「花腐し」 ©2023「花腐し」製作委員会

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2023.11.17

この1本:「花腐し」 漂う退廃の心地よさ

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

物語の舞台は平成だが、漂うのは昭和の香り、というより〝臭い〟というべきか。1人の女をめぐる2人のダメ男の、10年に及ぶ関係を描く。松浦寿輝の同名小説が原作だ。

2012年、ピンク映画監督の栩谷(くたに)(綾野剛)は、同せいしていた恋人で女優の祥子(さとうほなみ)が栩谷の友人と心中し、理由が分からぬまま取り残された。5年も映画を撮っていない栩谷は大家から、取り壊し予定のアパートに居座っている伊関(柄本佑)を追い出せと頼まれる。脚本家志望だった伊関は訪ねてきた栩谷を部屋に引き入れ、初めての恋人の話を始めた。初対面の2人だったが、2人が思い出しているのは同じ祥子のことだった。

映画は、会話する2人の現在と、00年からの伊関と祥子、06年からの栩谷と祥子の時制を行き来する。現在はモノクロ、過去はカラー。物語の中心にいるのは祥子である。

20代の祥子は女優の夢に向かっている。シナリオを書けない伊関は言い訳し祥子をくさし、現実に背を向ける。栩谷と出会った祥子は30代になっていて、女優としての限界に気づき始めている。栩谷は祥子の元に転がり込んで、ダラダラと関係を続けている。性愛を核に結びついた男女は、グズグズと崩れていくばかり。

映画はジメジメと湿っぽい。土砂降りの夜、取り壊し寸前のボロアパート、たばこと酒。なれ合いと愛情の入り交じったセックス。身勝手極まりない男の理屈。しかしそれが自己憐憫(れんびん)にとどまっていないところが、荒井晴彦監督の面目躍如だろう。登場人物はみっともない自分を自己愛とともにさらけ出し、一方で冷めた視線も向けて突き放す。男に寄りかかる女も、女に甘える男も、零落しながらもがいてみせる。粘着質な心情が放つ甘い腐臭には、退廃の心地よさも漂う。

男2人の会話には、戦後日本への批判が盛り込まれ、映画と映画界への憎まれ口と愛情が詰まっている。失ったものへの哀悼が、画面の湿り気とともに切々と染み入ってくるのである。2時間17分。東京・テアトル新宿、大阪・シネ・リーブル梅田ほかで公開中。(勝)

ここに注目

荒井の手がける映画は、脚本でも監督でも純粋だ。脚本家デビューした「新宿乱れ街 いくまで待って」(1977年)からずっと。一作ごとに情感が深みを増す。今回は、ひときわ染みる。終盤のカラオケシーンには感情が揺さぶられる。これほど胸を締め付ける映画もまれだ。死んだ祥子は生き生きとし、栩谷や伊関は愛(いと)しいほどに悲しみの中をさまよう。女性へのざんげか崇拝か。センチメンタルの渦に浸る。映画への愛が絶え間なくにじむ。何年も撮っていなくても、脚本が書けなくても、映画にしがみつくのだ。(鈴)

技あり

川上皓市撮影監督は「火口のふたり」でも荒井監督と組んだ。今作は、この時のB班撮影兼チーフ助手の新家子美穂と共同撮影。川上の特徴の一つは「暗くて上等」。撮影1本目の「サード」(78年)に少年院の朝の点呼の場面がある。補助光なしでツヤのある黒のきれいな階調が、表情は見えない青年たちの内面もえぐり取った。その後も暗い画(え)が多かったが、今回も白黒部分に暗くて見えにくい場面がある。栩谷と伊関が飲んだ暗い帰り道、酔った2人の会話が広がる。見えても見えなくとも、劇の本質が観客の心眼に届けばよしとするところが、川上の考えの根底にあるようだ。(渡)