「ゴジラ-1.0」 ©2023 TOHO CO., LTD..jpg

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2023.11.10

この1本:「ゴジラ−1.0」 〝戦争再来〟とにかく怖い

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

「シン・ゴジラ」で再起動した、日本が誇るスター怪獣が令和に登場。山崎貴監督が満を持して挑んだ「ゴジラ −1.0」は、1954年公開の第1作に〝原点返り〟し、「核」「戦争」を背負って終戦直後の日本に現れる。「シン」が日本を俯瞰(ふかん)したのに対し、「−1.0」は下からの視点で戦後日本を照射する。

第二次世界大戦末期、敷島(神木隆之介)が乗った特攻機が南太平洋の大戸島に不時着する。その夜、海から突如現れたゴジラは、敷島が恐怖で動けずにいる間に部隊を全滅させてしまった。敷島は復員し、他人の子を預かった典子(浜辺美波)と暮らし始める。平穏な日々を取り戻そうとした矢先、ゴジラが東京に上陸して銀座を熱線で破壊、敷島も大切なものを奪われる。ソ連との関係悪化で軍事行動を取らない米軍と政府に代わり、ゴジラ駆除は大日本帝国海軍の元将兵に委ねられ「わだつみ作戦」が発動する。

今回のゴジラ、とにかく怖い。物語の筋立ては第1作を踏襲し、随所にオマージュも差し挟む。だがコンピューターグラフィックス(CG)で作り出した映像の迫力は70年前の比ではなく、巨大で凶暴な怪獣が人間のすぐそばまで迫り、息もつかせない。これだけでも見る価値あり。

一方、今作ではゴジラとの戦いの前段に、東京が復興する戦後の数年間をたっぷりと挿入する。敷島は典子と家族になり平穏を得ようとしながらも、生き残った罪悪感にさいなまれる。そこに現れて東京を再び焼け野原に戻すゴジラは、戦争の再来だ。ゴジラ退治は、言ってみれば敷島と元軍人たちの、雪辱戦であり敵討ちである。

一敗地にまみれた負け犬たちが「今度こそ」と立ち上がり、知恵と勇気を駆使して強敵に立ち向かう。スポ根ものに通じるこの構造、いかにも日本的な情感をたたえ、歯を食いしばって戦う姿は迫真の映像と相まって感情を揺さぶる。

しかし日本は、被害国であると同時に加害者でもあった。太平洋から現れて怒りまくるゴジラ、果たして何を象徴しているのか。2時間5分。東京・TOHOシネマズ日比谷、大阪・TOHOシネマズ梅田ほか。(勝)

ここに注目

目を見張るスペクタクルがいくつもある。小さな木造船に乗った敷島らがゴジラに機雷で対抗する海上の攻防は、筆者が劇場で身を乗り出したベストシーン。銀座の街を破壊するゴジラは、圧倒的な恐怖をまき散らす巨大生物として描かれる。ポリティカルな視点に立った「シン・ゴジラ」とは対照的に政府が全く介在せず、民間の有志が作戦会議を開く展開も面白い。彼らが闘う動機付けに自己犠牲や愛国の精神がちらつき、一部脇役の大げさな演技はマイナス点だが、視覚効果の充実ぶりも加わり迫力十分のできばえ。(諭)

異論あり

ゴジラの凶暴さ、暴力性を前面に出しつつ、人間ドラマを作品の基盤に据えた。戦争で生き残った者の葛藤、絶望からの回復、助け合うことの美徳……。「三丁目の夕日」シリーズや「永遠の0」で多くの観客を引き付けた人間への信頼や希望、絆をうたい上げた山崎監督。今回も、焦土に加えゴジラに襲われながら、ぬくもりや人間らしさ、団結を保つ日本の心をたたえ、瞬時、心地よさとホッとした感情に包まれる。が、その感傷の基調は憂国へと転じる。現代社会への不満を集約したセリフが飛び交うと、映画に込められたメッセージが危険な色合いを持つようにも見える。(鈴)

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