誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
2024.6.01
自分が本当の母親ではない〟という秘密を隠しながら生きていく「かくしごと」をドラマ初出演で話題の和合由依が見た
うそのない澄んだ瞳
絵本作家の千紗子(杏)、認知症を発症した千紗子の父・孝蔵(奥田瑛二)、記憶喪失の少年・拓未(中須翔真)。3人はうそのない澄んだ瞳をしていました。
認知症の父と暮らすため渋々田舎に帰郷することになった千紗子は、ある日、事故で記憶喪失になってしまった少年を助けます。少年の体にある虐待の傷痕を見つけた千紗子は、彼に「あなたは、私の子供なの」とうそをつき、父親と少年と3人での生活を始めていくのです。
今作を見終えた私の頭の中に一番に思い浮かぶのは主人公3人の「瞳」です。少年にうそをついたまま生活を共にすると決心した千紗子の瞳と、大人中心の世界で自分を見失うことなく真っすぐに生きる少年の瞳と、認知症に苦しみ自分と戦い続ける孝蔵の瞳。
私が好きな言葉の一つに「人の数だけ世界がある」があります。年齢も違えば生まれた環境も違う主人公の3人は、見るものも、刺激を受けるものも、感じるものもそれぞれ違います。各人それぞれの世界で生きています。けれど、そんな〝違った世界〟で生きる彼らに共通するものがありました。それは〝澄んだ瞳〟をしていたということです。
千紗子の瞳
そんな3人の中でも特に、私の中で印象に残っているのが千紗子の瞳です。千紗子は少年に〝自分が本当の母親ではない〟という秘密を隠しながら生きていきます。「少年を自分の子供にしたい」という欲望から生まれたうそなのかもしれませんが、それは犯罪になりかねないもの。うそというのは二つの顔を持ち、どちらにも変身できるという複雑な力を持っています。何かを隠して生きるのは苦しいこと。ただただ自分のいちずな気持ちから生まれたうそは自分の自由を奪います。〝自分が母親であるといううそ〟を信じて生きてくれるのだろうか、〝もし記憶を取り戻したらどうしよう〟。千紗子はきっとこんな不安を抱えながら少年と一緒に暮らしていたのだと思います。うそは罪でもある。けれど、そんなうそから生まれた彼女の感情はとても素直でした。ただただ少年を守りたい、一緒に暮らしたい、という思いから生まれたこのうそは彼女の一方的な〝愛情〟なのだと、彼女の行動を見て思いました。罪を犯してはいるものの、少年に対する彼女の瞳は真っすぐで、うそがありませんでした。
そして罪悪感にさいなまれた千紗子が、自分が出したこの不幸な環境にもがく姿からは人間の本質がにじみ出ているようでした。私は千紗子を見て「人間は感情の生き物」という言葉を思い出しました。感情というのは時々邪魔になる。感情が動くことで今ある状況を冷静に見ることができなくなってしまうのだと思います。「うれしい」「楽しい」「幸せ」「感動」。「悲しい」「寂しい」「苦しい」「孤独」。私たちが持つ感情はプラスの方向に向かってくれるとは限りません。時に感じたくもない感情が芽生え、私たちを苦しめることがあります。千紗子はそんな〝感情〟に敏感で、行動にわかりやすく表れていました。
杏は千紗子とも重なる感情が
そんな千紗子を演じたのは、女優としてだけでなくモデルとしても活躍し、3児の母親でもある杏。今作に参加するにあたって「もしかしたら今の自分だったらできるかもしれないと思った」と、インタビューで千紗子という役に挑戦しようと思った心境を語っています。
一人の親として生きる杏は千紗子とも重なる感情が多かったのかもしれません。千紗子の真っすぐで澄んだまなざしは、杏の経験から生まれたものなのだと思います。
少年を見つめる時。
うそを隠そうとする時。
父親の行動を理解できない時。
どんな時も、彼女の目は嘘をつかず素直であり続けていました。
「あなたは、私の子供なの」千紗子の複雑な人生はこの言葉からスタートしました。千紗子が少年に発したこの言葉から彼女の人生が色濃くなっていきました。悪戦苦闘しながらも必死に少年を守る姿に愛を感じながらもその行動自体は犯罪の範疇(はんちゅう)に入ってしまう。本作の鑑賞中、私は主人公の千紗子に共感すら覚えながらも、複雑な感情になりました。
私にたくさんの刺激を与えてくれた「かくしごと」。本当にすてきな作品でした。出会えてよかったです。
6月7日金曜日公開。