毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2023.9.08
この1本:「ほつれる」 心模様を巧みに表現
特別なところのない夫婦の、別れ話のてんまつ。と言ってしまったら身もフタもないが、これが驚くほどリアル。人間関係の緊張が、ヒリヒリするような臨場感とともに伝わってくる。小粒ながら微細な細工が施され、淡々としていても濃密な一作である。
夫の文則(田村健太郎)との関係がギクシャクしている綿子(門脇麦)は、木村(染谷将太)とひそかな関係を持っていた。2人が旅行から戻った日、目の前で木村が事故死する。文則は木村の存在に気付かず、夫婦関係を修復しようと綿子に持ちかけ、綿子は平静を保って応じるのだが……。
人の感情は重層的で、見かけと心の内はしばしば一致しない。この映画が描こうとするのは、画面やセリフに現れない心模様だ。例えばこんな場面。木村の死後、綿子は友人の英梨(黒木華)との旅の途中で木村の故郷に立ち寄り、出くわした木村の父親哲也(古舘寛治)と立ち話をする。その最中に、文則から電話がかかってくる。綿子は文則との約束を失念していた。言い訳をする綿子に、文則は英梨と哲也を次々と電話口に呼び出す。文則の声は聞こえないが、電話の向こうの怒りと疑念、英梨と哲也の戸惑い、綿子の困惑と羞恥がヒシヒシと伝わる。観客はその場に居合わせてしまったように、3人の間に漂う気まずい空気に包まれる。
加藤拓也監督は劇団を率いて舞台で活躍し、今作は「わたし達はおとな」に続く長編監督第2作。登場人物の性格を繊細に描出し、名付けにくい感情を言いよどんだりためらったりしながら発する言葉の端々や、視線の揺らぎににじませる。セリフ回しはすべて脚本通りだそうで、門脇はじめ俳優陣はその繊細なニュアンスを巧みに表現した。
綿子は木村に贈られた指輪をなくして右往左往し、やがて追い詰められる。見ないふりをしていた夫婦関係のほころびに直面し、自分とも向き合うことになる。内向きで狭いとは、しばしば日本映画の短所として指摘されるけれど、ここまで徹底して掘り下げれば普遍へと通じるのである。1時間24分。東京・新宿ピカデリー、大阪・シネ・リーブル梅田ほか。(勝)
ここに注目
うまくいっていないとか好きとか嫌いとかどちらが正しいとか、そんな単純な言葉では言い表せないもつれた思いや関係が、きっとどんな夫婦にもあるはずだ。また、互いに結婚を決意するくらいすてきな時間を共にした過去も。
綿子と夫の間にあるそんな状況やそれぞれに対する感情の揺らぎが、説明的なセリフや場面は一切ないのに、日常の会話や行動から生々しく想像できてしまう。もしかしたら、このまま夫婦としてやっていけるかもしれない。そう思えた一瞬の2人の顔が、切なく心に残る。(久)
技あり
中島唱太撮影監督が、夫に愛想が尽きた綿子を撮った。住まいや空港など、道具立てや衣装が今風。綿子が木村の妻と会う場面から直結で、自宅に戻った場面へ。キッチンカウンターの脇、出て来た文則は腰に手を当てて不倫を認めろと詰問調。綿子も切れ気味。人物の動きにつれてカメラも動く。綿子は出て行き、空舞台を残す。カット変わり、引き画(え)で文則はソファ、戻った綿子が隣に座る。引き画のまま芝居再開。カメラがにじり寄る。文則が手を握り、体を寄せるが、拒む綿子は涙。2カット9分弱の、秀逸な夫婦の幕切れ。映画は監督が言うように「いい感じ」の仕上がり。(渡)