第76回毎日映画コンクール ドキュメンタリー映画賞「水俣曼荼羅」原一男

第76回毎日映画コンクール ドキュメンタリー映画賞「水俣曼荼羅」原一男

2022.2.25

ドキュメンタリー映画賞「水俣曼荼羅」 原一男 製作20年、6時間の大作

日本映画大賞に「ドライブ・マイ・カー」

男優主演賞 佐藤健「護られなかった者たちへ」
女優主演賞 尾野真千子「茜色に焼かれる」


第76回毎日映画コンクールの受賞作・受賞者が決まりました。2021年を代表する顔ぶれが並んでいます。受賞者インタビューを順次掲載。
1946年、日本映画復興を期して始まった映画賞。作品、俳優、スタッフ、ドキュメンタリー、アニメーションの各部門で、すぐれた作品と映画人を顕彰しています。

ひとしねま

ひとシネマ編集部

終わった事件ではないと思い知らされた

 
またしても。ドキュメンタリー映画賞は原一男監督の「水俣曼荼羅」だ。毎日映コンでは常連。1987年の「ゆきゆきて、神軍」の日本映画優秀賞と監督賞、94年「全身小説家」で日本映画大賞、そして2021年の前作「れいわ一揆」のドキュメンタリー映画賞に続いて、今回の連続受賞、選挙運動期間中に瞬発力で撮った「れいわ一揆」に対して、今作の製作は20年越しで、6時間の大作となった。
 

水俣病関西訴訟の支援者に「やってみないか」と誘われたのが、取材のきっかけだった。この時点で、水俣病から50年が経過しており、ドキュメンタリーの大先輩、土本典昭監督をはじめ多くの先人たちが作品を残している。周囲からも「もう終わった事件」と言われたという。
 
「自分でも思い込んでましたからね、『まだ終わってなかったっけ』みたいなもんで。それが現地を案内されて教えてもらって、思い知らされた。やらないといけないと思ったわけですね」

 医学も法律もひっくるめた曼荼羅の世界に

とはいえ土本の「水俣―患者さんとその世界」(1971年)など優れた作品があり、現地メディアも張り付いて取材している。
 
「二番煎じと言われないために、どうしようと。土本さんの頃は、水俣病問題は市民運動としてのエネルギーが強かったけれど、今はもうない。それなら、医学も法律もひっくるめた、水俣という大きなフィールドに位置づけられる、曼荼羅(まんだら)の世界のイメージに仕上げようと思った」
 
登場する人物たちは、原監督の魔法にかかったようにカメラの前で素顔をさらけ出す。水俣病の症状は脳の中枢神経の異常が原因だと、従来の末梢神経説を覆した医師に密着する。差別や障害を乗り越えて生きる小児性患者、生駒さんの日常を追い、胎児性患者のしのぶさんの恋愛遍歴をたどる。彼らの人間味あふれる姿が、水俣病の不条理と罪をあぶり出す。
 

建前の向こうに迫るカメラ「そこまで描けなければ完成しない」

「特別なことはしていないです。通ううちに仲良くなって、週2回お昼を一緒に食べるような関係になっていく」。たとえばしのぶさん。「会ってすぐにはカメラ回さないですよね。だんだんと、いいなと思う部分を見つけて、それをどう撮ればいいか見つかったと思えた時がカメラを回せる時なんです。〝センチメンタルジャーニー〟を撮るまで3年待ちました」。かつて好きだった男性と対面し、思い出を語り合う。「映画の中では3人続けて会ったように見えますが、実際には1年に1人ずつ。気分が乗ってない時に強引に連れて行くことはできないですから」
 
被写体をありきたりに捉えて良しとしない。カメラは建前の向こうにまで入り込む。「そのレベルで問題提起ができて当たり前の仕事、それが劇場用映画の本質だと捉えてるもんですから。そこまで描けてないと、完成させちゃいけないんです。粘るという意識はない。『撮れた』と思えるまでやらなきゃいけないと自分で決めていて、まだまだ終わらないから頑張ろうと思っているうちに15年も取材していた。もっと早くできると、クランクイン前には思ってたんですが」


©疾走プロダクション


ドキュメンタリーを作ることが前提の人生

汚染物質を封印した海中施設を撮影するためダイビングの免許を取り、熱中しすぎて片耳が聞こえなくなった。なぜそこまで。
 
「ドキュメンタリーを作るのが好きなんです。作りながら生き方も探ってきました。ドキュメンタリーを作ることが大前提の生き方なので、苦痛とか苦労とか思わない。ま、お金がないことだけは苦痛で苦労ですけどね」
 
立て続けに大作を発表して、現在は一息。「壁に直面しています」。それでも撮り続けるのである。

ライター
ひとしねま

ひとシネマ編集部

ひとシネマ編集部

カメラマン
ひとしねま

幾島健太郎

毎日新聞写真部カメラマン