毎日映画コンクールは、1年間の優れた映画、活躍した映画人を広く顕彰する映画賞。終戦間もなく始まり、映画界を応援し続けている。第77回の受賞作・者が決まった。
2023.1.29
日本映画大賞、監督賞 三宅唱 「分かった気にならない。でも、想像し続ける。それが映画の面白さ」:第77回毎日映画コンクール
第77回毎日映画コンクールで最多5部門を受賞し、2022年を代表する1本となった「ケイコ 目を澄ませて」。小規模の静かなたたずまいだが、深い人間洞察と繊細な表現で、日本映画大賞、監督賞、女優主演賞、撮影賞、録音賞に輝いた。「かかわった全ての人と一緒に働いた者として、光栄に思います」という三宅唱監督に、俳優について、映像について、音について、じっくりと聞いた。
「小笠原さんの生き方、かっこいい」
映画の原案は、耳の聞こえない女性プロボクサー、小笠原恵子の著書「負けないで!」。三宅監督は岸井ゆきの主演で映画化しないかと依頼され「読む前は分かるかなと思っていた」というが、一読して興味がわいた。「かっこいい。小笠原さんの、世界の感じ方、人生について考えてみたいと思った」
役が自分の中で「生まれた」 岸井ゆきの:毎日映画コンクール女優主演賞
しかし引き受けるまでに、3カ月ほど考えた。「ボクシング映画はたくさんあって、同じことをするのは性に合わない。せっかくなら新しいことをやりたい。その研究がしたかった。そして聞こえない方の話を、聞こえる自分が引き受けていいのか、やるとしたら何をすればいいか、何をしちゃいけないのか。調べる時間がほしいと」
聴覚障害者について、差別について、「初歩から調べました」。小笠原をモデルにしたフィクションとして、物語は一から組み立てた。心がけたのは「分かった気にならないこと」。
「僕自身は当事者ではないので、代弁したり、分かった気になったりしてはいけない。全く違う他者として、あくまでも隣にいる者として、どういう関係を持ちうるかと考えていました」
大みそかにも岸井ゆきのとリングに
映画ではたくさん見ていても、ボクシングの経験はない。撮影の3カ月ほど前から、岸井ゆきのと一緒にトレーニングを始めた。出演もしたボクシング指導者の松浦慎一郎がトレーナー役。「最初は怖かった」と振り返る。
「殴られるのだけじゃなくて、パンチを当てるのも怖い。そういう感覚を、松浦さんや岸井さんと話し合って、リングで何が起きているか、ひとつずつ一緒に経験できたのが、シナリオに流れ込みました」。トレーニングの効果は絶大。「岸井さんの、練習始めたてのころの動画を見ると、まだケイコになってない。ボクシングへの恐怖感が大きかった。全然別人になりました。でも、大みそかやクランクイン前日に主演俳優とリングで戦うなんて、意味が分からないですよね(笑い)」
岸井はトレーニングだけでなく、ロケハンにも同行。「一緒にボクシング映画を作るなんて、一生に一回だろう、やれることは全部一緒にやれたら楽しいなと思って、一緒に行きませんかと」。スタッフと荒川べりを10キロぐらい歩いた。「ぜいたくな時間でした」
「ケイコ 目を澄ませて」©2022 「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会COMME DES CINÉMAS.
信頼関係は失敗できる環境の基盤
「映画撮影の現場って、信頼関係が大切だと思うんです。それは別に100%信頼しきるってことではなくて。お互いに、相手の話し方や判断の仕方のクセや特徴をつかんでいれば、現場で不安にならずに済む。例えばクランクインの前、岸井さんが、あんまりテストせずに本番を撮った方が良いタイプか、あるいはテストを重ねて確認した方がいいのかを、雑談の中で聞けた。駆け引きなしに、正直に感じたことを言い合える。お互いの安心感につながるんです」
「もの作りの中で、失敗してもいいよっていう環境はとても大事。信頼していなくて不安が残っている人の前で、失敗なんてできないでしょう。そうなると用意したことだけになって、新しい挑戦に向かえない。信頼関係を築くには時間が必要だと、今回改めて実感しました」
岸井は、ボクシング場面は生身の体でリアルに演じ、言葉を発しないで繊細な表情で感情を表現して女優主演賞。「はつらつとした才能のある方。役者としての彼女は僕の監督デビューとほぼ同期で、一緒にやるのが楽しみでした」
「映画の根本には、小笠原さんの日々の選択、何と戦って何に悩んでいたかがある。でも、彼女がつまずいたり戦ったりしたものは、岸井さんと似てたと思うんです、すごく正直であるとか、小さなことに悩むことができるとか。最終的に、ケイコは小笠原さんであり岸井さんだった。協力してくれた聴覚障害者の方たちの姿も、流れ込んでいると思います」
ジム会長の三浦友和「アウトレイジ」つながり?
ジムの会長役は、三浦友和。手話は分からなくても、ケイコを理解し、後押ししながら余計な口は挟まない。体調を崩してジムの閉鎖を決意する。「友和さんは、直感的に浮かびました。『アウトレイジ』のヤクザの会長役が大好きなんですよ、キャラクター全然違いますけど。ずっと第一線にいて、新たな役に挑戦し続けている。ご一緒できて光栄でした」
ジムの鏡の前で、ケイコと並んでシャドーボクシングする場面が印象的だった。「ケイコと会長の関係は、この映画の大きなテーマ。どこで、どんな態勢で何をしているかずっと考えて、あの場面を見つけました。撮影は、岸井さんと友和さんの関係ができあがってから、後半に。充実した環境で撮るシーンだと大事に扱った」
16ミリフィルムでの撮影 光と闇を映画館で味わうために
デジタル全盛の時代に、あえて16ミリフィルムで撮影した。ボクシング場面のようなアクションを伴う場面では、一発勝負は撮り直しができた方が便利のはずだ。自身も初めて、撮影の月永雄太にも初体験。フィルムでは経費も時間もかかる。しかし、実は「ずっとやってみたかった」という。「ボクシングを16ミリで撮ったら、難しそうでかっこいい」と挑戦することに。
「『映画館で見る映画』を作りたかった。映画は映画館で見るのが一番面白いと思っているので。あの空間のポテンシャルを引き出すには、暗闇の中で光と影を堪能できるフィルムの力を使いたい」。カメラテストの映像から、手応えを感じた。「荒川で回したテストラッシュを見て、こんなにいろいろ、場所の存在感みたいな、気付いていないものが映るんだなと、テンション上がりました。逆に言えば、ウソもつけないなと。全部映っちゃうから」
撮影は実際のジムのロケセットだが、狭いジムの中でも巧みにアングルを見つけ光を作り、時に柔らかく、時にシャープにケイコと彼女を取り囲む空気を映像に焼き付けた。「狭い場所での撮影も、丁寧に準備すればできる。撮影前から、何ができて何ができないのかを検討して、そのために何が必要か、製作部などと話し合って共有しました。ボクシング映画は、賞もたくさんとってますよね。昔の重くて動きにくい35ミリカメラで、あんなに生き生きした映像を撮っている。70年前に達成したことを、僕らができないわけがない。サレント時代のちょっと後ぐらいの映画をピークとして捉えて、その影響下で作ってます」
俳優に甘えず1回に懸ける
「ジムの場面は、映画のはじめではナイターのシーンが多いですが、閉鎖すると決まってからデーシーンが増える。撮影場所だったジムはあまり光が差し込まない。そこに、照明部の藤井勇さんのチームが美しい光を作ってくれて、後半のトーンに特に大きく影響しました」
フィルムの効用が、もう一つ。「ボクシング場面の撮影は体力勝負。演じる側は身を削ってカメラの前に立つ。デジタルカメラで撮影していたら、きっと俳優に甘えて、もっともっととテークを重ねて、彼らを傷つけてしまったかもしれない。フィルムの制限のおかげで、1回に懸けることができました」
「聞こえることを意識する。まず聞くことが、出発点」
劇伴の音楽はなく、一方で練習風景や屋外の雑音などが、丹念に織り込まれている。「やろうと決めた時点で、劇伴はないだろうと直感的に思った」
「音楽は、観客を導くことができる。だけど、この映画を見るのは聞こえる人もいるし、聞こえない人もいるだろう。音楽に頼ると、聞こえる人だけがシーンのトーンに浸れて、聞こえない人が乗り切れない。お客さんが分かれてしまう。音になるべく頼らず、画面で語る、見ることで伝わるものを作るというところから出発した」
「でも、サイレントで作るわけにもいかないので、音の付け方でやろうと。ボクシングジムは音があふれている場所だし、町の中もじっと座っていると、鳥が鳴いているとか、川が流れているとか、高速道路の走行音とか、いろいろな音が聞こえてくる。そう気づいたのは僕が、聞こえない人と接するようになったから。これまで、自分は耳が聞こえると意識せずに生きてきた。
「(取材中の)今も、工事の音が聞こえてますけど、ぼくらは気にせずに話している。聞こえない人といれば、僕は聞こえてるけど、この人は聞こえてないんだと、やっと意識して想像が始まる。出発点としてまず聞くことが、聴者にとって重要だと思った。そういうものを丁寧に作っていこうと」
録音賞の川井崇満とは、劇場映画デビュー作「Plyback」以来のコンビだ。感覚の通じる部分が大きいという。「ロケハンでも、常に音を聞いてました。高架下はうるさいけど、ケイコは聞こえずにこの場所にいるんだ とか。ジムでミットをたたく音、町中の雑音など、生の音です」
背景を説明しないことためらいなく
映画はケイコの姿を丹念に追いながら、彼女の背景はほとんど説明していない。なぜボクシングを始めたのか、恐怖を抱えながらもリングに上がるのか。観客には答えを示さない。それが「他人のことを分かった気にならない」ということだった。
「僕らは自分のことすら完璧には分かっていない。とはいえ、じゃあそこで諦めるかっていうと、そうではなくて、分かろうとし続けることはできる。この人物は何を考えているんだろうと、ずっと想像するチャンスを与えてくれるのが映画の面白さで、ある種のサスペンスでもある。登場人物の新たな一面が見えたり、見えたと思ったらまた違う一面が現れたり。それは映画そのもののありようと結びついている。全く逡巡(しゅんじゅん)せず、最初から目指していました」