「せかいのおきく」©2023 FANTASIA

「せかいのおきく」©2023 FANTASIA

2023.5.18

身の丈超えたエネルギー生産と大量消費は必要か 「せかいのおきく」に学ぶ循環型社会

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

桐野耕一

桐野耕一

ふん尿がいろいろな場面で登場し、モノクロ映像でもインパクトは強烈だ。段ボールなどを使って作っているそうだが、俳優たちの臭い名演で本物に見えてしまう。「せかいのおきく」の舞台は幕末の江戸。長屋や武家屋敷など市中のふん尿を集めて農家に運ぶ「下肥(しもごえ)買い」の青年たちが主人公だ。


 

人口100万人超す大都市を維持する仕組み

江戸は循環型社会だった。人口は100万人を超えていたとされ、世界的な大都市だ。鎖国してきた日本には十分な資源が国内になく、それだけの数の人々が生活を続けるためにも、紙くずなどさまざまなものをリサイクルして社会を成り立たせていた。
 
ふん尿はその代表例。厠(かわや)を作って集め、くみ取って田畑に運んで肥料にする。当時の海外は先進的なパリでもトイレが少なく、街がふん尿で臭かったというから、衛生面からも江戸は優秀だったに違いない。つつましく資源を有効活用し、身の丈に合った暮らしを送っていた様子が、映画を通じて伝わってくる。
 

過剰包装、大量のゴミ

振り返って現代は、大量生産、大量消費、大量廃棄の時代だ。SDGs(持続可能な開発目標)への関心が高まっているとはいえ、身の丈に合った暮らしをしているとは言いがたい。商品の袋を開けると、その中でさらに小分けされて、タマネギの皮のようにむいてもむいても包装が出てくる。家族4人暮らしの1週間で大きなごみ袋が満杯になる現状に、過剰包装ではないかと思わずにはいられない。
 
「せかいのおきく」は、地球環境を守るための課題を物語として描く「YOIHI PROJECT」の第1弾作品だ。温暖化を止めることや生物多様性を守ることは、地球や人間以外の生き物を救うためではない。保全生態学者で国立環境研究所室長の五箇公一さんが「生物多様性の保全はエコではなくてエゴ」と指摘する通り、人類が将来にわたって快適に生きていくための必要条件なのだ。映画で描かれるかつての循環型社会は日本人にとってまさに「良い日」なのかもしれないと感じる。
 

原発回帰してまでエネルギーが必要か

私は2011年の東日本大震災と福島第1原発事故で、岩手県陸前高田市や計画的避難区域に指定された福島県飯舘村を取材した。津波で壊滅的な被害を受けた陸前高田に比べ、4月に取材に訪れた飯舘村は花々が村一面に咲き乱れとても美しかった。
 
しかし、その美しい飯舘村の風景の中をゆっくりと歩く人の姿はほとんどなかった。私も放射線量を測定する線量計を携帯して取材したが、建物の外に出ると線量が上昇する。見た目では何の被害も出ていないのに、村の住民すべてが移住を余儀なくされるほどのことが起きているという恐ろしさ。忘れることはできない。
 


岸田文雄政権は安全性への懸念がいまだぬぐえない中、歴代政権が掲げてきた「脱原発依存」の旗を降ろし、既存原発の長期活用と建て替え推進を柱にした「原発回帰」の政策を推し進める。なるほど脱炭素でいえば原発は温室効果ガスを出さないのかもしれない。しかし懸念に目をつむり、身の丈を超えたエネルギーや大量消費を求め続けていいのか。
 
循環型社会を目指して自分自身はまず何をしようか。家や職場でのより一層の節電。無駄な買い物はしない。映画を見た後、トイレに入って便座に座りながら、そんなことを考えてみた。

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ライター
桐野耕一

桐野耕一

きりの・こういち 1998年入社。姫路支局や甲府支局、東京社会部、医療福祉部、科学環境部、大阪社会部などを経て2022年から社長室「サステナビリティー委員会」事務局。SDGsや共生社会をテーマに取材している。