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2023.11.20
殺し屋はいかにして完璧な仕事をするか まばたきせぬマイケル・ファスベンダーの存在感 「ザ・キラー」:オンラインの森
米アカデミー賞10部門にノミネート(うち撮影賞、美術賞を受賞)された「Mank/マンク」(2020年)以来となるデビッド・フィンチャーの新作だ。「Mank/マンク」に続く2本目のNetflixオリジナル映画であり、これまでいくつもの傑作スリラーを世に送り出してきたフィンチャーが、久々にアンモラルな犯罪の世界に回帰したネオノワールでもある。
デビッド・フィンチャーが腕によりをかけて
「ザ・キラー」(23年)は主人公に名前さえつけられておらず、国籍や年齢などのプロフィルは一切不明。暗殺のミッションに初めて失敗した殺し屋が、その手痛いしっぺ返しとして同せい相手の恋人を暴行され、裏社会に潜む敵への報復に動き出すという物語だ。
映画は全編にわたって名無しのキラー(マイケル・ファスベンダー)の視点で展開し、時系列は直線的。実にシンプルな構造の作品で、プロットも目新しくないが、フランスのグラフィックノベルに基づく本作は、いわばひとりの殺し屋のポートレートだ。殺し屋が職業上直面するあらゆる局面(暗殺の準備、逃亡、移動etc)における細部へのこだわりを、フィンチャーが腕によりをかけて映像化した一作なのである。
現れぬ標的をひたすら待つ
それぞれ地名がついた六つの章で構成される本作は、パリを舞台にした第1章からして抜群に素晴らしい。代理人からの依頼を受けた殺し屋は、高級ホテルにやってくるターゲットをスナイパーライフルで仕留めるために、地味なドイツ人に成りすまして向かいの工事中のビルに身を潜める。ところが、待てども待てども標的は現れない。すると映画は、このうえなく退屈で根気がいる〝待つ〟という困難な問題に、殺し屋がいかに対処するかをじっくりと描き出す。
監視を継続する合間にヨガで心と体を整え、スマートウオッチで脈拍をチェック。「気分転換には音楽が最適」だと語る殺し屋は携帯プレーヤーでザ・スミスの曲を聴き、「安くたんぱく質を取るにはもってこい」のマクドナルドで朝食をテイクアウトする。こうした殺し屋の行動が、ファスベンダーの抑揚なきモノローグとともに映し出される。そんな〝待つ〟間も、殺し屋の神経は張りつめたままだ。彼いわくその理由は「リスクが高いのは、行動に出る(暗殺を行う)瞬間ではなく、その前後の数分間、数時間、数日間にある。すべては準備次第」だから。
感情移入は弱さを生む
やがて殺し屋のモノローグは、求道者のマントラのように繰り返される。「計画通りにやれ。予測しろ。即興はよせ。誰も信じるな‥‥‥感情移入は弱さを生む」。ところがパリでの暗殺に失敗し、恋人をずたずたに傷つけられた殺し屋は自身の鉄則に逆らい、怒りの感情に駆られて隠れ家のあるドミニカ共和国からニューオーリンズ、フロリダ、ニューヨークをめぐり、見知らぬ同業者たる敵を抹殺していく。冷酷非情な完璧主義者に思われた殺し屋の内なる揺らぎ、それを克服しようとする葛藤が伝わってくるようで、実に興味深い。
フィンチャーが緻密に構築したディテールには、そのほかにも目を引く描写がある。代理人らと1度会話を交わすたびにスマホを破壊して放り捨て、いくつもの偽名を使ったパスポートや自分が殺した相手の遺体も消耗品のように処分する。全米各地に点在する貸倉庫に武器などを隠しておき、それ以外の必要な物資はホームセンターやAmazonの通販で調達する。前述したスマートウオッチ、マクドナルドも含め、21世紀の消費社会に溶け込んだ殺し屋像が描かれている。この切り口も新鮮だ。
立ち回りもカタルシスもなきサスペンス
また、本作は殺し屋映画らしく十分に残忍で血生臭いのだが、キアヌ・リーブス主演の「ジョン・ウィック」シリーズ(14年から)のような派手な立ち回りはどこにもない。カタルシスに満ちたクライマックスも用意されていないのだが、殺しの世界に生きるプロフェッショナルをまばたきひとつせずに体現したファスベンダーの圧倒的な存在感と相まって、何も起こらない場面にすらただならぬサスペンスがみなぎっている。
映画史上には「サムライ」(ジャン=ピエール・メルビル、1967年)、「ジャッカルの日」(フレッド・ジンネマン、73年)、「イギリスから来た男」(スティーブン・ソダーバーグ、99年)、「リミッツ・オブ・コントロール」(ジム・ジャームッシュ、2009年)など〝殺し屋の肖像〟に特化した忘れえぬ名作、異色作がいくつかあるが、フィンチャーの新作もこれらの殺し屋映画の系譜に加えたい。〝ザ・エキスパート〟なる役名でクレジットされたこれまた名無しの女キラー、ティルダ・スウィントンと殺し屋の奇妙なやりとりもお見逃しなく。
「ザ・キラー」はNetflixで独占配信中。