がくるくる変わるため、ストーリーがつかめず困惑することしきり。ところが訳の分からないまま見進めるうちに色み豊かな35㍉フィルムの映像美に引き込まれ、最後にはえも言われぬ感動を覚える摩訶(まか)不思議な映画体験だった。まさに〝夢のよう〟な本作は、異次元空間のごとき森に取り残された孤独な人々の寓話(ぐうわ)で、外界へ旅立った者への追想の物語でもある。全編が死の影に覆われる半面、いくつもの栗が川を流れゆく幻想的な光景とシルビー・バルタンの挿入歌「アイドルを探せ」に胸が躍った。(諭)
技あり
フェラン・パラデスが撮影監督。ボジッチ監督は撮影監督の経験があり、「柔らかさやドローイング(線画)のようなルック」を求め、基本スーパー16㍉、夢や情景は35㍉フィルムで撮影。マルタが林から出てくる情景カット、背景の木々が揺れるのが迫ってくるような描写は、フィルムの得意技だろう。屋内では、下手横からの青白光に照らされた死の床のドーラ、マリオは構わずドーラの棺おけの採寸。ドーラに東方の3賢者が歌をささげ、青白い影に消えるのも、コンピューターグラフィックスではなく現場処理で柔らかな闇。人の感性に寄り添うフィルムの描写力に感心した。(渡)